今日は、真面目にいきます。
帰省している折、地方紙で、介護従事者に対するアンケート調査を行ったところ、「ケア・ハラスメント」なるものを受けたことがあると答えた人が8割(すみません、正確に覚えてません)程度もいるという記事が載っていました。その内容は、セクハラのようなことから、「規定外のことを頼まれる」など多岐にわたっているようでした。流し読みしてしまい、あとでゆっくり読もうと思って、そのままにしてしまったので、詳しい内容はわかりません。でも殆どのケア・ワーカーが「ケア・ハラスメント」を経験しているということと、その内容が、なんだか「えっ」と、心にひっかかったのでした。
そういえば、以前「セクハラ」という言葉が一般化し始めた頃、女性社員の8割以上が「セクハラ」を経験したことがあるという調査もあったっけな。いや、9割りだったかな?
今回の「ケアハラ」調査、健全な大人同士の職場間ということが前提でのセクハラ問題とはちょっと違うのでは。介護をする人、される人、ということでお互いのポジションがまず違います。
たくさんの企業がこぞって介護業界にも参入して、介護産業はいきなり賑わって、整備が遅れている感じがあります。
私は、この記事を読んだとき、「そりゃー、ケア・ワーカーの資質の問題では?」とまず思いましたが、いかがでしょうか。極端にいえば、マニュアルだけをインプットされた従事者が大量に排出されているのでは…、、、
以前、音楽を通して、福祉大の学生の人たちとお友達になりました。
彼らは、それぞれ考えるところや、志があって、この大学を選んだと言っていました。家族に障碍のある人がいて、日常の中で自然にいろいろ考えたり、子供の頃の経験したことや、将来の夢などと、今大学で学んでいることが自然に結びついていました。その点で、彼らは理想や目標がしっかりとあって、とても頼もしく、こんな若い人たちが、将来福祉の分野で活躍してくれると思うと嬉しかったのです。
けれど、ケア・ワーカーさんがそんな人たちばかりなら、「8割」という数字にはならなかったのでは。
もちろん、我が儘で意地悪で気難しい高齢者や、非常識な家族もいるとは思います。でも、8割が「ケアハラ」をしているとは考えにくい。
規定外のことをさせられることがすべて「ケアハラ」と感じるケア・ワーカー、恐いです。マニュアルを作成している企業はもっと恐い。
私のイメージは、ケア・ワーカーさんが来るのを心待ちにして、「ありがとう」という感謝の気持ちで介護を受けるお年寄りの姿です。これって、今どき、幻想でしょうか? 少なくとも、私が高齢になって、介護を受ける立場になったら、心を通わせられない相手に、着替えや食事やトイレを介助して貰うなんて、考えられないのですが。
「介護」「看護」とは、専門的な知識や技術が必要なのは当然ですが、メンタルな部分に対してというのが、半分以上を占めるのではないかと私は思うのですが…。知識と技術だけをもって、きっちりマニュアルの範囲で介護、看護に従事する人材が今後増え続けるのではないか。誰も口に出さなくとも、介護認定を受けた高齢者は、社会での役割を終えて、命を終えるまで非生産的な、無駄な時間を過ごす者として、暗黙のうちに位置付けられていくのではないか…という、うすら寒い思いがしました。
少子高齢社会を効率良くまわしていくには、社会の役割を終えた人間に、優秀なケア・ワーカーをつけることも無駄…?
じゃあ、どうすればいいんだい?
