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ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

パソコン

2019年01月13日 | 雑談
81歳のある方が、コンピュータウィルスもサイバー攻撃も怖くない…と歌いました。彼の論理によると、パソコンなどは使わないから。新聞や本、テレビに電話で、十分に事が足りているのだそうです。81歳というお歳を考えると、IT技術に遅れずに参戦し最先端にいる方と、一方でそうしたIT機器には無縁の方とが、双方おられても不思議ではありません。それぞれ、考え方は違って構わないのだと思います。自分がありたいように、あればそれで良いのですから。

だから、この方が「パソコン」とひとっからげにされている、こうした文明の利器を、使わないことは、さして珍しい事でもありません。ただ、この歌にフト私が引っ掛かったのは、彼の歌が「外へ出てみろ」と続いていたから。パソコンなど無くても困らない、むしろそうしたものがない方が、より豊かなものを全身で感じる事が出来るんだ…と、彼が歌っているような気がしたから…です。

ネットは人類にとって「第4の火」とでも呼ぶほどに、その生活を一変させる発見だったと、私は思っています。かと言って、小学生のなりたい職業が「ユーチューバー」となって来ると、そこまではついて行けません。SNSで発信することが手軽になりましたが、本当に発信する価値のあるものを見極める力…を、私たちは磨かなくてはなりません。

81歳のこの方ほど、潔く「パソコン」を否定できたら、もしかすると事は簡単なのかも知れません。…が、彼の言う新聞や本、テレビや電話が、実はコンピュータ技術の上に成り立っている代物だという事に気づいておられるでしょうか。自分がパソコンを触らなくても、今やコンピュータ無しには、この社会が成り立ちません。新聞を作るにも、本を作るにも、あなたの目には見えないところで、コンピュータ技術が使われているのです。文明の利器を反省する見識も大切ですが、人は常に謙虚でなければならないと思います。

倫理感

2019年01月08日 | 雑談
株式会社ZOZOの前澤代表取締役社長が、5日ツイッターで「100万円」プレゼントを発表しました。経営するZOZOTOWNの、新春セール史上最速100億円突破記念なのだそうです。前澤氏のツイッターアカウントをフォローし、リツイートすることで応募は完了とあって、フォロワーは600万人、リツイート550万件に達したとあります。ざっくりと考えて550万人が応募した…という事でしょうか。応募は7日で締め切られ、8日当選者にDMが配信されたようです。当然ですが、当選した人から喜びのリプライが届いている一方で、偽前澤ツイッターも登場したりの大混乱のようです。

金額は公表されていないものの、初の民間月旅行を1機まるごと契約するような方ですから、1億円くらいのお金をばらまいたところで、痛くも痒くもない…というのが、真相のようです。それより、ギネス級のフォロワー数やリツイート数を誇る方が、彼にとっては意味があると思われます。お金をあげるという人がいて、欲しいという人がいるのですから、第三者がとやかく言う余地はありませんし、ツイッター日本法人は、この企画がTwitterの利用規約に違反はしないと明言しています。

但し、何人かが指摘しているように、「金持ちに心を遊ばれている」という側面は否定できません。Twitterは13歳未満の利用を制限しています。言い換えると14歳以上であれば、アカウントを持つ事ができます。つまり、前澤氏の企画には、10代の子ども達にも応募資格があった訳です。どのような基準で当選者を決めたのかは分かりませんが、大の大人でさえ「心が遊ばれて」しまうわけです。当選者は出さないまでも、子ども達がこのような企画にワクワクしながら応募している事を考えると、前澤氏の屈託のない「目立てばよい」精神も、少しセーブすべきなのかも知れないと思います。

小学1年生が、海のごみ「シーグラス(海に捨てられた瓶のかけらが、波や岩に削られ、丸くきれいになったもの)」を売る…という体験をまとめていました。漁師さんからシーグラスは高く売れる…という話を聞いた少年が、実際にただで手に入るものを売ってお金になるという経験をしたものです。当節は、子どもへのお小遣いやお年玉も「キャッシュレス」が広がりつつあると言われます。LINE Payなどを使って、スマホにお金を送り、対応店舗で買い物できる…という仕組みです。

お金の考え方が変わった…と言えばそれまでです。時代と共に、様式も価値観も変化していくのが当然ですが、願わくは「お金」が人生の軸になるような価値観が当たり前にはならないで欲しいと思います。「物」や「金」「空虚な虚栄心」。振り回されている事に気づく倫理観を大事にしたいと思います。

