WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

「海辺のカフカ」

2017-01-05 | 親子 ART LIFE





「海辺のカフカ」村上春樹 著

言売 了 ~~~~

あ~なんだか年始から、社会人的生活してなかったな。
息子という存在があるにもかかわらず、、、、

私は何十年も前からそうだった。
本をいったん読み始めると、そっちの世界にいってしまい、社会人的日常がそっちのけになる。
もちろん、仕事がある。
それが最優先。
中高生の頃は、学校が最優先。
これだけはなんとか保つ。
大学時代は、学校をサボって本を読むことには全く罪悪感なし。

しかし、仕事の次に「本」となってしまい、人として必須な食事や睡眠を規則的にとることのプライオリティは底辺に追いやられる。


「海辺のカフカ」 

これを、年末、息子Takが学校の図書室から借りてきた。
とーちゃんが、読めといったのだそうだ。
15歳の中学3年生の少年が、家出をした先が、香川の高松だった。
ただそれだけ、、、、??

でっ、父の言うとおり、「海辺のカフカ」を借りてはきたものの、
この分厚い1冊(しかも上巻。下巻は借りず。)
に怯んでいるTakは、オカン、これ読んで…と、、、
いえ、読み聞かせをしろといっているのではありません。

まずはオカンが読め…と。

よっしゃ。読むよ。読むよ~~~~
村上春樹なんて、ものすごく久しぶりだし、
いやそれ以前に、「読書」そのものが何年ぶり。
「おかーさんが読んだ後、これは読め!…っていったら読みなよ。」

私は緑内障の視野欠損で、読書が大変不自由で、もう諦めていました。

私はクリスチャンなので、聖書を読みます。
しかし、毎日ではないことも、告白しとく。
聖書を読むのも視神経的に大変な労力なのですが、聖書のストーリーはは私にとってもとてもふっか~く魅力的なので、
これだけ読んでいれば、もう他の本はなくてもいいと思っていました。
それでも、私は毎日決まった時間に本を開いて、決まった時間になればぱたりと本を閉じるなんてことはできない性質なのだ。
教科書のような読み方は未だに全然できない。
何千も前のことだけど、生き生きとした、人の感情や歴史積み重なりのストーリー。

気の向いたときに、気の向くだけ読みたいのです。
要するに、私は全然「大人」じゃないってことなのかなあ、、、


「海辺のカフカ」

主人公は、高松に家出してきたけれど、別に、「高松」という土地は殆ど重要ではなかった。
特別に高松を鮮明に描写している箇所は全くありませんでした。
というよりもむしろ、東京から遠く離れた、ただの地方都市として描かれていて、そこから2時間余りでいける「高知」の森林がとても重要。

私はストーリーの最後のクライマックス、何度も涙が出ました。


読書期間にも、お正月の「ミュージシャン新年会」とかの私主宰のイベントがあり、
読書は中断されます。
ミュージシャン新年会も、すごくよかった。
あまりこれまでじっくり語ったことのないミュージシャンの方たちと(これがみんな酒豪!)たくさん話しました。
私が高松に帰ってきた原点のころからの音楽活動について、改めて話したり、動画を観たりしながら、この縄目が、ずっと前から、そして、これからもずっとずっと続いていくのだなあ…という思いを新たにしました。


私がSYOさんちで「ミュージシャン新年会」をやっている間、息子Takは、自宅で徹夜で1000ピースのジグソーパズルをやっていた模様。
「君の名は」のシーン。
そして、翌朝部活をサボり、友達を呼んで、1日中続きをやっていた。


「ミュージシャン新年会」から帰ってきて、家の玄関を開けたとき、男子の靴があった。
私は実は、「ミュージシャン新年会」の明けた朝、Takからかかってきた電話のやりとりで、
家に誰かいるに違いないと思った。

女子??
女子ならマズイ。いきなり私と鉢合わせは。そっと彼女を送り出してあげないと。…と気遣う母。
午後に帰ると言ってたのに、午前中になり、TELしたけどTakは出ない。
男子とジグソーパズルをやっている場面に遭遇するのは、超意外な展開でありました。


