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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

OSHOバグワンの父親-1

2024-02-04 06:38:32 | ジェイド・タブレット外典

ジェイド・タブレット-外典-06-20

◎はた目からは大不運を幸運として謝す

 

OSHOバグワンの父親については、息子が教団立ち上げ後に、父親の死を看取り、頭頂に手を当てて、父親が肉体をサハスラーラから出たことを確認したシーンで知られる。

OSHOバグワンの父親は、貧しく無学だった。彼は非常に苦労してお金を工面して初めての家を建てた。家は完成した。

ところが、引っ越す前に雨が降って家は倒壊し、幼児だったOSHOバグワンはとてもがっかりした。

彼の父は、倒壊した新居にやってきて、町の人々にお菓子を配り、「私は神に感謝している。もし家が引っ越した後に倒壊していたら、子供は全員亡くなっていただろう。」と語った。父は新居が早く倒壊したことを生涯幸せに思っていたという。

(ディヤン・スートラ―瞑想の道 OSHO/P173)

 

同じような話が出口王仁三郎にもある。

神戸の空襲で家を焼け出された某氏が、出口王仁三郎を訪ねて、家を焼かれたが身体は無事だったとお礼を申し上げた。すると出口王仁三郎は、「お筆先に、今度は身体一つ助かったら一番のおかげとあるだろう」と教えた。(新月の光)

 

そして旧約聖書のヨブ記。

そのような雰囲気の時代である。

OSHOバグワンの父親-2

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空海-6―空海の病気治療と人間観

2024-01-19 03:50:25 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-19

◎地水火風の不調と悪霊のたたりと悪いカルマ

 

空海の秘密曼荼羅十住心論序に病気治療観が書いてある。

曰く、

病気の原因は、地水火風の不調と悪霊のたたりと悪いカルマにしぼられる。

そこで身体の病気を治す方法に8あり。温泉、散薬、丸薬、酒、針、灸、まじないといましめ(呪禁)。さらに薬ではたたりや悪い報いを退けることはできないが、呪法は、一切の病を治すことができるとまで言っている。

一方心の病は五蔵(修多羅(しゅたら)、毗奈耶(びなや)、阿毗達磨(あびたつま)、般若、総持)で治すと言う。この五つは、経と律と論と般若(知恵)と陀羅尼(マントラ)などの教えである。

要するにオカルティックかつホリスティックな人間観にもとづく治療であり、このまま現代で治療すれば、医師法違反で捕まってしまうが。

 

この人間観の特徴は、

1.人間は肉体だけでなく微細身を有し、肉体の健康は微細身レベルからも影響を受けている。

2.人間は今生だけでなく、前世のカルマも引きずりながら生きており、今生で善行を積んでばかりいる人がひどいめに遭うこともままある。(ヨブ記をヨブの前生があったと見ればそういうことも出て来よう)

3.人間は、肉体と微細身複合体であり、肉体に対しては微細身が大きく影響を与えるのだが、微細身へのコントロール手法として、まじないといましめ(呪禁)を挙げる。

針、灸は、経絡刺激なので対エーテル体療法と見られる。

4.心の病は、経と律と論と般若(知恵)と陀羅尼(マントラ)と、潜在意識も含めた知情意のコントロールで治す。

 

このような空海の人間観は、今の人間には肉体しかないという現代医学からは馬鹿にされるが、空海は宮中祭祀には、今も隠然たる威儀を有しており、後七日御修法はその一例である。

翻って、現代科学の人間観は、ノーマルでもトータルでもなく偏狭であると言える。

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空海-5-国家鎮護―後七日御修法

2024-01-18 03:41:56 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-18

◎空海と日本人の安閑

 

後七日御修法とは、もともと弘法大師空海が開始せられた真言宗による国家鎮護の御修法である。

宮中にては、正月1日~7日に神事をとり行うのに対して(先七日)、正月8日~14日の後七日に行われる仏事すなわち国家鎮護の御修法を後七日御修法と呼ぶ。

空海は、天長5年、後七日御修法において、顕教スタイルの金光明最勝王経が講義されるのを聞き、このままではいけない、本格的な祈祷もなければならないと発心したのか、翌年に上奏し、承和元年(834年)から正月8日~14日、宮中中務省で、密教の修法をとり行った。

