幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞受賞者の広中平祐と仏教

2009-08-19 | その他
フィールズ賞をご存知でしょうか?

フィールズ賞は、ノーベル賞に数学賞がないことから、カナダ人数学者
ジョン・チャールズ・フィールズ (John Charles Fields) の提唱によって
1936年に作られた賞のことです。

4年に1度開催される国際数学者会議 (ICM) において、顕著な業績をあげた
40歳以下の若手の数学者(4名まで)に授与されます。


数学のノーベル賞といわれることもある。
ですが、「4年に一度」「40歳以下」「4名まで」といった制限がついていることから、
賞としての性格は異なります。
つまり、ノーベル賞は功成り名遂げたその分野の権威が受賞することが多いのですが、
フィールズ賞はいままさに活躍中の数学者が受賞しているのです。
実際、ほとんどのフィールズ賞受賞者は受賞後にも著しい成果をあげています。
なお、ノーベル賞は業績に対して贈られるので、一人で複数回受賞することも可能
ですが、フィールズ賞は人に対して贈られるため、複数回受賞することはできません。

なお、日本人での受賞者は以下の3人です。

1954年
小平邦彦 (Kunihiko Kodaira, 1916年 - 1997年)

1970年
広中平祐 (Heisuke Hironaka, 1931年 - )

1990年
森重文 (Shigefumi Mori, 1951年 - )


今日は、その中の一人、広中 平祐氏に注目してみました。
日本人で2人目のフィールズ賞に輝いた広中氏の専門は代数幾何学で、
フィールズ賞受賞対象の研究は
「標数0の体上の代数多様体の特異点の解消および解析多様体の特異点の解消」
といわれるもの。
難しそうですねー。

山口県玖珂郡由宇町(現・岩国市)生まれ。
夫人は環境庁長官を務めた広中和歌子。
娘の広中えり子も数学者でフロリダ州立大学助教授。

その広中平祐が著した学問論・人生論の

「生きること、学ぶこと」

 

には、仏教のことが何箇所か書かれています。
それも「特異点解消問題」と密接な関係があったようです。
以下、引用です。


私は、物体の本質と、その影との関係は、仏教の言葉
借りれば、「仏のいます世界と、人の世との関係に
似ているのではないか」こう思っていたのである。
(中略)
とく移転解消という問題を知った時、そのような連想を
働かせた。
(中略)
人間は現世において、さまざまな煩悩に引きづられ、
弄ばれ、さいなまれながら生きている。
煩悩とは何か。
仏教でいうこの言葉の真意のほどはわからないが、
それは人を迷わせ、悩み苦しませる、いいかえれば
理不尽な目にあわせる欲情、あるいは妄念のようなもの
であろう。
百八回鳴る除夜の鐘は人間の「百八煩悩」を除く意を
こめているといわれ、また「八万四千の煩悩」という
言葉もあるが、これほどさように、人は数多くの煩悩を
生まれながらもたされ、そしてその煩悩ゆえに迷ったり、
悩んだり、苦しんだり、また、過ちを犯してしまうものの
ようだ。

それが現世というものであろう。
万人の心身にひそんでいるこの煩悩のために、人みな理不尽な
不条理な目にあわなければならないようにできているのが、
人の世というものであろう。

仏の世界は、どうか。
仏の世界においては、この煩悩が残らず解消されている。
そしてその仏の世界から現世をみると、あらゆる不条理な現象が、
不条理と見えないのではないか。
一つの高遠な因果律にのっとった現象であるにすぎないのでは
ないか。

私はこう思った。
物体の影に生じる特異点は、実は仏の世界の影である現世の
無数の煩悩のようなものではないか。
その特異点を解消することは、大げさにいえば、煩悩を解消し
仏の次元に至って、影を支配している因果律を見つけるような
ものではないか、と。

若い読者の諸君には、抽象的な例でわかりにくい点もあるだろうが、
ともかく当時の私は、数学上のこのテーマをそんな大問題にまで
敷衍(ふえん)して眺めていたのだ。

(中略)

梅原猛氏が、フィールズ賞の対象になった私の理論が分からないと
いうので、「特異点解消」を前述したような例えで説明すると、梅原氏は

「いや、実に哲学的な話やね。哲学の話を数学で証明しているみたいだ。
 存在論やね」


といわれた。

フィロソフィ(哲学) 数学という学問は、まさにその人間の哲学から
出発するのである。



さらにこのようなことも書いています。



仏教に「因縁」という言葉がある。
因というのは、“おおもと”の意で、内的なものである。
この内的な因に対して外的なものが縁である。

内的条件(因)と外的条件(縁)が結び合って一切のものが生じ、
またこの結合が解消されることによって一切のものが滅するという
のが、仏教の説く「因縁」である。
一人の人間の一生は、あるいはこの「因縁」に支配され続けるものかも
しれない。




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