日本モデルの先駆者といわれる山口小夜子さんが
亡くなりました。
山口さんの映像はコチラ
山口小夜子さんについて、以下のようなエピソードがありました。
元記事はコチラ
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今の若い人達の何割が、この人の名前を知っているだろう?
今から四半世紀も前だが、「ジャパネスクブーム」ともいうような時期があった。
いろいろな意味で、西洋に対してコンプレックスを抱いていた日本人が
「日本って実は素晴らしい国だったんじゃない!」
「私達って実はこんなにきれいだったんじゃない!」と、自分達の国や外見に
急に、改めて目を向け始めた時期だ。
その頃、パリのファッションストリートのウィンドーに
この人そっくりのマネキン人形が並んだ― と、話題になった。
市松人形のように切り揃えられた漆黒の髪。
デフォルメされた、切れ長の瞳。
朱色の口紅。
山口小夜子は、日本の女の人の美しさを体現していた。
80年代初頭。
彼女はファッションショーだけではなく、西武劇場(昔「PARCO劇場」はこの名称だった)
でほとんど一人芝居のような劇を上演したり、映画に出たりもしていた。
当時NHKの朝の番組でインタヴューをしていた。
「やめようと思ったことはありますか?」と、聞かれ
「ああ、もうそれはいつも思ってます」
彼女は間髪いれずに答えた。
「今度こそ辞めよう。次こそ辞めよう、その繰り返しです」
なんだかインタヴュー中、ここが一番元気に答えていたように思う。
「なので、明日やめるかもしれません」
そう真顔で言って、彼女は締めくくった。
ブレイクする前。
彼女はことごとく、オーディションで落とされたのだそうだ。
当時はどこのオーディションに行っても、
「髪を染めなさい」「パーマをかけなさい」といわれ続けたそうだ。
彼女は「もうモデルを辞めよう。普通の女の子に戻ろう」と思い、
「お母さんに、おかっぱに髪を切ってもらい」
「最後のオーディションに出かけたの」
そうしたら、今まで否定され続けていた彼女を
「そのままでいい! そのまんまでいいから!!」と、
言ってくれた人がいた。
それが、デザイナーの山本寛斎氏だった。
「だから私は寛斎さんに拾われたの。
もしもあのとき、寛斎さんのオーディションに行っていなかったら、
私はモデルを辞めていた」
以上は、私がかつて読んだ彼女のインタヴューの記憶である。
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出会いって大事ですね。
もちろん、見出されるだけのものを自分が持っていなければ
なりません。
仏教では、因縁和合といいます。
因と縁があわさって、はじめて結果となってあらわれる。
因だけでも、縁がなければ、結果としてあらわれないわけ
です。
だから、自分の種まきとともに、縁、環境、出会いを大事にしたい
ですね。
以下は、goo ニュースの記事です☆
日本モデルの先駆者、山口小夜子さん急死(日刊スポーツ) - goo ニュース
日本モデルの先駆者、山口小夜子さん急死
黒髪のボブカット、切れ長の目の東洋的な魅力で、
世界的なトップモデルとして活躍した山口小夜子(やまぐち・さよこ)さん
が14日、急性肺炎のため死去した。57歳。
葬儀・告別式は親族で済ませた。
後日、お別れの会を開く予定。
先月公開された出演映画の初日舞台あいさつには元気な様子で出席しており、
所属事務所も急な訃報(ふほう)に驚きを隠せなかった。
持病などは特になかったという。
欧米ファッション界で活躍する日本人女性モデルの先駆けだった。
横浜市出身で杉野学園ドレスメーカー女学院を卒業後、
71年にプロモデルとしてデビュー。
70年代にパリ・コレクションやニューヨーク・コレクションに参加した。
高田賢三氏や山本寛斎氏のショーにも登場し、
77年には米誌ニューズウィークの「世界の6人のトップモデル」に選ばれた。
俳優活動にも力を入れていた。印象的な雰囲気もあって、
故黒木和雄監督や、鈴木清順監督などベテラン監督の目を引いた。
最後の出演映画「馬頭琴夜想曲」では、幻想世界で馬頭琴を弾く妖艶(ようえん)な
美女を演じ、主役に近い役割を担った。同作の木村威夫監督は
「とても熱心で研究心あふれる人でした。モデル出身なので、
違う表現をしたいということもあったと思います。
踊るように表現するのが印象的でした。
また仕事ができたらいいと思っていただけに残念です」と話した。
山口さんとは1週間ほど前に仕事で会ったばかりで、
体調が悪い様子はなかったという。
映画以外にも寺山修司氏演出の演劇「中国の不思議な役人」や
CMなどにも出演、コンテンポラリーダンスは欧米20都市で公演した。
また、ファッションクリエーターとして「SAYOKO YAMAGUCHI」ブ