翌承和二年、勘解由という役所を改めて真言院とし、後七日御修法を永代恒例の厳儀とし、長安青龍寺恵果より招来した法具で荘厳した壇で、空海自らが大阿闍梨を務めこの修法を行った。

以後顕密双方の法式が執り行われることになった。空海はこの年高野山にて没す。

しかしながら、南北朝の戦乱で宮中真言院が廃絶、修法も中絶。

1432年普光院将軍(足利六代将軍義教)が真言院を再興し、後七日御修法も再開。

ところがまたも室町時代の戦乱で、後花園天皇の長禄年間(1457-60)に仏事廃止となったのと同時に後七日御修法も廃止となった。

江戸時代になり、東寺長者義演大僧正の奏請で、後水尾天皇が後七日御修法の再興を勅許。1623年から宮中で恒例として行われた。

更に明治4年9月太政官令にてこれが廃止せられた。

明治16年年初より、後七日御修法が再開、以後大東亜戦争末期も含め、後七日御修法は連綿として続けられている。

(参考:密教の神秘思想/山崎泰廣/大阪書籍)

 

宮中の国家鎮護の修法そのものは、このように、何千年も継続していたわけではない。ただし、修法中断の期間に国家鎮護されていなかったわけではない。

その中断期間においては、真言宗周辺の名も知れぬ篤信者が、国家鎮護の重心を担っていたのだろうと思う。これこそ日本の奇蹟ではあるが、誰もそんなところは騒ぎ立てず当たり前だと思っているようなところが日本らしい。この辺が日本人のおひとよしを育んだのだろうか。

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空海-4-空海の仕掛け

2024-01-17 03:35:25 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-17

◎同行二人

 

もとより聖なる部分、本当のところは、言葉では語り得ず、動画でも、静止画でも描き得ない。だからといって伝達の労を取らなければ、まあ何も伝わることはない。聖なるバイブレーションは残るだろうが、それを感得できる程の感受性を持つ人は極く限られる。

 

空海の『法はもとより言なけれども、言にあらざれば顕はれず。真如は色を絶すれども、色を持ってすればすなわち悟る』(御請来目録)とは、このことを言っている。だから真言の寺では、派手な天蓋や絵や音曲や香りを用いて五感を総動員させて、法・真如についての直観を与えようとする。これは密教に対する前提知識のない大衆に密教を広めようとする仕掛け。

 

四国八十八箇所霊場を巡回するお遍路さん。

背中には、白衣に南無大師遍照金剛の黒いゼッケン。そして同行二人の遍路傘。これは、単純に歩く広告塔ということではない。肉体を持たぬ精妙なボディの空海が「呼べば」同行してくれることを約束してくれているということ。

密教系、クンダリーニ・ヨーガの修行記や伝法のいきさつを読めば、どうみても肉体を持っていないと思われるグル・師匠が、肝心のところで重要な指導をしてくれる場面に出くわすことがある。このクリティカルな指導を空海がしてくれると保証するのが同行二人なのだと思う。

長く様々なトラブルの待つ修行の道程を、最後まで面倒を見ると空海がギャランティーしてくれるのが「同行二人」なのである。これは真剣に取り組んでいる修行者への空海の仕掛け。

高野山奥の院で、空海はまだ生きているというささやきを聞いたなら、それを単純に非常識なことと退けるわけにはいかない背景がここにある。

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空海-3-不空三蔵

2024-01-16 03:28:28 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-16

◎政権との結びつき

 

空海に授法したことで、恵果のことは日本でも知られているが、恵果の師である不空三蔵はいま一つ知名度が低い。

 

不空三蔵の生い立ちは、諸説あるが、父は北インドのバラモン系の人物で、母はサマルカンド付近にいた康国人と考えられている。705年、不空が生れたが、幼時にして、両親を失い、母方の叔父に育てられた。初っぱなから不条理の巷に投げ込まれる人生を、最初から選んできたわけである。