教育

2019年01月06日 | 雑談
2020年から、小学校のカリキュラムに英語やプログラミングが導入されることが、既定路線です。おかげで、子どもに英語やプログラミングを習わせる家庭が増えているのだそうです。一方、教職員側には人材不足、準備不足を憂う意見も相次いでいます。

これからの社会はグローバル化・IT化が一層進むと考えられています。そうした社会を生き抜くために、英語やプログラミング教育が必要であるとの観点から、導入が決定されたわけです。実際アジアの他国と比べても、手薄だったことは確かなようですから、方向は間違っていないのかもしれません。

…が、英語やプログラミングの塾に子どもを通わせているご家庭は、こうした能力が高ければ、これからの社会で「勝ち組」になれるという、大きな勘違いをしているかも知れません。私は、以前から「パソコン=のこぎり」理論を唱えています(笑)。「のこぎり」は、DIYや植木のメンテなどに必要な道具で、その扱いに上手/下手はあるでしょうけれど、「のこぎり」自体は目的にはなりません。「◯◯のため」にのこぎりが必要である…と言うだけですから、その「◯◯」を持たない人にとっては無用の長物であり、パソコンが大切なのではなく、◯◯が大切なのだという主旨です。

そういう意味では、英語やプログラミングも「のこぎり」です(笑)。どんなに英語を達者に操ることができたとしても、分かり易く論理だてた話の構築ができなければ、相手の気持ちに寄り添える懐の深さがなければ、相手に気持ちは伝わりません。伝える「内容」こそが大切なのであって、伝える道具や手段にすぎない「英語」は、そういう意味では二の次なのです。プログラミングも同様で、大切なのは、プログラミングが書けることではなく、どのようなシステムを提案できるか…にあるはずなのです。

英語やプログラミングを学ぶことは悪い事ではありません。問題なのは、そうした事に時間をとられるあまり、思考力やオリジナリティを育てることがおろそかにされてしまう事なのだろうと思います。オリジナリティを取り違えて好き放題にふるまう事を諫め、思慮を深め、自由な発想で次代の鍵を開ける事ができる人材を育成する事を目指す教育でなければならないはずだと思います。

奇しくも橋下徹氏が、今の教育は「死に知識」が多すぎる…と、ツイートされていましたが、大々的にカリキュラムを見直すべきだと私も思います。


年賀状

2019年01月04日 | 雑談
昨年も自身の年賀状を投函するのは、年末ギリギリ…となってしまいました。「いただくので仕方なくこちらも出している」といったお付き合いは、できるだけ止めておこうと思いながら、連絡を取り合っている友人に「いただく・いただかないに関わらず、かつてお世話になった方々」を加えると、今年も昨年とほぼ同じくらいの枚数の年賀状を書いたように思います。

SNSが当たり前になって来た昨今、若い人たちを中心に、年賀状離れが起きていると言われ、実際郵便局の年賀状の当初発行枚数も今年は約24億枚で前年比で19.4%マイナスと言います。(比較に使った前年枚数は確定値であり、前年も当初発行枚数で計算するとマイナスは約7%だそうです。)にもかかわらず、元旦のポストには、ご挨拶の年賀状をそれなりにいただきました。webでいただいたご挨拶は数件で、我が家に限っては、まだまだ年賀状健在というところでしょうか。多分に、当方の年齢に合わせていただいているきらいもあるやとは思います。

ところで、「結婚しました!」や「新しい家族が増えました!」の年賀状が不快だという人が少なからずおられ、配慮が必要ではないかという声は、年々大きくなって来ている気配があります。年齢的に、我が家にいただく年賀状はとおの昔にそうしたピークを過ぎました。が、何枚か送ってくださる写真は、孫の成長を見る感覚で目じりを下げながら楽しく拝見しています。

友人の結婚式の年賀状にイライラする…とか、他人の子どもなんてウザいだけ…とか、欲しいのに子宝に恵まれない身としては辛い…とか。送る側に悪気があるわけでは無いのに、嫌な思いをしている人が少なからずおられるのは確かなようです。だから、知らず知らずに相手の心を傷つける事をしている事もあるのだという自覚が必要だという論調になります。中には、郵便局にそうした年賀状は受け取りたくない旨の登録をしておいて、AIが自動的に判断して、送らないようにするシステムを提唱する人もいて、むしろそちらの方に唖然としてしまいます。