ランドを立ち上げ、6月にはジュエリーブランドの発表を行うなど、
精力的に活動していた。
死別は悲しいもの。
私も従妹を自殺で亡くした経験を持っています。
その経験を踏まえ、一つの物語を描きました。
ストーリーは、
余命一カ月を告げられた愛する人のために
「死に対して自由な心」を探す哲学少女と
妹の自殺未遂をきっかけとして
「どうせ死ぬのになぜ生きる」
という大問題の答えを探し始めた青年の物語
です。
宗教学者の山折哲雄氏は、
「死を教えぬ教育 弱い」
という見出しで、
日本の教育では死とは何かを教えない、
「この根本的な問題をないがしろにしたまま、今、道徳を
教科化しても、効果はないと思う」
と語っていました。
「死の準備教育」は死の恐怖を免れていると思われる若者にこそ
必要とされ、アメリカ・イギリス・ドイツでは小学生時代の比較的
早い時期からおこなわれており、日本における教育現場への導入の
遅れが指摘されています。
この重要かつ難解な問題を、どうしたら分かりやすく伝えられるかに
ついて、私は26年学び、この度、一つの物語にしました。
実はこの物語にでてくるこの地図に、150もの哲学、思想が収まっています。

これだけ聞くと難しいように感じられるかもしれませんが、基礎知識ゼロの
時計店で働く30代の女性を初め、多くの方から、試作品レベルでも
次のような分かりやすかったと好評をいただいています。
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とても解り易い話でした。
自分も生簀の魚と同じです。
生簀でずっと生きられない不安を抱えて
毎日生きているんですね。
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登場人物のその場の情景が目に映る様に描写されていて
まるでスクリーンを見ているようです。
特にシンイチのや妹の心の動きまでも
映像となって頭に浮かびます。
春の日記。(※登場人物が胸の内を綴って日記のことです)
まさに自分の事の様です。
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とても明快で解り易いです。
頭がすっきりしてきます。
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春奈さんの気持ち理解できます。
傍らに誰か居ても 一人孤独です。
自分の本当の心を誰にも話せない
理解し合えないのですから。
世間はナイフの林、傷付かない様に歩くのは
大変神経使います。
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簡単に解り易く書いてありますのでよくわかります。
哲学は事難しくこねくり回した無い様だとしか
記憶していませんでしたが、この様に簡潔だと理解し易いです。
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フライザイン、凄く良かったです!
毎日楽しく読ませていただきました。
とても深い内容でしたが分かりやすく書かれてあったので読みやすかったです。
忘れがちなこの問題から目を逸らさず、暗い森の出口へ向かって進んでいきたいと思います。
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物語の一部分だけあげてみますと、
* * *
「そなた、『フライザイン』を知っているか?」
突然、こんなことを聞かれるなんてありえない。お互い自己紹介すらしてないのに。
〈知らない。知ってるはずがない〉
誰だってそう思うだろう、九十九%以上。
でも、なぜか僕は知っていた、『フライザイン』は人類三千年の謎=しかも、どんな人にとっても一番大事な謎=を解く鍵、らしいことを。
全身に降りしきる雨を受け、悲鳴をあげる肺に手を当てよろめき走りながら、僕はこの衝撃の出会いを思い出していた。
同時に、わずか一カ月で最大の謎が解けた奇跡のような現実に身体を震わせている。僕は古今東西の英知を集めた『しあわせの地図』を手にしたんだ。この地図さえあれば、幸せの花を見つけられる……。
* * *
星空を見るのが好きだった私。
ある日、それは恐怖に変わった。
あまりにちっぽけな自分に気づいてしまったから。
大宇宙のチリにうごめく私。
いてもいなくても何も変わらない。
変わり映えのしない日常にあるのは、
支えきれない苦痛。
出どころ不明な不安。
なのに、
人は、なぜ生きるの?
ねえ、あなたは答えてくれますか?
どうせ死ぬのに、なぜ生きるの?
* * *
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では、またお会いいたしましょう(^-^)/