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ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

除夜の鐘

2016年12月09日 | 社会派らぼ
今年も、いつの間にか師走に入りました。時間が経つのは早い…と、最後の1枚になったカレンダーを見ながら、つくづくそう思います。さて、12月というと、大晦日・お正月はもうすぐそこに迫っています。

最近、大晦日の除夜の鐘が「うるさい」とする苦情が増えていると言われます。近隣住民から「うるさいので鐘を鳴らさないで欲しい」という苦情が持ち込まれ、除夜の鐘を中止したお寺もあるようです。

ゆく年の煩悩を取り払うとして、煩悩の数だけ108回鐘をつく…という説が正しいかどうか知りませんが、中国から伝来した習慣とされています。そうした寺の年中行事にさえ、苦情が舞い込むという世の中は、これはこれで正常なのでしょうか。各所で寺院は昔からその地にあるわけで、どちらかと言えば寺院の近所に家を建てた人たちが居る…という順序になるはずです。しかも除夜の鐘は1年に1日だけの事なのに。

同列に並べて良いのかどうか分かりませんが、保育園も「うるさい」と苦情がよく寄せられる施設の一つです。待機児童が大きな社会問題になっていますが、新たに保育園を建設しようとして、近隣の強い反対に遭って頓挫するという話も聞きます。但し、子どもの声は勿論なのでしょうけれど、送迎の保護者の立ち話がうるさいと言われているようで、保護者側のマナーも大切なようです。

いずれにしても、自分には関係のない事、興味のない事は「騒音」になるのだと思います。知り合いの子どもは可愛いけれど、知らない子どもはうるさい…とも言われ、園では行事に近隣住民を招待したり、挨拶に回ったりして「知り合い」になる努力をしておられるところもあるようです。

つまり、「寺」が昔のように深い信仰の対象では無くなった事が大きな素因としてあるように思います。ある寺で、「仏教」の話ではなく、「社会問題」について考えるイベントを本堂で始めたと聞きました。参加者の殆どが信徒ではなく、SNSで繋がった住民だと言います。地域でどのような役割が果たせるかの模索だというわけです。

除夜の鐘がうるさいと文句をつける方が行き過ぎているという気はしますが、生活の身近な存在に成る努力も要るのかもしれません。

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歪み

2016年12月08日 | 命の生き方
韓国では、大統領弾劾のデモが異常な盛り上がりを見せています。朴槿恵大統領の友人である実業家の崔順実氏が、長く国政に介入し、大統領の威光をカサに利権をむさぼっていた事が発覚し逮捕されたのを受け、それを許して来た朴大統領の支持率が急降下したものです。大統領は来年4月末の退陣を受け容れる事を表明しました。これを受けて与党では、4月末に辞任するなら弾劾の必要はないと軟化しているようですが、大規模デモとなって爆発している国民感情がこれを受け容れるか否かは、定かではありません。

こうした事件は、明るみに出てしまえば、誰もが「あり得ない」と断言します。ただ、その明らかに「あり得ない」事がその一瞬前まで、様々なしがらみの中で許容されて来た事は事実なのです。大きな権力の前で、微力な自分が何をしたところで無力に等しいと諦めて来た事も、実はその歪みを許容して助長する悪事に手を貸すのと同罪だったと、改めて反省すべきなのだと思います。

矛盾を抱えていない組織…というのも、実は存在しないのかも知れません。どんなに理想を詰め込んでみても、私利私欲におよそ無縁の者が指導者になったとしても、必ず何らかの利権欲がうごめいて来て、批判に値する日常が生まれてしまうような気がします。それは、自分は他とは違うんだと信じるほんのちょっとした虚栄心だったり、歪んだ正義感だったりするので厄介です。

本人は「正しい」事の上に「正しい」事をただ積み上げているつもりに違いないのですが、世の中では、ほんのわずかなずれもなく正しさを積み上げるという事が、キット不可能なのです。子どもの玩具の積み木を積み上げる時、バランスを取りながら正確に積み上げていくと、より高く積むことはできますが、永遠に積みあげることは論理的には可能でも、現実的には無理があります。積んだ積み木は、必ずどこかでバランスを崩して、大きな音を立てて崩れます。積み木のピースの一つひとつが全くの歪みなく作られてはいないから…なのでしょうか?

