瓦版CARAVAN

かけがえのない我が子、天日古と大日人への遺言一式。「心を強く生き抜いて」と切に願いながら。04.10~07.3

再掲載『森の学校14』/春嵐花より「ルシファの遺言」(2006.2)

2011-09-01 | 閑話
「介護」についてのTAKAMIさんへのコメントを書いていたら、
余りに長くなってしまったので、
別記事でリンクを張らせて頂くことにしました。

まずはこちらをお読みください。
「ケアハラスメント」

上記の記事に寄せられたコメントを拝読しているうちに
思い付いたことをそのまま書きます。

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まず大きな問題は
政府が無頓着に「介護」に関わる「市場」を
「開放」してしまったことに
「原因」のほとんどが内包されていることです。
政府主導の「誤謬」があった訳です。
もちろん、いつものように、
政府は「責任の回避」ばかり目論むでしょうが。

無邪気と表現するには余りに罪深いことだと思います。
(目の前の仕事に追われる)無能な官僚の
「机上の浅知恵(=やっつけ仕事)」が目に付きすぎるのです。

たとえば、コムスンやベネッセの抱える問題の多くは
実は最初から予測されたことでした。

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「ジュリアナ東京」や「ヴェルファーレ」の企画で
若い婦女子が、
不特定の男性にパンツ見せて興がるフシダラを
「解放されたこれからの女性の在り方」などと標榜し、
古い倫理観を事も無げに一蹴した会社(GWG)や
「しまじろう」キャラ+盛り沢山の「付録」で
幼気(いたいけ)な子どもの親を餌にしている企業(ベネッセ)が
「生身の人間」と向き合う仕事を
最初から「卒なく」こなせる訳がないと
世間の良識は踏んだ訳です。
果たしてその通りになりました。

要介護の「需要」は
次に団塊の世代を擁していますから
間違いなく右肩上がりです。
企業企画として(収支面で)失敗することは当面ありますまいが、
「現場」の様々なトラブルにいかに対応して行くかが
「市場で生き残れるかどうか」の分水嶺になってはいるようです。

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ちょうど十年前、
「ジュリアナ」のGWGが「介護事業」に乗り出すらしいと
世間の耳目が集まった時、
誰もが「違和感」を否定できませんでした。
それは端的に言えば
「風俗、つまり人の表層を飾り立てることで営利を目指す団体が
人間の内面に関わって大丈夫なの?」という
「不安」だったように思います。

さてそのおおかたの人々を不安にさせた「人間の内面との関わり」ですが、
健常者同士の世間でも、
百人いれば百通りの「手順」が必要になる程ですから、
「不具合」を抱える者に対して、
「不具合のない」者が
「事業者の思惑(マニュアル)」に沿ったサービスを提供し、
それがスンナリと「感謝」をもって
受け入れられる可能性など皆無に等しいでしょう。

人は「生きて在る」のですから、
その一点に於いても「我が儘」なものなのです。

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昨年、山田S蔵さん(85)は大往生をしました。
下半身不随で通常は車椅子の生活でした。
特養老人ホームに入居して二年目の春、
3階の男性部屋から4階の女性部屋に
「這い上がり」、
お目当てのY子さん(77)に覆い被さるようにして
「亡くなった」のです。
昼間の散歩の時間に見初め、
声を掛け(ナンパ?)
やがて親しく話すようになったY子さんに日毎恋こがれ、
「抱き締めたい」という一途な思いが募り、
その日、決死の覚悟で非常階段を
蛇の様に畝りながら登ったようです。

職員(若者)から見れば
「醜悪な」風景かも知れません。
「いい歳をして分別のないことだ」と
嘲るかも知れません。
でも、人が生きて在る」とは
それほどに「不様」でもあるのです。

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三年前にケアマネの資格を取ったK子さん(40)は
通所型の施設でヘルパーさんの統括とケアプランの作成、
加えて自らも現場へと、大忙しです。
国が拵えた「システムの不調法」は
彼女達の「立場」が一番痛切に感じるところではあります。
しかし、「現場」はその不具合の調整など待っては呉れません。
「今この瞬間」に介護の必要な家庭が、
「こなしきれない程」存在するからです。

昨日伺ったP子さん(89)はいつも「下ネタ」でK子さんを楽し
ませてくれます。
「アンタはひとりモンでしょ?
何使って(性欲を)『処理』しとるんかね?
やっぱり、『指』かね?
アタシは『赤ペン』。
赤でなきゃダメなんよ。
戦争終わってからもう半世紀、
ずーっと、赤ペンひとすじですわね」

