例のSTAP細胞の一件以来、マスコミは未だに小保方氏のバッシングに余念がありません。良く知られての通り、小保方氏が早稲田大学に提出した学位論文について、調査が行われていました。結果、早大の調査委員会は計26か所の問題点があり、うち6か所は不正と認定されたものの、博士号の取り消し要件には該当しない…と結論づけました。
この調査結果に、研究者や専門家からは、疑問の声が上がっていると言います。門外漢の私が、下手にこうした問題に意見を述べることは慎みたいとは思うものの、指摘があるように、小保方氏の学位を取り消すとなると、他にも多くの取り消しが必要になってしまうために、彼女の論文も不問に処すというのが、どうやら真実のような気がします。元々から、理研はこのSTAP細胞の問題を、あまりにも乱暴に「不正」として幕引きを図ろうとしていた感があるのですが、それすらこれ以上引き延ばすと、他の研究者の論文にも支障が生じることが明白なための、幕引きのような気がしてなりません。
恐らく、事は早大にとどまらないと想像します。あまりにも簡単にコピペができる世の中になっており、それらに対する罪悪感も大半の人が感じてもいません。論文然り、議員の報告書然り、企画書然り、レポート然り。既に、私たちの周りの多くの場面で、手軽に意見をまとめる際にはコピペが横行しています。ネットに掲示板と呼ばれる機能があります。誰かがスレッドを立てて質問などを書き込むと、それに対して回答が寄せられるといった仕組みです。質問者は回答の中から「ベストアンサー」を選ぶことになっており、回答者たちはベストアンサー欲しさに、他のサイトの内容などをコピペして素早く回答するなど、問題は日常茶飯事になっています。マナー云々を声高に意見する良識のある者も当然いるわけですが、マナー違反は後を絶ちません。
元をたどって考えると、考えて「自分の意見」を持つよりも、正解とされているものを教わればそれで良いとする学校時代に遠因があるような気がしてきます。読書感想文など、本当に自分が考えたことを真正面から書ける生徒はむしろ少数派で、大半は論評などを読みながら巧く切り貼りをして切り抜けてきており、現場の教師も問題視することなく受け取ってきているのです。こうして育ってきたわけですから、真のオリジナリティを目指すことはなかなかの至難の業であったりもするのです。至難の業であるからこそ、値打ちがあるわけでもあります。
当面の問題に対峙し、考えて自分の「意見」を正しく持ち、それを表現することは意外と難しいものです。他人ばかりを非難して、自らの中にある甘さに気づかずにいることは、少し違うのではないかと思います。本人に起因しているとはいえ、ごく普通の一生懸命の若い研究者を、早く学びの場に反してあげたいと思います。
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パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。なお、メールアドレス変更しております。
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恐らく、事は早大にとどまらないと想像します。あまりにも簡単にコピペができる世の中になっており、それらに対する罪悪感も大半の人が感じてもいません。論文然り、議員の報告書然り、企画書然り、レポート然り。既に、私たちの周りの多くの場面で、手軽に意見をまとめる際にはコピペが横行しています。ネットに掲示板と呼ばれる機能があります。誰かがスレッドを立てて質問などを書き込むと、それに対して回答が寄せられるといった仕組みです。質問者は回答の中から「ベストアンサー」を選ぶことになっており、回答者たちはベストアンサー欲しさに、他のサイトの内容などをコピペして素早く回答するなど、問題は日常茶飯事になっています。マナー云々を声高に意見する良識のある者も当然いるわけですが、マナー違反は後を絶ちません。
元をたどって考えると、考えて「自分の意見」を持つよりも、正解とされているものを教わればそれで良いとする学校時代に遠因があるような気がしてきます。読書感想文など、本当に自分が考えたことを真正面から書ける生徒はむしろ少数派で、大半は論評などを読みながら巧く切り貼りをして切り抜けてきており、現場の教師も問題視することなく受け取ってきているのです。こうして育ってきたわけですから、真のオリジナリティを目指すことはなかなかの至難の業であったりもするのです。至難の業であるからこそ、値打ちがあるわけでもあります。
当面の問題に対峙し、考えて自分の「意見」を正しく持ち、それを表現することは意外と難しいものです。他人ばかりを非難して、自らの中にある甘さに気づかずにいることは、少し違うのではないかと思います。本人に起因しているとはいえ、ごく普通の一生懸命の若い研究者を、早く学びの場に反してあげたいと思います。
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