「自分のやっている事は正しい」と思いこむ時ほど、実は自分の抱える矛盾に目を向けなければならないのかも知れません。「力」を感じる時ほど、その力が誤った方向に走って行きはしないかを振り返る必要があるのだと思います。時に、その歪んだ大木から離れることも、大切なのだと思います。

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高齢者運転

2016年12月07日 | 社会派らぼ
最近、高齢者が運転する車の事故のニュースをしばしば耳にします。時代が豊かになって、各家庭が車を所有し、日常的に車に頼る生活を過ごして来た世代が高齢と呼ばれる年代になって来たという事なのでしょう。車はあまりにも日常的なものなので、自身の衰えなどを改めて自覚する事もなく、ただ乗り続けているので、危険を感じる暇が無かったのだと思われます。

良く、パソコン習得に際して「もう、歳だから」とおっしゃる方がおられます。私は、習得に年齢は関係ないと思っています。瞬発力や暗記力などは、年齢と共に退行せざるを得ないとは思うものの、理解力に関してはいつまでも明晰でおられる方はたくさんいらっしゃいますから。

一般的には少しずつ身体能力が下降線を描いては行くわけですが、そのカーブには個人差が非常にあります。ですから〇歳と年齢を定めて、免許証を返納していただくことがしにくいという問題があります。本人、もしくは身近な家族、友人が、その身体的状況を客観的に観察して判断するしか無いでしょうか。

だから、自動運転技術の導入に期待が集まります。既に、ある程度のところまで技術開発は進んでいるようです。ただ仮に、自動運転の技術が導入されたとして、誤差の解消のための補正操作やとっさの判断で運転を手動に切り替える事は必要ですから、そのようなボタン?が運転席には装備されるはずです。…となった時、電子機器の取り扱いに不慣れな高齢者が、誤ってボタンを押してしまう…といったまた新たなトラブルを考えなければいけなくなりそうです。実際、パソコン操作ミスも、「どこを押したかわからないけれど…」と申告してくださる場合はまだいい方で、「何もしていません」と頑強におっしゃる場合もありますから。。。。。

明日は我が身。高齢になるほどに、車は必需品になって行くかとは思いますが、何歳で運転を止めようなど考えておくことも必要かも知れません。

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WELQ

2016年12月06日 | 社会派らぼ
DeNAが、運営していた「WELQ」という医療情報サイトの公開を停止したそうです。既に停止した後なので、見に行くことはかなわないのですが、何でも専門家による監修が十分でなく、記事の品質が低いというのがその理由とされています。

WELQ自体を知りませんので、どうこう言う立場にはありませんが、ネット上には、センセーショナルなタイトルをつけた記事をあちこちで見かけます。「キュレーションメディア」とか「バイラルメディア」と言った言葉も時々耳にするようになりました。これらは、インターネット上に存在する多くの情報を、適当に収集し、まとめているようなサイトといった意味合いでしょうか。実際は、コピペするような形でいい加減にばらまかれており、今更言うまでもなく、内容の真偽は保証されていないものも多いようです。

サイトは人を寄せる事だけを目的にしていますから、興味を引きそうな見出しをつけたり、検索されそうなキーワードに対応させるなどのSEO対策はばっちりで、人々のクリックを誘います。サイトのライター達が気を配るのは、内容ではなく、パクリがバレないような文章に変えるところだったりするようで、実際にそんなライターを指導?するところもあるのだそうです。

