さっそく反省

2001年09月28日 | 友人

今、5時20分(9/29)に目が覚めた。
テレビの前に寝ていた。
毛布が掛けてあった。
季節ですね。寒かった。
秋なのを実感する。

昨日(9/28)、7時頃に楽家に行った。
Sさんから「祝2000人、こんどオフしましょう」
というメールがあり、
私は「女房がいない金曜日に楽家に行きます」
とメールを返していた。
ところが昨日女房は家にいた。
メールに「行く」と書いたので、
晩飯はあったけど楽家に行った。

昨日も盛り上がりました。
なんの話をしたかな…。
「ゲソとエンペラのにんにく焼き」
(エンペラってイカの“耳”じゃないけど
 三角のところをいうんですね)
というのを私は最初に注文した。
するとSさんが、
「ジョン・ローンですか。ラストエンペラーですね」
なんていう。
「おお、うまいダジャレですね。
 おれも今週、『タリバン』でなにか
 ダジャレがないかなと仕事中考えていて見つけました。
 なにしろ単調な肉体労働なもんで、
 そんなこと考えてないとやってられないんですよ。
 この曲、誰のか分かりますか?」
といってから、ある曲をハミングした。
「ギルバート・オサリバン」
マスターがいう。
「そう、ギルバート・オタリバン」

S根さんが来て、アウトドアーの話になった。
Sさんも先週家族でキャンプに行ったアウトドアー派だ。
実は、銀座合同オフには
Sさんにケーナの伴奏をお願いしたが、
「キャンプに行くので出来ませんね」
といわれていた。
私は10年ほどまえキャンプをしたことを話した。
「最近は、普通の暮らしをキャンプ場に持って行くでしょう。
 さも、それが自慢げにいろんな道具を買って」
「そうなんですよ。この前なんて、
 オート・キャンプ場で
 電気釜を使ってご飯を炊いてましたよ」
そんな話を聞いて、私はオート(嘔吐)したくなった。
(ああ…、ダジャレは、
 「ほぼ日」のガンジーさんに負けるな)
「キャンプなら飯ごうだろう」
そう私は、反抗したい。

そのあと、テロで手をあげたアメリカの
手の降ろし方を憂い、
それからの話題は覚えていない。

11時前だったか、
Sさんと私は楽家を出た。
Sさんの事務所に行き、ギターを弾いた。
ブルースのEから始まる
オープンコードの弾き方を教わった。
むずかしいけど、練習すればできそうだ。
それから、Sさんの行きつけの近くの飲み屋に行った。
カウンターのうしろにLPレコードが沢山ある店だった。
「60年代、70年代のレコードならかなりありますよ」
とSさんがいう。
「サイモン&ガーファンクルの
 『コンドルが飛んで行く』ありますか」
と私がいうと、マスターが探してかけてくれた。
うれしかった。懐かしかった。

しばらくすると、
楽家にいたK池さんとみっちゃんが来た。
K池さんとは楽家で、
藤沢周平について話していた。
みっちゃんは私より年上だが、
許可を得たので今日からは「みっちゃん」と呼ぶ。
話の成り行きで、
「こんど、ここでSさんとおれとで、ライブをしよう」
なんていうことになった。
マジな話、できたら楽しい。
Sさんの友人でボーカルのうまいひとがいるという。

そんなこんなで、家に着いたのが午前2時ごろだった。
1週間寝不足つづきの私は、
不覚にもテレビの前で寝てしまいました。
これを28日の九想話とします。_●_

コメント
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