屋内が外界の自然と繋がっている感じがします。ガラス一枚、障子一枚、あるいは開け放しにしていたり。一方、洋風建築は(最近の日本の家も)外に出てはじめて雨と気付くほど外界から遮断されていて、外に出なければ自然との交わりが疎くなります。冷暖房的には漏れが少なく温度コントロールされていてエコですが。
冬休みの帰省中の暖房は懐かしい石油ストーブ。そっちを向いていれば体の前面は暖かいのですが、背面は壁に向かっての放射冷却で外界の寒さが感じられます。温度コントロールは手動。暖かすぎると思えば戸を開けて調節。それでも実は一番好きな暖房です。何より音がしないのが好きです。ヤカンを載せておけば加湿にもなりますし、好きなときにお茶が飲めます。餅もスルメも焼けます。囲炉裏みたいな感覚です。放射だけでなく対流も使ったパワーのある暖房なので、しばらくすると壁も含め部屋全体が暖かくなります。灯油がなくなれば足さなければならないのが手間といえば手間ですが...給油口を見ると「ガソリン使用禁止」とあります。そりゃそうですね。ガソリン入れたら火事になっちゃいますね。
それを見て、原油からガソリンと灯油を分離する工場を思いうかべました。空港の近くでよく見る、大きなパイプでいっぱいのプラントです。
それで思ったのですが、地面を深く掘削して原油を採って精製するなんて、最初の人はどうやってそんなことに気がついたのでしょうか?
検索してみると、たとえば石油技術協会の掘削技術の歩みには歴史順に
・石油またはガスの古い記述:ヘロドトス著書、中国孔子時代の記録
・天智天皇時代に越の国から“燃える水”と”燃える土”が献上されたこと
・井戸掘り技術は西暦1200年頃中国で竹を使った450メートルの井戸があること
・岩塩水採取時に副産物である天然ガスが使われたこと
・石油採取目的の最初の井戸が1734年フランスで掘られたこと
ただし日本でも1615年に油井掘削の記録があること
・以後の油田の近現代史
といったことが書かれていました。
一方、昨日帰宅したらファミリーヒストリーという番組をやっていて、なんでも小林幸子の実家では井戸水に溶けている天然ガスを自前の簡単な器具で分離し、燃料として使っていたそうです。そんなに身近なことなんですね。どうやってそんなことに気がついたんだろうなんていうのは、文明の利器に慣れすぎた現代人の発想なのかもしれませんね。
冬休みの帰省中の暖房は懐かしい石油ストーブ。そっちを向いていれば体の前面は暖かいのですが、背面は壁に向かっての放射冷却で外界の寒さが感じられます。温度コントロールは手動。暖かすぎると思えば戸を開けて調節。それでも実は一番好きな暖房です。何より音がしないのが好きです。ヤカンを載せておけば加湿にもなりますし、好きなときにお茶が飲めます。餅もスルメも焼けます。囲炉裏みたいな感覚です。放射だけでなく対流も使ったパワーのある暖房なので、しばらくすると壁も含め部屋全体が暖かくなります。灯油がなくなれば足さなければならないのが手間といえば手間ですが...給油口を見ると「ガソリン使用禁止」とあります。そりゃそうですね。ガソリン入れたら火事になっちゃいますね。
それを見て、原油からガソリンと灯油を分離する工場を思いうかべました。空港の近くでよく見る、大きなパイプでいっぱいのプラントです。
それで思ったのですが、地面を深く掘削して原油を採って精製するなんて、最初の人はどうやってそんなことに気がついたのでしょうか?
検索してみると、たとえば石油技術協会の掘削技術の歩みには歴史順に
・石油またはガスの古い記述:ヘロドトス著書、中国孔子時代の記録
・天智天皇時代に越の国から“燃える水”と”燃える土”が献上されたこと
・井戸掘り技術は西暦1200年頃中国で竹を使った450メートルの井戸があること
・岩塩水採取時に副産物である天然ガスが使われたこと
・石油採取目的の最初の井戸が1734年フランスで掘られたこと
ただし日本でも1615年に油井掘削の記録があること
・以後の油田の近現代史
といったことが書かれていました。
一方、昨日帰宅したらファミリーヒストリーという番組をやっていて、なんでも小林幸子の実家では井戸水に溶けている天然ガスを自前の簡単な器具で分離し、燃料として使っていたそうです。そんなに身近なことなんですね。どうやってそんなことに気がついたんだろうなんていうのは、文明の利器に慣れすぎた現代人の発想なのかもしれませんね。
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