その後、母は、「海辺のカフカ」下巻を買いにいく。ついでに息子と男子にビッグマックとシェアポテト。

それから、母は、自室にこもって本を読む。
息子とお友達は相変わらずジグソーパズルをやる。

こんな1日。

夜7時ごろ、お友達は帰った模様。
Takは、とってもお腹がすいてたようだけど、それより眠くて、夕飯も食べず、朝まで寝ました。
Takは、私が小説に没頭しまくっているのは、自分が焚きつけたことなので、ハラ減った、ご飯つくって~」とは言わずに寝たと思われる。

そして、今朝は、私のほうが先に起きて、ベッドの中で小説の続きを読んでいた。
Takは、やはり、「朝ご飯つくって~」とは言わず、自分でなんとかして、部活に行った。
自分が焚きつけた母の「小説に没頭」の優先順位を尊重してくれていたのだと思う。


「海辺のカフカ」

この本は結局、私にとってはすごく久々の新鮮な刺激で、ほんとにすごくよかった。
緑内障で通ってる眼科の先生にも、「読書は緑内障悪化の妨げにはなりません」と言われた。
読書は、この現状の視力ではたいへん疲れるんだけど、緑内障の進行に影響ないなら、すごく嬉しい。

しかし、これをTakに「よかったからアンタも読みなさいよ」って言うのはどんなものか、どうする??
Takは、今年になってから、私がほとんど社会的生活を放棄して小説を読み耽っていたことを知っている。
「上巻」しか借りてきていないので、「下巻」を古本屋に買いに行ってまで、自室に篭りきって、家事を放り出して読んでいたことも知って、それでも、そっとしておいてくれている。
そういうオカンを見て、「ほな、読んでみようかな~」と思ったら読めばいいのでは。

今日でお正月休みも終わり。

明日からキッチリと日常に戻ります。
その前に3時間ほど寝る。






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5 Comments

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可か、不可か? (なかちゃん)
2017-01-08 18:06:01
 こんばんわ、なかちゃんです。
「海辺のカフカ」、とても感動したようですね。
でも、私は村上春樹という作家にはあまり良い印象は持っていません。ただ、彼を批判するほど作品を読んだわけでもありません。読んだのは「ノルウェー森」と2,3のジャズ評論だけですから、その資格はありません。ノルウェーは映画を見たこともあって、兵庫県の高原ロケ地まで行ったことがあります。

 一人の作家を理解するには、最低でも執筆年齢の違う3作品を読まなければなりません。「坊ちゃん」だけで漱石を、「憂国」だけで三島を語ることはできないことくらいは重々承知しています。

 ただ、ノルウェーを読んだ限りでは、どこかお坊ちゃん育ちの志向が背後にって、私には肌の合わない感覚の小説でした。
 一学生でありながら、車を乗り回し、ブランドもので身を包み、おまけに登場する女性と次々と寝床を共にする。どこかカッコつけた主人公の想定に、鼻持ちならなかったのが一番の印象でした。
 作品そのものはそんなことを強調しているわけではありませんが、私とは次元の違う世界観が全編を覆っていました。
 それ以来、村上作品を読もうなんて思ったことがありません。

 たかみちゃん、高知の森林の重要性や、「クライマックスに何度も涙した」わけを、もっと具体的に教えてください。上下2巻の長編小説をせっかく読破したのですから、その感動内容をもっともっと書いてくださいね。
 ノーベル文学賞候補に何度もあがっている村上春樹、その良さが一向に分かりません。


 
返信する
 (TAKAMI)
2017-01-10 18:32:06
♪なかちゃん

コメントありがとうございます。
私も、村上春樹を語ることはできません。

私も、実は、最初はノルウェーの森でした。初版本、買いました。
その後、遡ってデビュー作から読みました。
ノルウェーの森は、「100%恋愛小説」とかなんとかというキャッチコピーだったような気がするけど、私の印象は全然そんな感じじゃなく、「死」と隣り合わせの日常
。生きることの裏側にはいつも「死」がある…みたいな、そんな印象でした。
「音楽」と「静寂」、「音」と「無音」の関係みたいに。