ただ、人の価値観というのは、一人ひとり違っているもののはずですし、理想とする幸せの形を得られないから不幸なのかというと、そうでは無くて、どんな境遇の中にも存在する意味を見つけるのが人生の命題なのだと思います。むしろ、結婚式の写真を見せられて止めて欲しいと思う相手なら年賀状を送りあわなければよいのではないでしょうか。子どもの写真にイライラするという相手と無理につき合わなくても良いのではないでしょうか。

人の喜びを素直に喜んであげられないのは、狭量が狭すぎるのではないかと、私は思います。現代は「自分らしさ」を強調するあまり、自分の独りよがりの素の感覚が、唯一絶対の「私」なのだと信じる人が多すぎる気がします。修身という言葉には、非常に古臭い偏ったイメージがこびりついてしまっていますが、自分の精神を磨くこと、生きることが求道であるという感覚が全くゼロの現代が、人の生きる姿であるとは思えません。

「受け取る側の気持ちを考えよう」議論ではなく、自分の人生を横切って行く様々な人の生き方に想いを馳せる余裕が大切なように思います。

あけましておめでとうございます

2019年01月02日 | 雑談


あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年のフィギュアスケートの全日本選手権で、4年ぶりに現役復帰を果たした高橋大輔選手が、2位の表彰台に上がりました。条件としては、世界選手権の派遣選手としての基準を満たしてはいたものの、彼は「若い選手が経験する必要性の方が大きい」として、代表選出の打診を辞退したそうです。

「僕は32歳で先の希望があるかというと、ないと思う」と彼は言っています。会社で言うと、入社して10年目くらい、ある程度の仕事も任されて来た頃。まさにこれから!と、張り切っている頃でしょう。スポーツ選手は過酷です。一説には、女子体操界で「17歳限界説」なるものが、ささやかれる事すらあると言います。筋トレや減量などで、体質変化に抗うのは並大抵ではないという訳です。種目によって差はあるものの、年齢の壁に阻まれたアスリートはたくさんいるはずです。

日本人の平均寿命は、女性が87.26歳、男性が81.09歳。医学が進んで、人々は次々と病気を克服してきました。本庶氏のノーベル賞の報に接し、いずれ癌も治る時代になるのだろうかと、夢は尽きません。が、歴史の中に名が残るような人たちが、実は何歳で亡くなったか、振り返ると、その若さに改めて驚かされます。

よく引き合いに出されますが、明治維新の精神的指導者として知られる吉田松陰は、幕府に捕らわれて死罪となったのが享年30歳(満年齢で言うと29歳)。多くの油絵を残したゴッホは、37歳で自殺を図ったと言われます。織田信長が明智光秀の謀反に遭い、逗留先の本能寺に火を放って自害したのは49歳(満48歳)など。自然死で無い例ばかりになってしまいましたが、その年齢で生涯を終えて尚、歴史の中にに名を残すだけの人生を歩んだことがスゴイ。いわさきちひろは54歳、ベートーヴェンは56歳。

つまり、長く生きるから何かができるわけではなくて、生きる長さに関係なく、人は何かをすることができるのだという事です。高橋流に言うと「私は◯歳で先の希望があるかという、ないと思う」それでも「できる」ことがある限り、もう少しの間、走っていたいと思います。

2019年もどうぞよろしくお願いいたします。

(画像は「図案屋さん」より)

2018年12月30日 | 雑談

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A3用紙2枚のPDFを、A4用紙4枚に印刷したい

「システム警告」の画面が出て、閉じることができません

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今年もお世話になりました

2018年12月29日 | 雑談
2018年が暮れようとしています。

西暦というのは、イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年としています。日本では弥生時代の中期頃でしょうか。当時の生活は、歴史の教科書で習いましたが、それは土器、金属器や稲作などの文化についてでした。が、西洋には「聖書」なるものが存在し、人々の怒りや悲しみ、苦しみや喜びなどを読み取ることができます。そして、もっともっと遡れば、いずこも「神話」の世界に入って行きます。「神」の話として今に伝わってはいますが、その本筋は「歴史」であっただろうことが想像されます。そこには脚色も誇張も入り込んでいますが、「神」たちが繰り広げる嫉妬も憎悪も、史実であったに違いない…と思うのです。