…
以前読んだ小説の中で、「人は、子供を育て、働いて収入を得、親を介護して見送る。この三拍子が揃って真っ当なのだ」というようなことを、ある高齢者施設だか病院だかの院長?(だったとおもう)が語る場面がありました。
働いて高収入を得ている部分だけで人を評価できないというような意味あいも含めて。また、この三拍子とはひとりの人間だけでなく、「人間というもの」延いては社会のあるべき姿を語っているのでした、これはとてもとても心に響きました。
「じゃあ、どうすればいいんだい?」
いつも、そうやって、ひとつひとつ自分の中で、少しでも前向きな答えを捜しながら過ごしていきたいと思います。
この本を読んだのは6年前。郷里に帰ることに気持ちが向かったことには、この言葉の影響はとても大きかったのです。
ケア・ワーカーさんを否定するつもりは全くありません。こんな社会のなかでも、できるだけ「心ある」介護従事者が育ってくれることを、もちろん願っているけど、私にできることはなんなんだ? そんな中で自分を中心に周囲の人との関係を考えたとき、両親がいて、Takがいて、親族もいて、その絆を感じながらやがては自分も介護にかかわり、親を見送り、自分も老いていく、それをTakに見せることは尊い…と感じました。
それから、私は老いても歌うつもり。これも
「じゃあ、どうすればいいんだい?」の、自分の中での答えのひとつです。
続きはこちら
帰省している折、地方紙で、介護従事者に対するアンケート調査を行ったところ、「ケア・ハラスメント」なるものを受けたことがあると答えた人が8割(すみません、正確に覚えてません)程度もいるという記事が載っていました。その内容は、セクハラのようなことから、「規定外のことを頼まれる」など多岐にわたっているようでした。流し読みしてしまい、あとでゆっくり読もうと思って、そのままにしてしまったので、詳しい内容はわかりません。でも殆どのケア・ワーカーが「ケア・ハラスメント」を経験しているということと、その内容が、なんだか「えっ」と、心にひっかかったのでした。
そういえば、以前「セクハラ」という言葉が一般化し始めた頃、女性社員の8割以上が「セクハラ」を経験したことがあるという調査もあったっけな。いや、9割りだったかな?
今回の「ケアハラ」調査、健全な大人同士の職場間ということが前提でのセクハラ問題とはちょっと違うのでは。介護をする人、される人、ということでお互いのポジションがまず違います。
たくさんの企業がこぞって介護業界にも参入して、介護産業はいきなり賑わって、整備が遅れている感じがあります。
私は、この記事を読んだとき、「そりゃー、ケア・ワーカーの資質の問題では?」とまず思いましたが、いかがでしょうか。極端にいえば、マニュアルだけをインプットされた従事者が大量に排出されているのでは…、、、
以前、音楽を通して、福祉大の学生の人たちとお友達になりました。
彼らは、それぞれ考えるところや、志があって、この大学を選んだと言っていました。家族に障碍のある人がいて、日常の中で自然にいろいろ考えたり、子供の頃の経験したことや、将来の夢などと、今大学で学んでいることが自然に結びついていました。その点で、彼らは理想や目標がしっかりとあって、とても頼もしく、こんな若い人たちが、将来福祉の分野で活躍してくれると思うと嬉しかったのです。
けれど、ケア・ワーカーさんがそんな人たちばかりなら、「8割」という数字にはならなかったのでは。
もちろん、我が儘で意地悪で気難しい高齢者や、非常識な家族もいるとは思います。でも、8割が「ケアハラ」をしているとは考えにくい。
規定外のことをさせられることがすべて「ケアハラ」と感じるケア・ワーカー、恐いです。マニュアルを作成している企業はもっと恐い。
私のイメージは、ケア・ワーカーさんが来るのを心待ちにして、「ありがとう」という感謝の気持ちで介護を受けるお年寄りの姿です。これって、今どき、幻想でしょうか? 少なくとも、私が高齢になって、介護を受ける立場になったら、心を通わせられない相手に、着替えや食事やトイレを介助して貰うなんて、考えられないのですが。
「介護」「看護」とは、専門的な知識や技術が必要なのは当然ですが、メンタルな部分に対してというのが、半分以上を占めるのではないかと私は思うのですが…。知識と技術だけをもって、きっちりマニュアルの範囲で介護、看護に従事する人材が今後増え続けるのではないか。誰も口に出さなくとも、介護認定を受けた高齢者は、社会での役割を終えて、命を終えるまで非生産的な、無駄な時間を過ごす者として、暗黙のうちに位置付けられていくのではないか…という、うすら寒い思いがしました。
少子高齢社会を効率良くまわしていくには、社会の役割を終えた人間に、優秀なケア・ワーカーをつけることも無駄…?
じゃあ、どうすればいいんだい?