私は、村上春樹の小説の登場人物がみんな好きなんです。
確かに、お坊ちゃん志向はあるかもなー。
「海辺のカフカ」の主人公もそうです。
15歳なのに、小さい頃からなんでも自分でできるようにと自分を鍛えて、大人びて、現実離れしています。
でも、そこが村上ワールド。
ワールドの住人達が、料理をしたり、食べたり、寝たり、何気ない日常を過ごす描写が、現実なようで非現実なところが好きです。
理屈じゃなく、これはもう、好みです。
高知の森林での出来事は、めっちゃネタバレになるからここには書けません。

私は、ノルウェー以降の作品はそれ以来読んでいませんので、それ以前の中でいちばん好きなのは、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」でした。
このストーリーの意外な結末に「えええぇぇ~~~っっ!!」とびっくりして、
なるほど、こう来るか、、と、彼の想像力、筆力に唸ったものでした。
しかし、それは30代ごろだったからで、今読んで感動するかはわかりません。
「海辺のカフカ」も同じような構成になっていて、ストーリーが大詰めを迎える前に、私は、登場人物のそれぞれの結末をを予想しました。
これが大いに裏切られることを期待して読みました。
かくして、大いに裏切られました。
村上ワールドからいったん出てきて、冷静に考えれば、すごく納得な結末です。

私は、小説を読むときは、もぉ、その世界にどっぷりとハマって、感情移入しまくっているので、「冷静」ではないのです。
なので、揺さぶられまくって泣きます。
社会派の小説でもなんでも、その「どっぷり」が私と「本」との関係なのかなあと思います。
返信する
可不可な村上ワールド (なかちゃん)
2017-01-10 22:51:14
「音楽と静寂」、「音と無音」の関係、いいフレーズですね。
現実と非現実の間を彷徨う人間心理の葛藤、
あるいはコインに裏表があるように、人間そのものが生と死の隣り合わせの存在感。
そんな不確実で、不明確な空気感、それが村上ワールドかもしれませんね。

ただ、毎年ノーベル文学賞候補にあがるたびに思うことは、
村上春樹が本当に日本を代表する国民的作家なのか?という疑問です。
かつての川端康成や、候補となった谷崎潤一郎などは、
海外に向けて日本の美というものを発信し続けたように思います。

ノーベル賞は世界的な文学賞なのだから、作品から浮かび上がる普遍性とか、
恒久的な正義とかが、作品に内在しているかどうか、を言っているのではありません。
(ボブ・デュランが受賞したくらいだから、その選考基準には違和感がありますが、、、。)

文学・芸術というのは、最終的に「好み」で評価されるべきではないと思います。
人種や民族の個性や独自性、そしてその作家の生きた時代背景など、様々な要素が絡み合って、人を感動させるものだと思います。

今でもドストエフスキーやヘミングウェイ、古くは旧約や古事記が広く読まれているのは、一体何故なんでしょうか?
私は「ノルウェー」しか読んでませんが、村上ワールドには日本人的な美のDNAや、日本人としてのアイデンティティは感じられませんでした。
そんなことを村上に要求するな、言われそうですが、私の判断基準はそんなところにあります。

気がむいたら「可不可」、いや「海辺のカフカ」、読んでみます。
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 (TAKAMI)
2017-01-11 15:54:41
♪なかちゃん

ノーベル賞については、仰るとおりと思います。
村上ワールドに日本的美のDNAがあるとは思えません。
国籍不明的ですね。
「カフカ」の主人公の家出先がたまたま香川だったように、登場人物たちは、たまたま日本人だった…という感じかな。
登場人物が食べるものも、日本人のソウルフードなどは殆ど出てこないし。
「海辺のカフカ」はなっが~~~いので、なかちゃんのような方にはあまりオススメはしませんよー。
もっと、ほんとに好きな作家や分野の本を存分にお読みください。
限りある人生の時間やからね~~(^_^;)
なかちゃんはベーシストで、私はヴォーカルなので、本の読み方にもそれぞれ、そんな性質も現れているのかなぁと、、
返信する
 (TAKAMI)
2017-01-12 10:12:29
♪なかちゃん

追記です。
先ほど村上春樹をウィキってみましたが、(全部は読んでいませんが)
彼は、自分の作品を無国籍とは思っておらず、日本文学だと言っているようです。
なんだかの受賞スピーチで日本の原発政策を批判したり、
本人はめっちゃ日本人として濃い時間を生きているのではと感じました。
ただ、作品には、そういう政治的、社会的なことは持ち込まないのではと感じました。
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