という楽器、知ってますか?と言ったら失礼ですね。見た目はヴァイオリンよりわずかに大きく、調弦はヴァイオリンより5度低い、あるいはチェロより1オクターヴ高い弦楽器ですね。おそらく弦楽器と言われて普通の人がイメージする順番はヴァイオリン、チェロ、コントラバス(ジャズではベース)、ヴィオラとなりそうな、一番地味な楽器でしょう。
私は自分では弦楽器を弾けませんが、このヴィオラが結構好きなのです。そもそも中声部を受け持つヴィオラはほとんどの時間音楽の内声部を受け持つわけですが、実は音楽をやっていてこの内声部を鳴らすことこそ醍醐味ではないかと思います。合奏で聴いても、肩肘張らない甘い音色。ソロで聴いても、少し鼻にかかったような人間の声みたいな音色。ヴァイオリンやチェロはカッコいいですが、カッコよくあらねばならない宿命(ピアノもそうですが)もある感じで、ヴィオラはそれからはフリーである点が有利ですらあるように思います。五島みどりやハイフェッツである必要はない、デュプレやシュタルケルである必要もない、バシュメットや今井信子なのです。(バシュメットは少しカッコいいですが。またもちろんバイオリンやチェロにも癒し系はいますが。シェリング、パールマン、フルニエ、ビルスマなど。)
問題はヴィオラの曲が(少なくとも知られた曲が)あまりにも少ないことでしょう。ヨハン・クリスチャン・バッハのヴィオラ協奏曲やイタリアのハロルドなんかはいい曲ですね。
さてそのヴィオラのためのソナタ、大バッハが3曲書いています。やはりバッハの曲としても癒し系の朴訥な曲です。これを、あのグレン・グールドが録音を残しています。グレン・グールドが弾くバッハ、大好きです。けど、このヴィオラソナタの演奏、墨をポタ、ポタ、垂らすような、素朴といえば素朴なんですが、ちょっと意図がわからない演奏です。ヴィオラの人(覚えていない)も明らかにグールド節に巻き取られた演奏です。将来私が成長して意図がわかるときが来るかもしれませんが。
そのことを思い出し、最近ネットでこれの楽譜を買いました。見ると、バッハのバイオリンソナタなんかもそうですが、伴奏部に余計なスラーがいっぱい書いてあるので困ります。チェンバロのためでなく通奏低音でなぞるときに便利なのでしょうか。
ご存じと思いますが鍵盤楽器と弦楽器ではスラーの意味が全く違います。弦楽器のスラーは「1ボウイングで弾け」という「動作指令記号」で、メロディーや分散和音の一区切りとは関係ありません。ピアノの方はもっと感覚的なもので、基本は「スラーの範囲はレガートで弾け」なのですが必ずしもそうとは限らず、楽想のひとかたまりを表します。だから細かなスラーから何段にも渡る長大なスラーもあったり、スタッカートや休符も含むようなスラーもあり得ます。
さて、話を戻さないと何が言いたいんだかわからないブログになって来ましたが、要するに、ヴィオラは地味ですがいいですよぉ、ということかな。あとヴィオラのための曲が少なすぎるから、あまり先鋭な現代音楽でなくてもいいから作曲家はもっと書け、ということかな。
私は自分では弦楽器を弾けませんが、このヴィオラが結構好きなのです。そもそも中声部を受け持つヴィオラはほとんどの時間音楽の内声部を受け持つわけですが、実は音楽をやっていてこの内声部を鳴らすことこそ醍醐味ではないかと思います。合奏で聴いても、肩肘張らない甘い音色。ソロで聴いても、少し鼻にかかったような人間の声みたいな音色。ヴァイオリンやチェロはカッコいいですが、カッコよくあらねばならない宿命(ピアノもそうですが)もある感じで、ヴィオラはそれからはフリーである点が有利ですらあるように思います。五島みどりやハイフェッツである必要はない、デュプレやシュタルケルである必要もない、バシュメットや今井信子なのです。(バシュメットは少しカッコいいですが。またもちろんバイオリンやチェロにも癒し系はいますが。シェリング、パールマン、フルニエ、ビルスマなど。)