10歳で甘粛省の武威に移り、13歳には早くも長安に入った。

幼年より出家の志を持っていた不空は、719年長安にやってきたばかりの金剛智三蔵に14歳で弟子入りし、翌年には出家した。

 

数年後、師の金剛智三蔵から金剛頂経系の密教を伝授された。

741年金剛智三蔵が入寂した。これを契機に不空は、インド、スリランカ方面に渡って、密教経典の収集を行い、普賢阿闍梨から当時のテンポラリーな密教を受法することができ、746年長安に戻った。

ここに人が亡くなると地を巡るの法則が見られる。

 

749年一旦都を離れ、広東に4年住むが、753年安禄山と並ぶ巨大軍閥であった河西節度使哥舒翰の後援を得ることに成功し、金剛頂経系の経典翻訳や布教を長安で行なうことができるようになった。

755年から763年の安禄山の乱の最中にも長安に踏みとどまり、大興善寺で護国の修法を続けた。

不空は774年、大興善寺で入寂。

 

不空は皇帝守護、国家安穏の修法を、何回も宮中内の道場にて行なったが、皇帝の支援を得るためにはこうした現世利益を見せながら、布教や修行のできる体制を維持していく方針だったと見える。

日本でも世俗権力を結びつきながら密教は護持されていくが、そもそも大衆宗教になりにくいクンダリーニ・ヨーガ系の密教が国家支配層の中で命脈を維持していったのは、中国では一旦邪宗のレッテルを貼られたら、徹底的に駆逐されがちなので、それを他山の石として、こうした方針をとったように思う。

(参考:中国密教/春秋社)

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空海-2-空海と神道

2024-01-15 03:20:12 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-15

◎別の高級神霊群との共存

 

神道家友清歓真(ともきよよしさね)によれば、空海は、弘仁二年二月一日大中臣智治麿から神道灌頂を受けた。

 

また空海の御遺告の中に、丹生津姫命という高野山周辺の土地神から高野山の寄進を受けた話がわざわざ出てくる。本来は、神道を外道として退けるのが密教の第一人者の採るべき判断だと思われるが、高野山で真実の法を守る、そして空海自身も永遠に高野山に帰るという自らの方針に沿って、神道をないがしろにせず、共存する姿勢が見える。

 

つまり空海の本音としては、密教と並んで、神道も、独自の高級神霊群を持つ、一つの確固としたクンダリーニ・ヨーガ体系として認めていたのではないかと考えられるのである。

 

また空海伝とされる神道の著述は、天地麗気17巻、両宮形文深釈二巻、中臣祓秘訓解一巻、十種神宝図一巻、丹生大神儀軌一巻他がある由。これらは、仏教側の定説としては、鎌倉期に作られた両部神道の著作とされているが、空海の神道のとのかかわりは、このように意外と深いものが感ぜられ、これらの著作を一概に空海作でないと断ずることにはやや疑問を持つ余地があるように感じられる。

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空海-1-即身成仏義の偈

2024-01-14 03:12:10 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-14

◎帝釈天の網のように世界をフルカバー

 

空海の即身成仏義の偈。

 

帝釈天の網のように世界をフルカバーする立場は、第六身体アートマンと我の合体であり、これが入我我入。帝釈天の網の結び目の宝珠に世界が映し出されるかもしれぬが、それを見ている自分が残っている限りは、即身成仏にはなるまい。

 

大意:

世界の構成元素の六大(地,水,火,風,空,識)は、融通無碍にして相互に結びつき感応している。

四つの曼荼羅に照応する世界は相互にバラバラではなく離れることがない

身口意の坐相・マントラ・心の三密で加持(仏の大悲と人の心を相互に感応させることを繰り返す)していけば、その効果は直ちに現れる。

帝釈天の網のように世界をフルカバーしたのを即身成仏と名づける。

 

法のままにあらゆる智恵を得ているが

心の作用、心の主体は、あまりにも多すぎる。

五智のすべてと仏智を備えているとは、

欠けることのない智恵であるので、あるがままにさとる智恵である。

 

書き下し

『六大無碍にして常に瑜伽なり  (体)

