友、音信不通

2006年10月16日 | 健康・病気
彼との出会いは私が40歳のときにパソコンを買い、
パソコン通信を始めたときで、
ニフティーサーブの「メール友だち募集」というようなコーナーに、
書き込んであったものに私がメールを送ったのだった。

京都で暮らす私と同じ歳の男性、彼は離婚をしていて独身だった。
その頃私は中学生の息子2人と女房と貧しい生活をしていた。
中小企業で働く私。
彼は、名の通った大きな会社で働いていた。
高卒の私とすれば、京都の有名私立大学卒業の彼が眩しかった。

月に何回かメール交換をした。
そしてその年の夏に私が京都に行った。
彼は車で京都駅まで迎えに来てくれた。
それから彼のふるさとの琵琶湖までドライブして京都に戻り、
三千院の近くの寺にいった。
彼と話していて終わりがなかった。
何十年も付き合ってきたように語り合った。
夜は木屋町で痛飲した。

それからも頻繁ではないがメール交換はしていた。
どちらかといえば電話で話すほうが多くなった。
彼も阪神ファンなので、タイガースが勝った夜は必ず電話が来た。

5年ほど前、彼は会社を辞め起業した。
ホームページ作成を請け負うことを主体とした会社です。
会社のパソコンのシステム導入などのコンサルティングもしていた。
滋賀県の米原に事務所を持ち、精力的に業務展開をしていた。
資金繰りに苦労しながらも順調に業績は伸びていたようだった。
そして再婚した。子どもも生まれた。

その頃、私は生産管理として転職した会社で製造に回され腐っていた。
彼の仕事を関東支部としてやらせてもらえないかな、
なんて考えたこともあった。
しょっちゅう電話で仕事の話をした。
インターネットを使ったビジネスのことを語り合った。

彼が仕事のことで東京に来たとき、うちに泊まった。
夜は、私の所沢でのパソコンの友だちとの集まりに参加して飲んだ。
女房も彼のことは気に入ってくれた。

3年前、私が京都に行くとき、彼の米原の事務所に寄った。
パソコンが3台もありその仕事場が羨ましかった。
京都の別な友人と会ってから次の日再会し、
私の友人のいる淡路島にドライブした。
その夜は、淡路島の友人夫婦、彼と私で鱧(はも)料理を楽しんだ。

次の日の夜は甲子園に行った。
憧れの甲子園での阪神戦観戦をした。
残念ながらその日、阪神は広島に負けた。
彼は、贔屓の矢野のユニホームを買って羽織り応援していた。
ビールがうまかった。

今年の初め、彼は事務所を移転した。
その頃まで月に2、3度電話で話していた。
しかし、野球のシーズンが始まり、
阪神が勝ったときなど電話するが彼が出ない。
これまで私が電話して彼が留守のときは、必ず翌日電話がかかってきた。
それもない。

プロ野球のシーズンが終わってしまった。
彼と一言もこのシーズンに阪神の話をしてない。
どうしているんだろう。
Sさん、この九想話を読んでいたら連絡して下さい。

コメント
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