「自慰行為」に使用する道具の話です。
彼女は赤色の鉛筆やボールペンを使用して
「陰核」を刺激することを常套にしているそうなのです。

K子さんも離婚経験が在り、
性行為に対する「嫌悪感」は一通り払拭されています。
P子さんの自慰行為に罪悪感や
汚らしいイメージを持つモノでは在りませんでした。
逆に、本人の内面に深く関わるための「丁度良い話題」として
「利用」してもいます。
そんな話を語ってくれるP子さんを
「可愛い」とさえ感じます。
このあたりがK子さんの「介護者の資質」なのでしょう。

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介護プランの中でも
「風呂」は大切な案件です。
週に一度の風呂を心待ちにするお年寄りは
全国に数十万人おいででしょう。

「お風呂ネタ」の事件もたくさんあります。

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中村J男さん(72)は
小学校の校長先生でした。
退職後急激に衰弱し、
数年前に脳溢血で倒れて以来、
介護無しでは立ち居もままなりません。
奥様も高齢であるため風呂介助は公共のケアを利用しています。

週に一度迎えの車に乗り、
市内の施設に行きます。
足を伸ばせる広い風呂はJ男さんのお気に入りです。
まして、職員による懇切な清拭洗浄は
「極楽極楽」なのだそうです。
職員の間で今でも語り種になっているのが
初めてJ男さんが風呂介助を受けた日のことです。
ショートパンツにノースリーブの制服を着た女性ヘルパーふたりに
懇切なケアを受けた後、
余りの気持ちよさにJ男さんはこういったと言うのです。
「このサービスはいくらだい?」
この先生、若かりし頃の「トルコ風呂」と勘違いされたようです。
「お金は要らないのよ」
年長の女性が答えますと、
J男さんはさらにこう言ったそうです。
「しかし、君たちもまだ若いのだから
こんなシゴトをしてちゃイカンね。
親御さんも嘆かれているよ」

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もっと、過激な特養ホームネタもありました。

やはり車椅子生活の高橋R郎さん(69)。
交通事故が原因で半身不髄の生活だったR郎さんが
あるホームに入所したのは昨年の秋。
何くれとも不自由のない生活の中で、
元気を取り戻して行ったのは良いのですが、
ある日、ヘルパーさんにとんでもないことを願い出たのです。
「ココを少し摩ってもらえないだろうか」
ココ、とは股間のことでありましたから、
少し躊躇したヘルパー二年目のT子さん(38)ですが、
変にたじろいでも(要介助者に不安を感じさせるので)イケナイと奮起し、
R郎さんの右手に導かれるまま、
少し弩張した陰茎を十分程マッサージしたそうです。
その日からR郎さんの要求は回を追う毎にエスカレートし、
ついにはちゃんとした「性交渉」まで
おつき合いするようになってしまったのです。
もちろん彼女は「懲戒処分」を受けました。

しかし、「そのこと」を始めてから
R郎さんの容態は日増しに改善し、
リハビリや日常のあれこれにも
「積極果敢」に取り組むようになったのだから、
「アタシのやったことって、
ホントは悪いことじゃないのかも、、」というのが、
T子さんの本心のようです。

ちょっとした「高瀬舟(森鴎外)」なワケです。

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人との関わりを考える時に
無頓着で居られないのが「欲」です。
仏典では「五欲」と規定され、
「五塵」つまり「五つのゴミ」とまで
邪魔者扱いされています。
(五欲=人間がもつ五つの欲。
色(しき)・声(しよう)・香(こう)・味・触(そく)の五境に対して起こす欲望。
また、財欲・色欲・飲食(おんじき)欲・名欲・睡眠欲の五つ。五塵(ごじん)。

この中でも取り分け色欲、つまり性欲は
他人との関わりの中で厄介者です。
世界中の、
各々の民族、社会の中で
一番たくさんの「道義的な制約」を受けていることからも明らかです。

しかしこの「性欲」、
「生きる元気」に直結している節も見隠れしますので、
無造作に捨て置くこともできません。

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「介護サービス」という呼び名のシゴトは
実は人間の本質をあらためて問い掛ける
大いなる神の与え給うた試練でもあるようです。
曰く、
『乗り越えてごらんなさい』と。

おや?
悪魔のせせら笑いも聴こえますね。
『オマエらにゃ無理だっつうの!
WAHAHAHA』

お考えください。



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4 コメント

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Unknown (fann)
2006-02-23 19:56:49
う~~ん!またしても・・・

私の胸中は、初めてエゴンシーレを見たて味わった・・あの何とも言えない胸騒ぎに似た感覚でいっぱいです。無視したいほどいやな気持ちなのに無視できない。空魚さんは、何を伝えたいのですか?