そこから、一体何千年の時間が流れたのでしょうか。それでも、人間が繰り広げているものは、嫉妬であり憎悪であり、互いに戦って滅ぼし合っているのだとしたら…人間というのは、なんと成長の無い生き物なのだろうかと、ため息が出てしまいます。

国と国との交渉は、私たちの生活とは程遠いところで行われていて、個人としては直接どうしようもない事ではあります。有権者が選挙で選んだ政治家たちが、日本を動かしているわけですが、選挙で入れる一票には、政治家の主義主張をすべて制約する力はありません。選挙の時の選択は、消去法とでも言わざるを得ない場合も多いわけで、幸か不幸か私たちの日常は、世界の不穏な情勢とは別次元にあります。

それでも…、一人ひとりの人生の70億倍のところに世界があるのだとしたら、70億分の1の小さな日常もおろそかにできないのかも知れません。ただ流されて、楽しければいい、目立てればいい…のではなくて、どうあるべきなのか、どうありたいのか、もう少し人は真面目に生きなくてはいけないのではないかしら…と、何となく思っています。

今年も1年間、色々な方々にお世話になって、今日があります。小さな歩みを止めない事こそが、たくさんの方々への恩返しかと、そんな風に今は思っています。ありがとうございます。

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友だちが増えたので、捜しにくい

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平和

2018年12月24日 | 雑談
来年退位が決まっている天皇陛下が、85歳の誕生日に先立ち行われた最後の記者会見で、「象徴と位置付けられている天皇の在り方」を求めながら務めて来たと声を震わせておられました。世の中の多くの人間は、自分自身の生きざまを模索して、正解のない人生を手探りして生きています。それでも、周囲には手本として見習いたいと思うような人もいれば、反面教師よろしくこうにはなるまいと居ずまいを正す事になるような人もいたりします。天皇陛下という立場は、周りの人から生きるヒントがもらえるわけでもなく、とてつもない孤独の中におられるのかも知れない…と、少し想像してみます。

陛下は、会見の中で「これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかし、その後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。」と述べておられます。

人間は、必ず昨日よりは今日、今日よりは明日、進化するのかと言えば、そうとは限らない…というのが本当のところのようです。確かに、もう少し前…の方が、世界は平和に向かっているという実感があったように思います。ただ世界…という大きな視野で見るなら、戦火が止んだことは多分一秒も無かったのかも知れません。それでも、これから互いが歩み寄って行ける…と錯覚を持った者はたくさんいたはずです。

最近は「自分に正直にある」事が大切にされます。就活も、まずは「自分探し」から始めるといったアプローチが主流です。本当の「自分らしさ」というのは、決して自分が心地よいとか、我慢しないとかを指すものでは無いと考えるのです。が、どうも「自分の立場」をためらわず、ひるむことなく主張する…事こそが、「強い」事であるという風潮が拭えません。

世界中がてんでに、自己主張をするばかりであれば、陛下の会見を待つまでもなく、多分世界は後退しているのだとしか思えません。

バブル

2018年12月22日 | 雑談
昭和61年12月から、4年と少しの間、日本は「バブル」と呼ばれる経済状態を経験しました。「バブル」というのは「泡」。不動産や株式などの市場価格が、投機によって経済成長以上のペースで高騰し、実体とは大きくかけ離れた金額で取り引きされてしまい、以降投機によっても支えきれなくなるような経済を言います(あっているでしょうか?…)。バブルは終わってみないと分からない…と言われているようですが、振り返ってみるとそれほどの価値の無いものに、過剰な期待が集まって、どんどん膨れ上がってしまい、一過性の好景気が終わった途端に不景気に転じる事から「バブルが弾ける」などとも表現されたりします。

資産家と呼ばれるような人たちは、高騰しそうな資産を買い占め、それによって儲けるわけで、そうした野心がバブルを産み出す…という事になるのでしょうか。バブルの時期は、産業界全体が活気づいていますから、何をやっても元が取れてうまく行くように思いますが、本来の価値から大きく離れた価格で取り引きされているわけで、弾けてしまうと、本来のあるべき価値に逆戻りしてしまいます。