…
以前読んだ小説の中で、「人は、子供を育て、働いて収入を得、親を介護して見送る。この三拍子が揃って真っ当なのだ」というようなことを、ある高齢者施設だか病院だかの院長?(だったとおもう)が語る場面がありました。
働いて高収入を得ている部分だけで人を評価できないというような意味あいも含めて。また、この三拍子とはひとりの人間だけでなく、「人間というもの」延いては社会のあるべき姿を語っているのでした、これはとてもとても心に響きました。
「じゃあ、どうすればいいんだい?」
いつも、そうやって、ひとつひとつ自分の中で、少しでも前向きな答えを捜しながら過ごしていきたいと思います。
この本を読んだのは6年前。郷里に帰ることに気持ちが向かったことには、この言葉の影響はとても大きかったのです。
ケア・ワーカーさんを否定するつもりは全くありません。こんな社会のなかでも、できるだけ「心ある」介護従事者が育ってくれることを、もちろん願っているけど、私にできることはなんなんだ? そんな中で自分を中心に周囲の人との関係を考えたとき、両親がいて、Takがいて、親族もいて、その絆を感じながらやがては自分も介護にかかわり、親を見送り、自分も老いていく、それをTakに見せることは尊い…と感じました。
それから、私は老いても歌うつもり。これも
「じゃあ、どうすればいいんだい?」の、自分の中での答えのひとつです。
続きはこちら
でも、介護というものに、やりがいを見出しているひとなら、TAKAMI様の仰るとおり、そんな不満は出なさそうですよね
要するに常識や道徳の問題ですよね
当たり前と思えるかどうか、相手のことを考えてあげられるかどうか
仕事に対して収入が付いてくるという事を、取り違えているひとって多いでしょうね
私の友達にもいました・・・、が今はもうその子とは連絡も取っていません
考え方の相違で、ギクシャクしてしまって・・・
『あんたの言う「仕事に収入が付いてくる」と言う考え方は、きれい事だ』って言われたときに、この子とは、分かり合えないな~って思いました
権利を主張する前に、義務を果たすべきだと思います
マニュアル的な発言で、お客様に怒られた同僚を何人も見てきましたが、仕事って本当に難しいのです
機械的にならず、人間としての温かみを持って欲しいですよね
長々と、訳のわからない文章ですみません
「気難しい高齢者や非常識な家族」だけではなく、意志の疎通が難しい(健常者にとっては)認知症の高齢者のお世話は並大抵ではないと思います。故意のケアハラもありですが、高齢者の無意識の行動に対して「ケアハラされた」と感じる事例だっていっぱいありだと思うんです。そういう方々の言動に対して、いくら仕事とはいえ、すべてにおいて「高い志」で接することができるヘルパーさんは「ケアハラを受けたことがない」と答えられるのだと思います。このような仕事はある意味、自分の感情を殺さないとやっていけないのでは…と思います。自分の親の介護ですらそうなんですから。
でもね、やっぱりヘルパーさんは命綱なんですよ。と同時にその要介護者を抱える家族にとっても、ケアマネージャーさんは命綱であり支えでした。私は、私の意見や愚痴を聞いてくれて、私の心に寄り添ってくれるケアマネさんと出会えたので(しかも偶然)、介護中も何度救われたことか。逆に、心無いことを言われたりしている家族、というのも決して少なくないような気がします。
…長々とすみません。
長文レスありがとうございます。
いろいろ考えて下さって、嬉しいです。
私はこのことで「介護はどこへ向かっていくのか…」ということを考えていたのですが、
てるてるぼーずさんのおっしゃるように、「仕事」と「対価」のことも、私のように、「音楽」というかたちのない仕事に携わっていると、価値観が、一般的な、利潤を追求する企業の考え方とは違うと感じます。
利潤を追求することは国全体の経済の活性化に結びつくのだし、必要なのです。が、私は、そういう世界とは全然違うところにいるなあ…と感じています。
でも、プロとして、技術に対しての対価を貰い、それ相応の仕事をキッチリとすることは誇りだとも思う…のですが、この「対価」の基準がまた曖昧なのですよね~
結局私の場合、「お金」に絶対的な価値基準をおくことが違うんじゃないか…ってことで、それ以上はまだ考え至ってないというところなのです。
