この記事によれば、ハットーCD捏造の件を当人(ハットーのダンナさん)が認めたようです。本人談要訳しますと「ハットーの演奏をカセットで販売していたが、CDが出現し、ハットーの演奏は売れなくなった。カセット録音をCDに焼き直しても評論家には無視され、CDのために最新録音する必要があった。そうして行った録音に次ぐ録音は不治の病にあったハットーの死期を早めただけだった。このまま彼女は不当に認められずに終わるのかと思っていたとき、EMIの録音でKirsten Flagstadが高音が出ない部分をシュワルツコップが補っていたのを思い出し、似たことができないかと考えた。それ以降は転落を辿った」
感想を4つ。
したことは許されないことであることは当然として、また上の話を信ずると仮定して・・・ドラマを感じます。松本清張やコロンボシリーズのいくつかのように、悲しい人間の性が動機となっていて、不謹慎な言い方をすれば、小説化あるいは映画化したら高級なものになりそうな気がします。昨今の動機わけわからず事件と違う感じがします。
その二。こういうことは、最初に魔が差したときが肝心ですね。小さな一歩を踏み出したら、あとは他人から指摘を受けるまでエスカレートを止める理由がないのでしょうね。自分あるいは家族が不当に扱われたと思ったとき、このくらいの埋め合わせは許されるんだ、と感じたときこそ、本当に許されることなのか客観視することが重要なのですね。
その三。グラモフォンの記事を読むと、「事実を指摘したいだけで彼を訴える気はない」という録音会社関係者の話が目立ちます。うがった見方をすれば、上のEMIのようにある程度のデータ改ざんは行われていて、追及するといろんなことがずるずる出てくるのかもしれません。アナログ録音時代に聞いたのは、ミスタッチを別の録音のテープ切り貼りで直すという話でした。そんなことできるのかと私はオープンリールテープで試したことがありますが、素人には無理です。切り貼りしたところは聴けば必ずわかります。しかし録音会社ではやっているという噂が絶えませんでした。そうならアーティストは自分で検証すべきで、録音会社に任せてはいけませんね。
その四。検証はたとえば(1)デジタル録音ソフトのオシロスコープ機能による波形比較と(2)ミスタッチの完璧な一致の確認などでできます。しかしそうとわかってしまえば、第二のハットー事件を起こしたい人がいたとすれば対処は簡単でしょう。(1)は何らかの波形変換でできるような気がします。(2)は、古くはロールピアノでは簡単で、ミスタッチの穴をふさぎ、正しい音程(あるいはタイミングと強度情報の位置)に穴をあければよい、という話を聞いたことがあります。穴あけ紙テープ式オルゴールのようなものですね。デジタル技術になった今ミスタッチの修正は困難ではなくなったのかもしれません。逆に「ありもしないミスタッチをわざと入れる」という手の込んだことも考えられるかもしれません。技術が進むと見破るのは容易ではなくなる恐れを感じます。
さて、ジョイス・ハットー自身に非難の矛先を向ける人は皆無です。死後のことなので当然でしょう。マニアにハットー録音(本物も偽物も?)入手の動きも出ているようです。これでハットーが有名になったら、はからずもダンナさんの望みは-全く別の方向から-成功したことになるでしょう。人間ドラマとは不思議なものです。
感想を4つ。
したことは許されないことであることは当然として、また上の話を信ずると仮定して・・・ドラマを感じます。松本清張やコロンボシリーズのいくつかのように、悲しい人間の性が動機となっていて、不謹慎な言い方をすれば、小説化あるいは映画化したら高級なものになりそうな気がします。昨今の動機わけわからず事件と違う感じがします。
その二。こういうことは、最初に魔が差したときが肝心ですね。小さな一歩を踏み出したら、あとは他人から指摘を受けるまでエスカレートを止める理由がないのでしょうね。自分あるいは家族が不当に扱われたと思ったとき、このくらいの埋め合わせは許されるんだ、と感じたときこそ、本当に許されることなのか客観視することが重要なのですね。
その三。グラモフォンの記事を読むと、「事実を指摘したいだけで彼を訴える気はない」という録音会社関係者の話が目立ちます。うがった見方をすれば、上のEMIのようにある程度のデータ改ざんは行われていて、追及するといろんなことがずるずる出てくるのかもしれません。アナログ録音時代に聞いたのは、ミスタッチを別の録音のテープ切り貼りで直すという話でした。そんなことできるのかと私はオープンリールテープで試したことがありますが、素人には無理です。切り貼りしたところは聴けば必ずわかります。しかし録音会社ではやっているという噂が絶えませんでした。そうならアーティストは自分で検証すべきで、録音会社に任せてはいけませんね。
その四。検証はたとえば(1)デジタル録音ソフトのオシロスコープ機能による波形比較と(2)ミスタッチの完璧な一致の確認などでできます。しかしそうとわかってしまえば、第二のハットー事件を起こしたい人がいたとすれば対処は簡単でしょう。(1)は何らかの波形変換でできるような気がします。(2)は、古くはロールピアノでは簡単で、ミスタッチの穴をふさぎ、正しい音程(あるいはタイミングと強度情報の位置)に穴をあければよい、という話を聞いたことがあります。穴あけ紙テープ式オルゴールのようなものですね。デジタル技術になった今ミスタッチの修正は困難ではなくなったのかもしれません。逆に「ありもしないミスタッチをわざと入れる」という手の込んだことも考えられるかもしれません。技術が進むと見破るのは容易ではなくなる恐れを感じます。
さて、ジョイス・ハットー自身に非難の矛先を向ける人は皆無です。死後のことなので当然でしょう。マニアにハットー録音(本物も偽物も?)入手の動きも出ているようです。これでハットーが有名になったら、はからずもダンナさんの望みは-全く別の方向から-成功したことになるでしょう。人間ドラマとは不思議なものです。
解剖学の論文は写真が命だった時代が長かったのですが、今や、写真は最初からデジタルで撮影しますから、いくらでもいじれます。まあ、ピアノロールの例のように、昔でも暗室でいろいろ技術を駆使してごまかしをやってはいたのですが、今やPC上でphotoshopを使えばどんな嘘の写真でも作れます。
音楽に関してはグレン・グールドのコンサート・ドロップアウト以来、レコード、CDを信じることができるのか?という問題は常に語られてきたと思います。CDをいくら捏造で作っても、コンサートでのパフォーマンスと違いすぎるとすぐにばれるでしょうが、コンサートでは弾かない、というプレーヤーの場合、その検証を不可能にしているわけですから。
最近ではめっきりCDを聴かなくなったので、あまり気にならなくなりました。だんだんに、他人の演奏を聴くことより、自分が演奏することが大事、という感覚になってきたようです。そういえば研究でもだんだん他人の論文を読む時間が減ってきたような。老化現象でしょうか?
先日あるシンポジウムのパネルで外人教授が「誰でも40才までは論文を読んで新情報を得て40過ぎると人の話を聞いて情報を得るようになるでしょうが・・」と言って笑わせていました。ある程度仕方がないでしょうが、それも運命と諦めたくない気もします。