本来の価値は大した事がないのに、過剰な期待が集まって、どんどん価値が高騰してしまい、ある日突然その価値が実態を伴わなかったことに気づく…という意味では、今の私たちの社会はバブルの中にあるのかも知れません。自分たちは、それが大きな価値を持つような気になっているだけであって、本来さした価値も無かった事に気づく…まで、踊らされてしまっている事に気づかない。もしかすると、そんな泡のようなものを追っているのではないかと、フト思う事があります。

「アイドル」と呼ばれるジャンルがあります。今活躍しているアイドルの事も詳しくはないのですが、歌手なら歌唱力、俳優なら演技力といったものが伴わないにも関わらず、活躍している人たちがたくさんいます。多くはシッカリした事務所が「売り」に徹しているわけで、ある意味で一過性だと分かりながら、一時だけで消えていきます。もちろん本人たちが、その状況を百も承知で、仕事と割り切っているのでしょうが、中には勘違いしてしまう者もいるかも知れません。

SNSが大流行しています。流行といって良いのかどうか分かりませんが、数千万人とも言われている人たちがSNSを利用しています。が、流行り廃りも激しく、どんどん新しいサービスが登場すると同時に、従来のサービスの利用者が減って行ったりします。それでも一日に何時間も画面を見ている人がたくさんいて、毎日が充実しているかに感じているかも知れませんが、それももしかするとバブル。本当はさした価値もないものに翻弄されているだけかも知れません。

本当に、手の中にあって消える事のないもの。絶対に見失う事のないもの。泡のように消えてしまわない、確かなものが世の中に必要です。

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データベース関数が正しく働かない

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超えるもの

2018年12月21日 | 雑談
政府が国際捕鯨委員会から脱退する…という方針を示しました。東京オリンピックや大阪万博の開催を控え、多くの反捕鯨国の反発を予想すると、なぜこの時期なのかという心配論が強くあります。「意見が通らないからやめる」というあり様がどうなのかという意見も正論です。

先般、愛用しているパソコンが「アップデートに失敗」し、正常なアップデートができなくなりました。旧いままで使えなくはないのですが、電源を入れ直す度に長時間の「更新中」が示され、何度も「再起動」がかかる上に、挙句は「更新に失敗しました。元に戻しています」に再び時間をとられ、最終的にやっとシステムにログインできるという状況に、対処を迫られる羽目になりました。結果的に、やっと「最新の状態です」というメッセージに至りましたので、やれやれ…ですが、パソコンのシステムに詳しいわけでなく、Windowsに用意されているツールを利用しながら、何とか修復することができました。

コンピューターというボックスの中は、素人には「ブラックボックス」です。直接思い通りの指示を出すことができず、(自分の技量で)分かっている範囲の正規のルートだけを何度も何度もたどりながら、状況を改善して行く方法は、やはり相手が機械である事を思い知らされます。コンピューターの処理能力が、いかに速く優れているか…は十分に分かっていますが(何せ、パソコン大好き人間ですから)、どんなに技術が進んでも、「困っているから何とかしてくれないだろうか」といった人間らしさには叶わないのではないかと、密かに思っています。

ルールづくめの現代社会や、主張ばかりの会議風景を眺めていると、人間がコンピューターに近づいているのではないだろうかと思ったりしています。異なる考え方の多くの人間が、秩序正しく暮らすためには「法律」というルールが必要です。ですが肝心の「法律」は如何様にも解釈が可能であったり、全ての状況が同一であるという訳もなく、考え方の大きな差異はどうしようもなく「三審制度」などといったルールが出来上がりました。…が、それで裁いてすら、100%の人が納得する結果は生まれません。そこで多数決といったルールが出来上がりました。そして、ある意味でそれは一種の「数の暴力」になることを否めません。

そうした隙間を埋めるべく、「会議」が持たれますが、これまた一方的に主張を声高に言い合うだけ…で、最終的に「数の暴力」で押し切る現実があります。そして、そうでなければ、この社会が回って行かないというジレンマがあります。コンピューター内部に私たちが挑めるのは、用意されている多くのツールでなければなりません。同じように、人間対人間の考え方の違いを埋めるのは、現行のルールに則るしかありません。…が、そんな分厚い文字や記号の羅列に、振り回されるのが本当に人間らしいのか…と思うと、本当はそうでは無いような気がします。

政治も宗教もルールも科学も感情も超えるものが無ければなりません。

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多人数をランダムにグループ分けしたい

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