夜、ヒロコさんから夜自宅にTEL。
前代未聞のことだ。
何かあったのかと身構えテ凍りついたのだけれど…
父の「認知症」についての話だった。
父は、このところ、大静脈への点滴の影響か、食欲は少しずつ出てきたのだけれど、
認知症がかなり進行(退行?)しているようだ。
私も、こうして記録を残すようになって、少し前のことを読み返してみると、よくわかる。
曜日や時間の観念がだんだんなくなってきている。
「今日は日曜日かなあ?」などと、1日に何度も言う。
自分から何か考えて喋ることもほとんどないし、喜怒哀楽もだんだん平坦になってきているように思える。
ヒロコさんは、なるべく、話しかけて、言葉を引き出してほしい…と。
言葉の引き出しから、何を出していいかわからなくなってきているようだというのだ。
今日は、主治医の先生が回診に来た折、「それだけピーナッツ揚げが食べられたら、元気がでてきますよ。食べたいものはなんでも食べてくださいね」と励まして下さったのに対して、
「おひとつどうぞ」(先生も、ピーナツ揚げを)と言ったのだそうだ。
ヒロコさんには我儘放題な父も、病院のスタッフさんたち、特に先生には従順で、かしこまる。
声が出なくても、いつも必ず「ありがとうございました」と言う。
その心は認知が進んできた今も、ずっと持ち続けている。
ヒロコさんにとっては、その言葉がとても切なかったのだ。
私からすれば、父は、すべてを少しずつ削ぎ落として天国に旅立つ準備をしているのだという気がする。
この世のわずらわしい事も、楽しかったことも、どんどん忘れていくんだろうな…
それでも父には自分の世界があって、きっと最後まで、「自分の世界」を全うして、
自分の意思で次の世界へと渡っていくのだろう、、、
それでいい、それが幸せなのではないだろうかと思う。
私個人としてはそんな気がするので、引き止めたり、呼び止めたりしようと思わない。
父は今、こんなに周囲の愛に包まれて、じゅうぶんに幸せで、満たされていると思う。
それを、断ち切って行こうと決心するときを、誰も止めることはできない…
でも、ヒロコさんにとっては少し違うと思う。
ヒロコさんは、父のパートナー。
父に寄り添い、手を繋いで何十年も過ごしてきた人なのだ。
本当にいつもラブラブで、おしどりカップルだったのだ。
父がいなくなったら、大きくぽっかりとこれまでの半分がなくなる。
そのあとどうすればいいのか。
ヒロコさんは、認知のお母さまのめんどうも見ていらして、お母様のほうがずっと認知は進んでいるとのことだけれど、お母さまについては、きっとじゅうぶんに覚悟もしていらっしゃるのではという気がする。
お母さまのことを語るヒロコさんは、平常心で聡明で、明るく優しい。
でも、父の病気のことについては、辛い、切ない、不安…な気持ちでいっぱいなのだ。
ヒロコさんからは、いつもそんな心細いメールがくる。
いつかは来ると覚悟はしていたつもりでも、まだ一緒にいてほしい、ひとりで自分のわからない世界にいかないでほしいという思いが伝わって、切なくなる。
天国へ…という以前に、認知症の進行が、少しでも遅らせられるように、彼女は、一瞬でも長く、父と一緒にいて、語り合いたいのだ。
私…すごくわかる。
親に対する思いと、パートナーへの思いは違うのだと、よくわかる。
辛くて心細いだろうけど、反面、それほどまでに父のことを純粋に愛することができるヒロコさんは、素晴らしいし、羨ましい。
こんな人に、私は50年の人生で初めて出会った。
いや、出会ったのは25年前だけれど、それからずっとヒロコさんは変わらない。
私の人生50年で、いちばん仲良しのカップルだ。
こんな、仲睦まじいカップルを、神様が見捨てる筈がない。
やっぱり、神様に手を合わせて祈らずにいられない。
私は、ヒロコさんのために祈る。
ヒロコさんのために、父の認知症が進まないように頑張る。
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