私もワケわからない文章になってしまいました(^_^;)
でも、何も考えずにマニュアルをこなすより全然いいと思いますよ(#^_^#)
♪kaedeちゃん
おおおぉぉ~~
ご意見、お待ちしておりました。早速ありがとう。
「介護」といえばkaedeちゃん…って、なんだか頭の隅っこに今なおありました。
「ヘルパーさんは命綱」本人にとっても、家族にとってもね。
うんうん。その言葉、言い得て妙ですね。
kaedeちゃんは、いいケアマネさんに巡り合えてほんとによかったね。
私は、母の叔母(身寄りがなくなったので実家で引き取らせていただいた)の介護をはじめ、いろんな話を聞きましたが、ヘルパーさんで「良くしてくれた人」の話は1割ぐらいしか聞いていません。ヘルパーさんの心無い態度に家族が心を痛めているという話が殆どでした。
一時、某サイトで「義両親とは魂を抜いて接する」ということを学び? 現に、私、実母と話していて、時々すぅ~っ…と魂抜いてます(^_^;)
コレ、元気な親でさえそうなんだから、介護するような状況になったら、さらにワザを鍛えなくてはね! 自分の親でさえそうだから…ということはもちろんあると思うけど、逆に他人だから、「限られた時間」だから通わせられるものも、もしかしたらあるのではと思うんです。家族にしかできないこともあるよ。
家族じゃないからできること、プロだからできることを、「命綱」としてのケア・ワーカーさんに期待できる社会になってほしいもんです。
ブログは、拝見させていただいていたのですがなかなかコメントできずに申し訳ありませんでした。
今回の内容は…、早期解決しなければならない問題ですよね。
労働環境も以前厳しい状況だから、人に役に立ちたいという気持ちよりも資格取得目的で、介護・看護を選択する人が増えています。
それに育成の教育内容も関係あると思います。
また、在宅の場合病院と違って密室になりやすい環境だから起きやすいのでしょうね。
介護虐待も問題になっているのだから、政府も医療費削減ばかりに目を向けるのではなくこういった状況を減らすためにも力を入れて欲しいですね。
余りに長くなってしまったので
当方のブログに「記事」として挙げました。
http://blog.goo.ne.jp/nomoscab/e/d47f43736e838d3a42c7c92cc82d1093
とても難しい問題ですね。
でも、人間として一番基本的なことを考える為には
不可避だと感じています。
それは「生きる」ことと「死ぬ」ことを
均一に洞察するテーマでもあるからでしょうね。
あと一ヶ月間、
「トーキョー」をお楽しみください。
ラストコンサートも楽しみにしています。
ではまた。
介護にもそういうのがあるんですね・・・。
俺は介護は無縁・・・というか定期的に高齢者用の紙おむつを配達しているので、なんとなくですがわかります。
>私のイメージは、ケア・ワーカーさんが来るのを心待ちにして、「ありがとう」という感謝の気持ちで介護を受けるお年寄りの姿です。これって、今どき、幻想でしょうか?
これは幻想ではなくて本来の姿じゃないでしょうかねぇ~(^^)。
ただ、ワーカーの質は健常者なのでいかようにもできますが、受ける人の姿も問題があると思います。
それは、前向きにとっているか後ろ向きにとっているかですね。
前向きなら、結果的にその姿になるでしょうが、後ろ向きなら難しいですね。
オムツを配達するとき、ほとんどのお客は「助かった」と言ってくれますが、中には「生きる価値がないから死にたいよ」なんていう人もいます。
こっちも配達してガクッと来るんですよね。
そこのメンタルなことはワーカーよりも家族のほうが見てあげるほうがいいじゃないですかね?
少なくとも本人は他人より長年付き合ってきた家族といるほうがうれしいと思いますがね。
何もかもワーカー任せじゃなくて家族と協力していけば最高のケアができるんじゃないでしょうか・・・。
俺がもし介護を受けることになったらそう思いますね・・・(^^;。
ありゃ?
俺も長くなっちゃった・・・(^^;。
ますます、お年寄りが増えていくのですもの。
日本はこの方面ではまだまだ未成熟ですので、介護する方も、される方も、戸惑いがあって、なかなかスムーズにいかない。そこで双方に得心いかぬ部分が出来て、摩擦が起き関係がぎくしゃくしてしまう、ということではないでしょうか?
