ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

終活

2014年07月30日 | 命の生き方
「就活」や「婚活」といった言葉が流行り、その同じ流れで「終活」も人気のようです。「終」つまり、来たるべき「死」に備えての準備を指す言葉らしいです。専門雑誌が刊行されたり、特集が組まれたり、またイベントなどが催されているのを見かけることも少なくありません。

終活では、来たるべき「死」を迎えるために、今しておくべきことを様々に提案する内容となっているようです。例えば、自分のための葬儀を計画したり、入るべき墓を準備したり、遺言書を作成したりするような事も含むようです。死を見つめ、死を迎える準備をすることで、今現在の生き方を見直そうとするもののようで、終活カウンセラーなる仕事ができていたり、それらの勉強会や検定なども展開されているようで、ブームというのはなかなか恐ろしいものです。

興味を覚える人が、興味の赴くままに、活動?をされればいいことで、とやかく言う気はありません。が、個人的には「終活」に興味はありません。「死」などというものは、如何に準備をしたところで、到底納得のできるものではなはいはずだと思うのがその最たる理由です。例えば「葬儀」の段取りを自分で立てておく…といったことも提案される一つのようですが、葬儀というのは、送られる本人のためにあるものではなく、残された送る側のためのものだと、私は理解しています。ですから、どう送られたいかなどということは関係がないような気がするのです。残された者が、どう送りたいかで仕切られるべきもので、私個人的には、自分のための葬儀というのはやって欲しいとも思っていません。また、遺産のトラブルなどを避けるために、キチンと遺志を残すことも、不要ではないかと思っています。(遺産なるものがない人間にはあまり関係がある話でもなく…笑)もし、自分の死後に財産が残るとしても、それはもう自分のものでは無いと思います。自分のものでは無いのですから、それもまた残された者の意志で決める問題なのだろうと思えてしまいます。要するに、人は死んだら、そこですべての物事がストップするのであって、それ以降を自分が操ると考える余地は私にはないのです。

「終活」なるものが、精神的な問題に殆ど触れようとしていないことも、なんだか気にかかります。葬儀の費用とかしきたりのことなどばかりが問題に取り上げられすぎていて、精神的な葛藤などに関しては、かなり関心が希薄なようです。必要だとしたら、そういう魂の問題が真摯に掘り下げるべきであり、ブームに乗ってするような問題とは、到底思えないのです。




ワードのクリップアートは自由に使ってもよいのですか

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。なお、メールアドレス変更しております。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。