Facebookなどには、興味本意のような投稿がヒョイヒョイ「おすすめの投稿」などとして入ってきます。なんとなくタイトルに誘われて、サイトまで行く事も無くはありません。たまたま「WELQ」がやり玉に挙げられて、このような経緯をたどりましたが、ネット上には同様の他サイトが山のようにあると想像できます。東京都がこの問題に注目し、同様の他サイトへの対応も含め、対処に乗り出そうとしているらしいのですが、実際の監視や規制には相当の無理があるような気がします。人々の体の真ん中の芯にあるべきものが「いかに生きるか」ではなくて、「いかに儲けるか」になってしまったのは、いつからなのでしょうか。

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優しい時間

2016年12月04日 | 雑談
大学卒業以来、一度もそうした機会がないまま、初のOB展を開催するとの話が出たのが2年前。先輩方のご尽力のおかげで、本当に、本当に!開催されました。ですから、準備期間というのは随分長くあったはずなのですが、親の介護だの子どもの世話だのに明け暮れて、結局もう出品は止めておこうか…とも思ったのを、何とかギリギリで仲間に入れてもらいました。

それよりも、本当に卒業以来ですから、一目ではわからず、名乗り合って「えー!」から始まる再会でした。但し、お話しさせていただいていると、見事にタイムスリップ。懐かしい時間でした。残念ながら所用がありまして、初日しか会場に行けなかったのですが、十分に満喫しました。

何十年という時の流れが、トテモ優しいと感じた時間でした。と同時に、あの頃は「語るべき自分」を持たなかったことを、痛切に思い返しました。若者が世の中を知らないのは当たり前の事ではありますが、それでも「語れる」ものを持っている事は大切な事ではないのだろうかと思いました。諸先輩達を含め、皆が優しい時を重ね、こうして再び出会えたことに、ただひたすら感謝…です。

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iTunesカードの残額を知りたい

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勉強垢

2016年12月03日 | 社会派らぼ
若者は、SNS上でのアカウントを複数持っていて使い分けるのが当たり前になっていると言われています。本名で登録している「表アカウント」の他に、愚痴などを言うのに使う「裏(闇)アカウント」、趣味の情報の収集に使う「趣味アカウント」等々。中でも、勉強状況を報告し合うといった「勉強アカウント」俗に「勉強垢」が人気があるといった話も耳にします。

Facebookは本名を前提としていますが、インスタグラムやTwitterでは複数のアカウントを使い分けることができます。インスタグラムでは何といっても「いいね!」をたくさん獲得することが一つのステイタスになっており、その「いいね!」を獲得するコツは、投稿に統一感を持たせることだという説があります。確かに雑多なものが並べられているよりもテーマが絞られている方が、見る方も見やすくなりますし、タイムラインも同じテーマのものばかりが流れて来ることになり、非常にスッキリとするはずです。

…を、実現するのが冒頭の複数アカウントという事になるのだそうです。言い換えると、アカウントごとに、異なるテイストの人と繋がる事ができるわけで、極端な言い方をするなら「なりたい自分」を複数使い分けることができるのかも知れません。

彼らは、リアルな友人関係の中では、殊更に勉強している風を隠したがります。「こんなに勉強している」とその量を誇る事も、「こんなに良い点数を取った」と自慢する事も、友人同士の間ではご法度に近いものがあります。かと言って、勉強上の悩みを打ち明けるような間柄でもありません。そんな彼らが少し飛びついたのが「勉強垢」。勉強アカウントです。そこでは、「こんなに勉強した」と誇ったり、志望校や目標などを胸を張って晒せるのだそうです。

結局のところ、真の友人の作り方というのを、彼らは知らないだけかも知れません。そして人は、少なからず己一人で何事にも立ち向かわなくてはならないという覚悟が未だできていないのかも知れません。SNS上で自分を鼓舞し高めることができるなら、それはそれなのでしょうけれど。つぶやくより先に、自らがどのようにありたいかをシッカリと悩み求める事の方が先で、そうしたところで紡いだ数少ない絆は、SNSよりはるかに強い事を、彼らにもいつか知って欲しいと思います。

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ワードに読み込んだPDFをトリミングしたい

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