曇天の町田川にウがずらり、アオサギも。え?あの白い腹のは?ペンギンみたいけど…ゴイサギじゃないし。しばらく見てたら顔はやっぱりウだね。こんな色違いいるんだ。
雨がポツポツ来る。灰色の雲が広がってきた。急いで城内橋を渡って海に行かなくちゃ。ちょうど9時10分着の高島渡船が着いたばかりで、広い駐車場を手押し車やカートを引っ張ったりしてお年寄りがトボトボ歩いて来る。先月から渡船場の浚渫工事が始まって船が着くのは城内橋渡って駐車場の端、いつもは海上タクシーの乗り場になってる場所。行き違うときに「遠くなって大変ですね。」と声をかける。「倍はあるもんね。」と言う人も。町中心までだいぶ距離がある。
プレハブの待合所近くにはデイケアサービスのワゴンが待機してお年寄りが助けを借りながら数人乗り込んでる。いろいろ面倒だねえ。
昨日母といつもの電話で風呂の給湯機が借りられたことを話していて、銭湯は佐賀県にここ唯一なんだよ、と言うと、「ひえー、そんなになったの?昔はすぐそばにいくつもあったのに。あなたたちが小さかった時に山下ばあば(同居の親戚)がお風呂が開く3時に連れて行ってたわ。」当時は炭鉱でにぎわって人口が多かったからだね。映画館も5、6軒あったとか。
「そう言えば、お風呂にはお姉さんがいて、お母さんが入る間、赤ちゃんを見てくれたりしてたのよ。三助さんていてね、呼んだらパンツ?の男の人が来て背中を洗ってくれるの。お金払って。」東京の話らしい。それからまた思い出して、「幼稚園の時はノートがなくて、石板に石墨(セキボク)で書いたの。白い石で、地面に書いたりできるの。消すときは海綿を濡らして拭いて。小学校に上がってからノートに鉛筆。」フランス系カトリックの教育を受けた96歳の母の話なので特殊だとは思うけど。地面に白く書ける石はワタシの子どものころ(福岡)おんじゃく石と言ってた。同じものかな?母も歴史の語り部、いろいろ聞いておかねば。
おんじゃく石なつかしー。こどものころ道にいっぱい絵を画いてました。
今は山にいって拾ってきても書くところがありません
やっぱりおんじゃく石よね。鳥栖出身の40代の人も知ってた。山で拾ってきたの?私は町なかの学校なので、男子が得意気に見せびらかして書いてたの覚えてる。