 四種曼荼各離れず       (相)

三密加持すれば速疾に顕はる  (用)

重重帝網なるを即身と名づく  (無碍)

 法然に薩般若を具足して

 心数・心王、刹塵に過ぎたり

 各五智・無際智を具す

 円鏡力の故に実覚智なり   (成仏)』

 

※四曼荼羅:

1.諸尊の形像を描いた大曼荼羅、

2.諸尊の持物や印契を描いた三昧耶曼荼羅、3.諸尊の真言・種子などを示した法曼荼羅、4.諸尊の威儀・動作を表した羯磨曼荼羅。

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前世記憶-4(マイケル・クライトン)

2023-12-29 03:43:24 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-13

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-3-前世記憶-4(マイケル・クライトン)

 

(f)マイクル・クライトン(ハーバード大卒の医学博士。小説家としてジュラシック・パークなどを著す。)は、瞑想テープによって変性意識状態になり、もう一つの生涯の感覚がイメージとして来るのを待つと、ローマ時代の剣闘士の生涯のイメージが出てきた。このローマ時代の生涯のイメージは、マイクルにとっては、全然前世記憶なんかではなく、真面目にラテン語を勉強すれば誰でも作れるイメージに過ぎないと見ていた。

マイクルは、過去のローマ時代のある人格に気持ちが目茶入っていったとしてもそれは、自分の前世かどうかわからないとした。それについて、前世ではない他の説明もできるのだ。

(参考:インナー・トラヴェルズ 上・下/マイクル・クライトン/早川書房)

マイクル・クライトンは、浮かび上がった前世記憶とされるビジョンについて、冷静な判断をしているように思う。

 

前世記憶と言えば、個人Aが何千年間に何回転生しても個人Aとして転生するように何となく考えるものだが、転生後は、個人A`になったり個人Bになったり(蝶になる:荘周胡蝶の夢)、消えてなくなったり(紀元0年の世界人口は約2億人だったと考えられているのが、今は約80億人に増えている。その増えた魂はどこから転生してきたのだろうか。)しているのではないだろうか。

霊の世界は、1+1が必ずしも2ではなく、100になったり、0になったりする世界なのだろう。それを前提にダンテス・ダイジは、前世記憶は個人の記憶からも遡れるし、ダイレクトにアカシックレコードからも知ることができるなどと言っているのだろう。おまけに既述の霊界での過去現在未来の法則からは、過去世自体もどんどん変貌しつつあるとくれば、とてもではないが、常識的社会人の想像できる世界ではないように思う。

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前世記憶-3(未来透視実験)

2023-12-28 03:41:33 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-12

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-3-前世記憶-3(未来透視実験)

 

(e) サンフランシスコのヘレン・ウォンバックは、退行催眠で過去世に遡れるように、29年間をかけ約2500人もの人々に、未来を退行催眠で見ることにチャレンジさせた。この未来透視実験はアメリカとフランスで行われた。

この結果、ほとんど全員が地球の人口が激減していることを確認した。指定された様々な未来の時代に自分は肉体として存在しさえしていなかったと語る者も多かった。

『それに加え、被験者は、それぞれが異なった未来と関連している四つの分類に見事に分かれたのである。

一つのグループは、ほとんどの人間が宇宙ステーションに住み、銀色っぽい服を着て、人工食品を食べているという、よろこびも感じられぬ味気ない未来を語った。

もうひとつのグループ「ニューエイジ派」は、今よりもずっと幸せな、自然環境の中でのより自然な生活を報告し、そこでは人々が互いに調和のとれた生き方をして、何かを学ぶため、そして霊的な進化のための生活が営まれていた。

第三のタイプ、「ハイテク都会派」は、人々が地下都市あるいはドームや巨大な泡のような屋根でおおわれた都会に住んでいる殺伐とした機械的未来を語った。

第四のタイプは、大災害を生き延びた人々で、地球規模のなんらかの災害(おそらく核戦争だろう)に襲われた後の世界に生きている。このグループの人達は、都市の廃墟から、洞窟、あるいは孤立した農場まで様々な形態の住居に住んでおり、手縫いの簡単な服(毛皮製が多い)を着て、食べ物の多くを狩猟に頼っていた。』

