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R.シュトラウスの続き

2006-10-06 23:44:11 | 日々のこと(音楽)
ですが、前にシュワルツコップについてブログで触れたこととも関係して、R.シュトラウスのナチス関与疑惑というのがあります。前に書いたように「現代の我々が当時の人のナチス関与を追及しようと思ったなら、当時自分がその状況にあるつもりほどの覚悟で考証に臨む必要があるのでは?」という感覚が私にはありますが、最近その感覚の網に引っかかった一冊の書物がありました。それは山田由美子著の「第三帝国のR.シュトラウス―音楽家の“喜劇的”闘争」という本です。

著者によるとこの本は「ユダヤ人台本家ツヴァイクとの共作喜劇オペラ『無口な女』を、当時ナチスの帝国音楽局総裁だったシュトラウスがなぜヒットラーとゲッベルスに逆らってまで上演強行したのか?そのリスクを冒すことにどんな意義があったというのか?」という疑問を解くために調査した結果をまとめたものだそうです。

本の結論を拙い文で数行で書いてしまうのはマナー違反のような気がするので、興味ある方はぜひ原本を読んでいただきたいのですが、と言いながら話を先に進める必要上多少書きますが、要するに「内なる欲球を抑えられるのは耐え難かった」ことと「ヒットラーも一目置くほどの名声と力がシュトラウスに備わっていた」ということが綿密な考証のもとに展開されています。その「内なる欲球」がどんなもので、どんな起源や意味があったのかなども論じてあります。

メインの推論については他の説も紐解く必要があるかと思いますが、考証の過程で示される資料は大変興味深いものでした。それによるとR.シュトラウスが単純な「人生の勝利者」ではなかったことがわかります。これは外面と内面の両方があります。外面的には、なまじ超有名実力者であることから仲間に引き込もうとするヴィルヘルム二世やヒットラーをかわすことに相当の精力を注ぎこまざるを得なかったこと。内面では、一般に外面的には黄金コンビと思われている相棒の脚本家ホフマンスタールとの芸術方向の違いという内なる軋轢があります。これらについて、本当の支持者であるがゆえの歯に衣を着せぬロマン・ロランのシュトラウス批評も頻繁に引用されています。

詳しくは本を読んでいただくとしましょう。いずれにせよR.シュトラウスの音楽とりわけ後半生のオペラ群を、知っているものは再度、知らないものも意欲的に鑑賞してみたいという気になりました。いつになるかわかりませんがまたその感想は書いてみたいと思います。
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