■ これって『ばらかもん』のナルちゃんじゃないか!! ■
『マクロスΔ』にハマっています。
最初は「アホらしい・・・ゆとり世代のマクロスかよ・・」とか「これって銀河版のアイドルマスターかよ!!」って思いながら見てんです・・・。
ところが、気が付くと1話目を何回も見ていたんです・・・。さらにiTunes storeで挿入歌の『いけないボーダーライン』をポチットなしていたんです・・・。さらに、毎朝これを聞かないとやる気が出ないんです・・・。
そして私はふと気付きました。主人公のフレイアちゃんと『ばらかもん』のナルちゃんが同じ笑顔だという事に・・・。
あわててチェックすると、作画監督は『ばらかもん』の「まじろ」さんじゃないですか!!
■ アニメって絵の魅力だよね ■
フレイアちゃんが動いて、笑うだけで幸せな気分になるのは何故だろう?特に個性的な絵でも無く、キャラクターとして特別魅力がある訳でも無いのに・・・。
それでも「まじろ」さんの描くキャラクターはカワイイ。フワフワした感じというか、プニョプニョした感じというか、とにかく2次元のキャラクターが「柔らかい」のが特徴。そして「ニーー」って笑う口元が何ともカワイイ。
跳ねる様なリズムのある動きも魅力の一つですが、何と言っても表情が良い。
おにぎりを食べるシーンを誰かがアップしていますが・・・見飽きない。
昨今はCGアニメも随分と進化しましたが、デフォルメを得意とするディズニーやピクサーのCGアニメでも、こういう表情はちょっと作れない。
■ つきぬけたアホらしさは魅力になる ■
私が高校生の頃、オタクの友人たちは『超時空要塞マクロス』に随分ハマっていましたが、私には何が良いのか全く理解不能でした。だって、宇宙人がリー・ミンメイの唄に感動して「デカルチャー!!」ってデレるんだから、当時の頭の固かった私に受け入れられるハズが有りません。
しかし今ならその魅力が分かります。アニメという文化はプロレスと同じで一種の「見立て」無くしては成り立ちません。「そんなの有り得ねーー」という表現を容認する事も一種の「見立て」であり、これを認める為には頭の構造がかなり柔軟で無いとダメです。
さらにサブカルチャーとしては「アホらしさ」は重要な要素です。世間一般の「文化」が「高尚を装う」事で価値を維持しているとするならば、サブカルチャーはその反動として「低俗を競う」事にある種の存在価値を見出しています。「いい年してアニメなんか見て!!」という叱責は、アニメファンにとってはある種の褒め言葉なのかも知れません。大人の世界、現実の世界に対する反抗は、何もリーゼントを決めてバイクに跨るだけでは無いのです。アニメオタクだって立派な反抗でした。(当時は)
こうしたある種の「くだらない物」に価値を見出すオタク文化ですが、時々「突き抜けてクダラナイ」物が出現します。初代マクロスはまさにコレでした。『ガンダム』が「真面目なアニメ」を追求した反動として登場した作品とも言えます。
『マクロスΔ』はそういう視点から見ると初代マクロスの流れを継ぐ「アニメ文化の正統派」なのかも知れません。さらには、変身バンクや歌いながらの戦闘など、「魔女っ娘」や「戦う少女」を取り入れる事で、初代マクロスが試みた「異種格闘技による化学反応」を発生させようとしているのかも知れません。
はっきり言って「アホらっしい」の一言で片付けてしまえる作品なのですが・・・アホラシサが突き抜けると、こんなにも魅力的になるのは言葉で説明する事が難しい。
■ 『いけないボーダーライン』のアレンジは見事 ■
前作の『マクロスF』は管野よう子のサントラの魅力が作品を牽引していました。そのイメージが強いだけに、「管野抜き」のマクロスに一抹の不安は在りました・・・。
ところが、1話目終盤で流れる『いけないボーダーライン』で払拭されます。スカと四つ打ちがこんなにも相性が良いとは(スカパラは以前からやっていますが)。さらにノイズギターが絡んで、現代風です。作詞も作曲もプロの手による物なので、ゴージャスな昭和歌謡の雰囲気が漂います。これ、昨今の「素人」の中二臭さを売りにするアニソンの対極に在る楽曲です。
(ちなみに歌っている子は、録音当時14歳だそうです・・・末恐ろしい・・・)
・・・最後の鐘の音は管野よう子へのオマージュでしょうか・・。
いずれにしても、毎回毎回、3回は見てしまう・・・・困ったもんだ・・・。
ついでに、以前の記事も紹介します。
「進化」するマクロス 「退化」するガンダム 人力でGO 2008.08.10