

マンホールには横手城とかまくらがあしらわれてました。


羽黒の柳を過ぎると、ひときわ大きな黒塀で囲まれた武家屋敷跡が目を引きます。元羽後交通社長片野邸です。右上;入口からちょっとだけ写真を撮らせてもらいました。江戸時代、この羽黒町には上級武士が住んでました。


左上;石坂洋次郎の住んだ家。石坂洋次郎は作家になる前、現横手城南高校と現横手高校で教鞭を執っていました。右上;南小向かいの東海林青果店。読み方は「しょうじ」と「とうかいりん」の二通りありますが、どっちかは不明。「とうかいりん」と読む方が圧倒的に少ないようです。


立派な校舎の横手南小。今年のかまくら行事ではこの校舎にプロジェクションマッピングが投影されたそうです。グランド脇にはソーラーパネル。



裁判所を過ぎると旧日新館が現れます。明治35年(1902)建造。日本初のバルコニーを持つ木造二階建て。英語教師として現横手高校に赴任したアメリカ人チャールス・C・チャンプリンの住居として建てられました。その後、やはり現横手高校で英語教師をし、やめてからキリスト教の伝道師となったマルチン・M・スマイザー(1914~1955居住)終焉の地となりました。



敷地内の庭にあった花。珍しい黄色のカタクリ、オダマキ、シラネアオイは終わってました。


ピンクのイカリソウとヤマシャクヤク。


ワスレナグサとエビネ。(エビネはこの近所の花壇で見かけたもの)

グミの花(本多上野介墓碑前の空き地にあった)。私の小学校時分はグミ、スグリ、マルベ(マルメロ)、クワの実、イチイ(オンコ)の実がおやつでした。