問題はヴィオラの曲が(少なくとも知られた曲が)あまりにも少ないことでしょう。ヨハン・クリスチャン・バッハのヴィオラ協奏曲やイタリアのハロルドなんかはいい曲ですね。
さてそのヴィオラのためのソナタ、大バッハが3曲書いています。やはりバッハの曲としても癒し系の朴訥な曲です。これを、あのグレン・グールドが録音を残しています。グレン・グールドが弾くバッハ、大好きです。けど、このヴィオラソナタの演奏、墨をポタ、ポタ、垂らすような、素朴といえば素朴なんですが、ちょっと意図がわからない演奏です。ヴィオラの人(覚えていない)も明らかにグールド節に巻き取られた演奏です。将来私が成長して意図がわかるときが来るかもしれませんが。
そのことを思い出し、最近ネットでこれの楽譜を買いました。見ると、バッハのバイオリンソナタなんかもそうですが、伴奏部に余計なスラーがいっぱい書いてあるので困ります。チェンバロのためでなく通奏低音でなぞるときに便利なのでしょうか。
ご存じと思いますが鍵盤楽器と弦楽器ではスラーの意味が全く違います。弦楽器のスラーは「1ボウイングで弾け」という「動作指令記号」で、メロディーや分散和音の一区切りとは関係ありません。ピアノの方はもっと感覚的なもので、基本は「スラーの範囲はレガートで弾け」なのですが必ずしもそうとは限らず、楽想のひとかたまりを表します。だから細かなスラーから何段にも渡る長大なスラーもあったり、スタッカートや休符も含むようなスラーもあり得ます。
さて、話を戻さないと何が言いたいんだかわからないブログになって来ましたが、要するに、ヴィオラは地味ですがいいですよぉ、ということかな。あとヴィオラのための曲が少なすぎるから、あまり先鋭な現代音楽でなくてもいいから作曲家はもっと書け、ということかな。
ヴァイオリンとチェロは、今やサイズが決まっていますし、各部の寸法も標準があります。理想の楽器はストラディバリ。ところが、ヴィオラは、理想的な音響を求めて作ると、あの格好で持って弾けないサイズになってしまいます。それで、演奏可能という制限の中で楽器製作が行われていて、寸法に大変なヴァラエティがあります。日本人の女性はだいたい、胴長が400ミリ弱でしょうか。今井さんは小さい体で無理して大きい楽器を弾いているように見えます。クレモナの銘器にも大きいものはあまりないのです。大きい方がヴィオラらしい音がする、という傾向はあるようです。
息子は背は180センチくらいですが、腕と指が非常に長く、胴長430ミリという最大サイズでも余裕を持って弾けるのです。ところが、そんな大型のヴィオラは国内には滅多に来ない。そこで、お父さんが作ってあげよう、というわけで、425ミリのヴィオラを作りました。これより大きいとケースが無いし、買ってきた材木の寸法による制限でこの大きさです。息子と二人でああでもない、こうでもないといいながら息子の体に合わせて設計して作りました。まあ、これまでに弦楽四重奏分の楽器を作ってきたし、自分のチェロも自作だし、だいぶ慣れてきました。
先日、白木完成して、ニスを塗る前に弾ける状態にして夏休みで帰省していた息子に弾かせたら、結構気に入った様子。低音が無理なく鳴ります。これをしばらく弾いてくれたら、経済的なんだけどな。とても良い材木を買いましたが、全部で10万円もかかっていませんから。いま、心を込めてニスを塗っているところです。着色のオイルニスを10回ほど塗り終わって、上塗りの透明ニスを1日1回塗っているところです。
息子がオーケストラのパート譜を練習しているのを聴くと面白いですね。ベートーヴェンの運命のヴィオラパートは、こんなことやってたんだ、ものすごく難しいんだ、などと感心して聴いています。コンチェルトなどとは違う超絶技巧で、アマチュアに弾けるとは思えません。