私の母も介護を受ける身で、週に3日ヘルパーさんに来ていただいていますが、(私にすれば身内でもよく出来ないようなことを良くして下さるなぁと感謝なのですが)母にしたらお金を貰って仕事してるんだから、みたいな気持ちがあり、感謝の気持ちが無いのです。 うまくいくはずがありませんよね。
ヘルパーさんによっては、ちょっとでいいから介護を受ける方の気持ちに添って欲しいと思う方もやはりいらっしゃるし・・・難しい。
コメントありがとうございます。
マッキーのところで、たまにコメント拝見していたので、私としてはおひさしぶり…って感じでもないです(#^_^#)
それに、きっと、なおみさんは覗きに来てくださってるような気がしてました。
この問題については、むしろ、なおみさんにいろいろ教えていただく立場ですよね。
私は、自分自身が直接経験したことはまだないのです。
これからなのですが、その「これから」は、もう目前のような気がするのです。
ぜひ今後とも、よろしくおつき合いくださいね。
♪空魚さん
ありがとうございます。
>「生きる」ことと「死ぬ」ことを均一に洞察する
とは、言葉でいうとなんだか難しいですが、
実はとても自然なことのような気がします。
それとね、
「お楽しみください」
といつも言ってくださるのが、なんだか嬉しいです♪
お見通しなんですね~~
♪HM-LINEさん
そうそう、HM-LINEさんも、「紙オムツ」の配達の話をよく書いていらっしゃるので、一度、伺ってみたいなーと思っていました。
長文レスありがとうございます。
私は、「家族」以外の、プロが介護にかかわるということは、↑でkaedeちゃんがおっしゃってるように「命綱」として、今後も求められるものだと思います。
介護を受ける方が「生きる価値がないから死にたい」とおっしゃるのも、その人がそういう価値観を持つような社会の中で生きてきたからなのだと思います。
それでも「死にたい」といいながらも生きたい、生きて、いろんな欲求を満たしたいのでは。
私の祖母は、心筋梗塞で、救急車で病院に運ばれ、医者に「家族を集めるように」と言われ、親戚が喪服を用意して集まって来ましたが、2度も奇跡の生還を遂げました。3度だったかな? なにしろ生きることへの執着の強い人だったのです。ボケても生きる意志のある人でした。
「死」へと渡っていく瞬間まで、自分の意志で生き続けるって、尊い…と感じました。
…って、話が飛躍しまくりましたが(^_^;)
♪ikehirochan2さん
実際の現場の問題は、ケースバイケースで、ホントに難しいですよね。
私のいっていることは、ほんの入り口だと思います。
ひろさんのコメントはいつも知性的で、あたたかくて、頼もしくて、ホッとし
(#^_^#)
介護のことで、私が現実問題としていろんなことを思うのは、まだこれからだと思います。ヒソカに頼りにしてます(^_^;)
あっ、、それと、ウォシュレットにしましたよぉ~~~
受けて忘れず、施して言わず。
お互いにそうあればいいんだけど、つい、視野が狭くなってしまうからなぁ。あとは、パーセンテージの問題だと思うよ。世の中100パーは有り得ないからなぁ。10人からいじめられても、1人味方いてくれると、世の中捨てたもんじゃないと思うんだけど。
あと、やはり好きな事をやって、9人の敵のやることを気にしないように・・・なれればいいんだけどなぁ。
私は以前、訪問入浴という介護の仕事に携わっていました。私が所属していた会社には、ヘルパーさんも所属しており、彼女達の悩みなどもよく耳にしました。
確かに、全てを「ケア・ハラスメント」と取ってしまう人もいるでしょうが、8割というのにも、少し納得が行くところもあるのです。
ヘルパーさんは、「高齢者の方のお手伝い」が仕事ですよね?でも、おうちの人の中には、「高齢者の方の」という部分を抜いて都合よく考えている人も、悲しいけれど、実際いるのです。あるヘルパーさんは、毎日自分の担当の人たちの好みや今まで好きだった料理を聞いて、ノートにたくさんのレシピを書き込み、高齢者の方々の意見をまたそれにつけたし・・・そうやって、高齢者の方に寄り添うように一生懸命仕事しています。でも、「おうちに伺うと、台所は洗い物が山盛りで、おうちの方に、『これから出かけるから、洗い物よろしく。お風呂も掃除してください。』といわれます。でも、おうちのことをしていたら、高齢者の方のお世話は時間内にできないのです。次のお宅に伺う時間も決まっていて、きれいにしてあげたいのはやまやまですが・・・」と泣いていました。そのお宅は、ヘルパーさんを変えても同じだったそうです。
誰もが、「高齢者の方を一緒に面倒見ていただいて、ありがたい」と思ってくださるわけではないのが現状です。私たちが訪問入浴に伺っても、やはりそうです。でも、日々介護に追われて気持ちのゆとりがないのだろう・・・とスタッフで話し合いながら、対応していますが、涙が出るようなことも結構ありましたよ。
人が年老いていくのは仕方がないこと。介護の仕事を目指してくれる人の中にも、曖昧な感情で機械的に取り組んでいる人がいるのも悲しいことではありますよね。介護に携わる人の意識改革も必要かも知れませんが、「高齢者介護」としての「ヘルパー」や「ケア・マネージャー」などの意味をしっかりとおうちの介護者の人々にも理解してもらう事も必要かな?と思います。
初めてコメントするくせに、長々と、しかも偉そうにすみません。
これからも、ちょこちょこのぞかせていただきますね!どうぞよろしくお願いします。