(ホログラフィック・ユニヴァース/マイケル・タルボット/春秋社P305-306から引用)

 

この話は、個人Aの輪廻転生がずっと個人Aとして繰り返されるのがほぼ前提で、仏説のように動物、無生物には輪廻転生しないらしい。また被験者には、輪廻転生を認めないキリスト教信者も含まれているだろうから輪廻転生があるということでよいのだろうか。

また四種の生活環境は、現代人の想像するような生活形態ばかりだが、例えば、室町時代の人間が、現代の飛行機に乗ったり、海底トンネルを列車で通ったり、家電に囲まれた生活を想像することすらできないだろうことを考えると、眉唾物の印象はある。

翻って、現代人の想念としての『現実』というものが、五感に加え、マスコミ、口コミ、スマホ、ネット、教育、政治洗脳、宗教洗脳、商業洗脳などで仮に構成されたものに過ぎないということの反証でもある。すなわち過去世遡及時の過去世も、未来の現実も、今の現実感の延長線上のビジョンしか浮かんでいないということである。

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前世記憶-2(過去世を遡上)

2023-12-27 03:40:11 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-11

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-3-前世記憶-2(過去世を遡上)

      

(d)トロント大学医学部のジョエル・ホイットン博士は、退行催眠によって自分の前世の記憶らしいものを思いだす実験を30人ほどに対し行った。

過去世をどんどん遡っていき、ある段階の過去世(原始人の前世)まで退行すると、そこからは、一つの前世が他の前世と区別がつかなくなる。

そして被験者全員が魂には男女の性別がないとし、彼らの多くは少なくとも一度は今の性とは違う性として生きた経験があると語る。

またまた彼らを、生と生の中間領域に退行させた。そこは光に満ちたエリアで、我々が知るような意味での時間も空間も存在しせず、次の人生を計画させるため、つまり将来発生する人生上の重要な出来事の概略を本人に決めさせるために存在すると、被験者たちは語る。

    (参考:ホログラフィック・ユニヴァース/マイケル・タルボット/春秋社)

 

この例は、各人が中有まで行ったようだが、性の区別がなくなる微細身レベルというのはあるものであって、そこで見たのが単に今の自分の微細身であって、過去世だとは言い切れないところはある。またチベット密教の記述によれば、中有とはいわば微細身もない状態(意成身)とも考えられるから。

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前世記憶-1(本山博、ダンテス・ダイジなど)

2023-12-26 03:29:55 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-10

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-2-前世記憶-1(本山博、ダンテス・ダイジなど)

 

(2)前世記憶

(a)前提

まず大悟覚醒せず霊界にいる人間の時間感覚と、大悟覚醒して世界全体と合一した場合の時間感覚は全く異なる。

次に 現実世界の人間の時間感覚は、現世はリアル、過去世の人生と未来世の人生はドリームである。

      

(b) ダンテス・ダイジの前世記憶

ダンテス・ダイジは記憶へのアクセス方法は、個人の記憶を遡る方法とアカシックレコードに直接アクセスする方法があり、後者の方が速いという。

 

(c) 本山博の前世記憶

現代の医学では、脳と関連なしにはいかなる意識も経験も成立しえないという唯物論的医学が支配している。

本山博は、個人のカルマの種子と記憶(経験)が貯蔵されているところは、肉体の脳だけでなくメンタル体(カラーナ)にもアストラル体にもあると言っている。

これを踏まえると、自分の思い込みでない過去世のことも語れる人がいるが、こうした人は、メンタル体ないしはアストラル体に保管された過去世記憶を脳の意識野に映写せしめそれを描写するものであろう。ところが今生以前の情報とは肉体以前の情報であるから脳由来の情報ではない。よって過去世情報の場合は、脳は単なる映写スクリーンの機能しか果たしていないということになる。

一方で脳は、その生で誕生以来の出来事を記憶として(本山博は退行催眠でそこまで遡行できる可能性をいう)、またその時の肉体や心理の情報をも保持しているものだから、その点では単なるスクリーン以上の機能をも果たしている。