たぶん何が伝わりましたか?とおっしゃるのでしょうね。看護は「関わりの中に」存在すると思っています。そして人が生きること、死ぬことは全て関わりの中に存在すると思っています。少なくとも空魚さんは、そのことをご存知だから、だからこんなに人の気持ちを揺さぶるようなものをお書きになるのでしょうね。



何を言いたいのか良くわかりません。・・が、今回も思わずキーボードを叩かずにはいられませんでした。
返信する
こんばんは (空魚)
2006-02-24 00:29:57
fannさん、こんばんは。



、、ですよね、、。

エヘヘ、、。

>空魚さんは、何を伝えたいのですか?

???

伝えたいことなどありません。

お考えいただきたい、だけです。



でも、よくお分かりのことかも、です。

お考えください。



あまり優しくないコメントで

ゴメンなさい。



幾度でもキーボード、叩いてくださいね。

待っています。

いっしょに考えてくださいね。
返信する
「優しき歌」 (TAKAMI)
2006-02-24 07:18:24
空魚さん、恐れ入ります。

なんといってよいやら。

「タミフルの薬害」にも書きましたように、

「私がうまく文章にできないでいるいろいろな思いを、別のところで淡々と織って綴ってらっしゃる」空魚さんに、受けとっていただきまして。

例えていうなら、いつもCDで聴いている大好きなミュージシャンのLIVEにいって、リクエストに答えていただいた…ような感じ??

しっかし私の記事は「序」じゃ~~ん…

と、恥ずかしくもなりましたが、、、



空魚さんの文章には、いつも「答え」がないのですよね。

ひとつの記事の最後の読点「。」が底知れない闇に繋がっていて、一瞬身震いしてしまうのだけれど、無防備になって吸い込まれてみると、そこは静かでやさしい「宇宙」なんだよな~~



「欲」は、人が生きるエネルギー…。

無欲になれば、人は生から死へと、恐怖も不安もなく渡っていけるのでは。

「無欲」になるのは、死ぬ直前でいいや。

返信する
おはようございます (空魚)
2006-02-24 13:20:06
お断りもせずにリンクさせていただいて

失礼しました。



もうおひとり、ご紹介しようと思っていた女性の記述を失念していました。



山本S子さん(82)は日常にこれと言った不自由はありませんが、いわゆる「家庭内の余計者」としてホームに預けられています。

面会日にも誰も訪ねて来ないのですが、そのことを気に病む様子も見せず、

かといって特段にそこでの生活を楽しんでいる様子もありません。

淡々と「迎えの日が来るまで」の余生を消費しているような物静かな方です。

寝巻きの浴衣も綿入りの上掛けも全て自分で拵えたものです。決して人前で「着崩れた」ぶざまな様子を見せる方ではありません。

きっと良家にお生まれになり、厳しい躾を受けられたのでしょう。

施設内をウロウロ徘徊するのでもなく、用事のない時はベッドにきちんと正座をして、俳句の季刊誌や編み物に時間を過ごします。



そのS子さんが月に一度だけ、念入りに身繕いをします。出張美容室の来る日です。



前日には必ず湯浴みをし、御髪を整えます。

当日の朝は一番上等な生地の浴衣に着替え、

手鏡を覗きながら丹念に「紅を引く」のです。

お目当ては三十代の男性美容師です。

看護士の話に拠ると、亡くなられたご主人の若い頃に瓜二つなのだそうです。

その美容師との間に特別なことなど何もありませんし、これからも決して起こらないでしょう。

ただ淡い恋心のような色めきに、S子さんは静かにその日を心待ちにするのです。



記事でご紹介した方々のエピソードに比べれば、S子さんはとても上品ですから、

介護する側に好感を持たれるタイプでしょうね。

でも、「同質」なわけです。



人が人をケアするとは、

おそらくその辺りの根幹を理解した上での作業でなければ、「弱者」と「強者」を産んでしまうことになり、双方にストレスが残るのではないでしょうか。

介護される側が自分を「不憫」に思ったり、

介護者が(「してやってる」という)「驕慢」に走ったら、それはシゴトとして「破綻」しています。

難しいですね。



ではまた。
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