2016.2 埼玉県嵐山町の神社へ行ってきました。
まずは「鬼鎮(きじん)神社」へ
カーブしている道路脇に、おもむろに真っ直ぐ参道が伸びています。
「畠山重忠公の菅谷城の、鬼門除けの守護神として鎌倉街道に沿って建立された神社」ということで、ここは旧鎌倉街道なのかな?
拝殿前には「こん棒」が立て掛けてありましたよ。まさに鬼に金棒^^
鬼を祭る珍しい神社です。
旧村社で、地元では俗にキジンサマ・キチンサマなどと呼ばれているようです。
戦時中は軍人や家族が、現在では受験生や選挙の候補者などが「必勝祈願」に訪れる。
節分の日には境内で豆まきが行われるが、青鬼と赤鬼の面をつけた氏子が、「福は内、鬼は内、悪魔そと」と叫びながら、
参拝者に福豆をぶつける。
約八百年前、安徳天皇の御代、寿永元年に創建され、御祭神は衝立船戸神、八衢比古命、 八衢比売命で、主神の、衝立船戸神は、
伊邪那岐命が黄泉の国を訪れた後、筑紫日向の橋 小門の阿波岐原で、禊祓いをして持っていた杖を投げ出した時、杖より生まれた
神である。 それが幅広く解釈されて、悪魔払いの神、家内安全商売繁昌の神、受験の神と、人生の指 針を示し、強い力を授ける神
として崇められている。
続きまして・・・「鎌形八幡神社」へ
鎌形八幡神社
平安時代の初期、延暦年間に坂上田村麻呂が九州の宇佐八幡神社宮の御霊をここに迎えて祀ったのが始まりであると伝えられている
社です。この説からすると鎌倉の鶴岡八幡宮より古いことになるようです。昭和41年の台風の時に古木のほとんどが倒れてしまった
そうですが、以前は老杉が境内を覆っていたそうです。
都幾川左岸にあるのですが、とても立派で歴史を感じさせる境内です。
木曾 義仲(きそ よしなか)=源 義仲
平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。
『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。
出生地は義賢が館を構えた武蔵国の大蔵館(現・埼玉県比企郡嵐山町)と伝えられる。
(木曾義仲誕生の地を、上野国多胡郡とする説もあり) by wikipedia
鎌形八幡神社(本堂脇)に奉納された繭額(まゆがく)。
本物のまゆがたくさん入っています。昔のまゆは現在のものより小さく、中央がくびれた形をしている。
ひと昔前までは、町内のいたるところで養蚕の風景が見られたようです。まゆの生産量が多く通称「1トン農家」と呼ばれる家も
たくさんあり、昭和の中頃までは全国的にも最も養蚕が盛んな地域でした。
ここ鎌形八幡神社にある木曽義仲産湯の清水は、義賢がこの地に下屋敷をもうけて小枝御前に生ませた駒王丸の産湯の清水
と伝えています。社殿前の階段を下りた所にあり今も御手洗槽の竹筒から清らかな水が零れています。竹筒の根本の石垣の上には
「木曽義仲産湯の清水」の石碑が立っています。
鎌形という名の由来として、鎌倉の鶴岡八幡宮に社殿が似ているから鎌倉の形・・・鎌形となったとも云われているようです。
人知れず・・・キーンとした静けさが漂っていました。
重厚な歴史を重ね、古社の空気が漂っていましたが、様々な思念も全ての執着を終え、ただただ雛型のように感じました。