脳の意識野は、現世と過去世双方の情報、および肉体由来の情報とスピリチュアル・ボディ由来の情報が行き交う「関」のようなものである。

     

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予言、予知

2023-12-25 03:31:42 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-09

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-2-予言、予知

 

(1)予言、予知

ESP、サイ、予知夢など人間には五感を越えた能力があり、近親者に係る夢知らせなどは身近なものである。

    こうした超能力の類は、一般人でも起こり得る。その頻繁な事例は、クンダリーニ・ヨーギだけに特異なものでなく、只管打坐で悟りを開いた人にでも見られるものであって、只管打坐者クリシュナムルティが時おり見せる霊能力はその一例である。超能力、あるいは神通力というものは、古い書物を紐解くまでもなく、覚者の開悟に随伴して起こる能力であって、それ以上気にしたり追及したりするものではないと思う。

また超能力者、霊能力者の時間認識は特異なものなので、『予知とは未来を創りだすこと』(マクモニーグル)という原則に沿って、予言、予知が行われる。ダンテス・ダイジは、予言した瞬間に予言内容はズレると語っているが、それはマクモニーグルと同じことを言っている。

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超能力についての概説

2023-12-24 03:09:38 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-08

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-1-超能力についての概説

 

ここで、超常現象とオカルトを機能面から「超能力系」「霊能力系」「カルマ」「超古代史と宇宙人」の4区分に分けて述べてみる。これらは悟りと関係ないので、本来詳述する必要のないものだが、巷説では幽霊が見える人の比率は、50年前は1割と言われていたものが、最近の若者では、ゲームのやり過ぎや一部の薬剤の影響のせいか25%にまで上昇している説(霊体の臍に穴が開いている)まであるそうなので、垂直の道の印象をつかんでもらうためには有用かもしれないと考えて書き起こすもの。

 

1.超能力系

超能力とは、天眼通、天耳通、他心通、宿命通、神足通などのこと。

超能力を、自分の欲のために用いるのか、悟りを開いた人のように超能力を他人のためにのみ用いるのかは、真っ先に問われる事柄である。垂直の道を究めた人の生きる姿は後者である。

 

第六身体アートマンは、世界のすべてのすべてであり、過去現在未来が一体になった時間と空間のすべてである。

これにアクセスして予言などをした場合、第六身体のことをアカシックレコードと呼ぶこともある。

また例えば、神が許し給えば、その超能力である惑星を破壊することも可能だが、それでこの世的なものに未練を残さず納得できるかどうかはわからないのではないか。超能力とはそういうもの。この世的なものに未練が残っていれば悟りはない。

その一方で超能力はカルマに制約されるし、微細身レベルでは微細身レベル特有の法則、ルールがあるもので、それに沿った形でしか超能力は行使できない。

また、先に身に余る財産、権力、栄誉を受ければ、後にそれに見合う善根を積まねばならないという法則もある(功過格)。

一方聖者は、その超能力を天機天命に則ってしか行使できないし、我欲で用いることはない。いわんや一般人が、競馬や株や相場の予想に超能力を用いるなどは天則違反であり、それらは後の反作用を恐れぬ所業である。

そもそも人は生れ落ちる時に一生分の食い扶持は背負って出てきている。病人は食べなくなったら終わりが近いなどとも言う。神仏はリッチかどうかを高く評価しているわけではないので、その食い扶持を先に手にするか後で手にするかだけの違い、という見方もできる。

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世界統一しようとする動きと国家意識のせめぎあい-2

2023-12-19 03:12:53 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-07

◎社会主義を沢山加味した宗教

 

世界統一勢力と国家意識のせめぎ合いに関する出口王仁三郎の追加意見。

『出口氏『矢張り然し、人類愛の上から見ても、世界に対する所謂人類愛と、国家に対する愛と、郷里に対する愛と、家族に対する愛と、個人に対する愛といふ様に、段々小さくなつて来る。日本国民としては国家に対する愛が必要であり、又広汎的に云へば世界一般の人間に対する愛が必要である。焦眉の急を要する問題として一番どれが主であるかと云へば、自分の祖先の墳墓の国である。これを愛するのが一番急務であり、大切な事であると思ふ』』

(出口王仁三郎全集 第1巻皇道編第6篇第6章 挙国更生から引用)

 

これは、大地震や大災害時に誰を真っ先に救うかという議論の延長線上にある見方である。誰か一人しか救えないとすれば、まず最も身近な者を救うのではないかと示している。世界と国をどちらを優先して救うのかと言えば、より身近な国であると示している。だがこれは、この選択をする根拠としては薄弱であり、出口王仁三郎は、「国家意識のある宗教といふものは魂の向上した人でないと分らん」と突き放している。

曰く、人間の霊魂にも階級があり、信仰の程度にも階級があり、各人は階級相応のことしかわからないが、それでよいのだと。

地球ロゴスには、永遠不壊である国家のイデアがあり、それを無視してかかる勢力は滅びるということなのだろうか。

そのヒントとしてユダヤ勢力の世界統一の野望が挙げられる。

『また一つの邪気が凝り固まつて鬼の姿をして発生したのは、猶太の土地であつた。この邪鬼は、すべての神界並びに現界の組織を打ち毀して、自分が盟主となつて、全世界を妖魅界にしやうと目論みてゐる。』

(霊界物語 第1巻第2篇 幽界より神界へ 第18章 霊界の情勢から引用)

 

社会主義多く加味せる宗教は我皇国に具はぬ曲道

国家意識夢にも説かぬ宗教の末路近みて木枯寒し

(出口王仁三郎。出典:大本史料集成2第2部 昭和期の運動第2章 昭和神聖運動 第2節 昭和青年誌(抄))

 

世界観と言えば簡単だが、万人が神知る時代は、国家があるのは自然かどうかということに議論は収斂していくのではないかと思う。千年王国時代の世界には国家があるべきなのか。あったほうが、繊細で豊穣で、楽しさの広がりがあるのではないかと思う。その辺の判断が、「魂の向上した人でないと分らん」という点なのだろう。

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世界統一しようとする動きと国家意識のせめぎあい-1

2023-12-18 03:11:07 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-06

◎赤いフリーメーソン

 

最近、GAFAなどのグローバルIT企業、無国籍企業で有力な企業(食品、石油など)が世界で大活躍。将来のワン・ワールドを意識してか知らずか国籍や国境がないことの方がよいような宣伝報道がメディア、ネットに散りばめられていることにお気づきだろうか。

mars火星は赤で、顔の赤い猿のような者の世界統一は、さまざまな予言で見かけるものであって、赤い楯もその流れ。その統一の先に次のステップがあることも言われている。

世界を統一しようとする動きには、当然にその統一に逆らうパワーのメカニズムが働く。それが国家意識。

 

最終的には万人が神知る社会となることを前提に、出口王仁三郎は国家意識について、次のように述べている。

『出口氏『それはな、国家意識のない宗教は自然消滅しなければならぬ。今に神の政治になつてくるから、これは自然に自滅して来る、国家意識のないものは人間が相手にしなくなる。皆が更生すればさう成つて来るが、然しそれをやつつけて了ふのはいけない。一人あればみんなついて来る。大本も今は沢山ゐるが、元は教祖さん一人だつたからな。一人が八ケましく叫ばれた事がかうなつて来るのだから、矢張りこれは一人でもよいが、これ丈の団体が出来て、それが叫ぶといふ事は大変な力である、大変な効力がある事だと思ふ。

愛善会を唱導して居つて余り外の宗教がどうだとか、かうだとか云へないけれども、国家意識のない宗教は総て何教によらず、日本に於ては成立しない。自滅する事は定つて居ると信ずる』』(出口王仁三郎全集 第1巻皇道編第6篇第6章 挙国更生から引用)

※更生:神を知ること。

 

ここは、出口王仁三郎は、国家意識のない宗教は総て、日本では自滅すると信ずると、断定的ではない言い方である。

だが、これは世界を統一しようとする勢力にとっては一石を投じることになる発言である。

この世界統一勢力と国家意識のせめぎ合いの議論には、さらに追加の説明が続く。

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