大河ドラマで
義経をやってますが、義経は、子供の頃の僕のヒーローでありました!
今日(4月30日)が義経の亡くなった日といわれます。
31年という、短い人生をかけぬけた義経のプチ名言集!&名場面
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●「勝つということは味方に勝つ事である。
味方に勝つというのは我に勝つ事だ。
我に勝つというのは、気をもって体に勝つ事である」
●「人は、魂に
自分という皮を
かぶって生きているもの。」
![](http://images-partners.google.com/images?q=tbn:HX3YXmyYxagJ:http://ja.tezuka.co.jp/manga/backlist/he03/images/he03_00101_l.jpg&client=nttx-images)
●義経といえば、安宅(あたか)の関の勧進帳が有名ですが、
私は、小矢部川の渡し場でのことが最も印象に残っています。
富山県の小矢部川を渡るとき、どうしても船で渡らねばならなかった。
ところご、ここにも義経の人相書きが出回って、渡し守から
疑われる。
その時弁慶が
「なまじお前が義経ににているから、渡れんではないか」と
杖で義経の体を容赦なくたたきつけたのです。
義経はみるみるうちにアザだらけになった。
このまま殺してしまうのではないかと慌てた渡し守は、
ほんとうに義経ならば、こんなことをするはずがないと思い、
「もうよい、もうよい、早く行くがよい」
と乗船を許可したのです。
川を渡り、安全な場所までうつったとき、
弁慶は突然義経の足元に突っ伏し、号泣しながら詫びました。
「殿をかばうためとはいえ、この手で打ち据えたこと、
どうかお許しくだされ、どうかお許しを・・・」
あざだらけの顔で義経は
「それもこれも、義経を思ってのこと」と感謝したといいます。
そんな義経と弁慶にも最後の時がやってきます。
二人の辞世の句は次のように伝えられています。
●弁慶の辞世の句
「六道の道の ちまたに君待ちて
弥陀の浄土へすぐに参らん」
●義経の辞世の句
「のちの世も またのちの世も めぐりあはむ
そむ紫の雲の上まで」
(そむ紫の雲の上も、弥陀の浄土をさしているといわれます)
時は鎌倉幕府が開かれる3年前の、1189年4月30日。
源信僧都や法然上人によって浄土仏教が日本全土に広まって
いった時代でもあります。
浄土仏教では、私たちは六つの世界(六道)
(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を
ぐるぐる回っている(輪廻)といわれます。
いずれも迷い苦しみの世界ですが、その苦しみの流転から離れて
阿弥陀仏の極楽浄土に生まれる道が浄土仏教に教えられているんですね。
義経も弁慶も最後は弥陀の救いを念ぜずにはおれなかったのでしょう。
平家物語にも、このような一節があります。
娑婆の栄華は夢の夢
楽しみ栄えて何にかはせむ
人身はうけがたく
仏教にはあひがたし
この度、泥梨(でいり)(地獄)に沈みなば
多生昿劫をばへだつとも
うかびあがらん事かたし
(この世でどんな栄耀栄華を極めたと
いっても、死んでいくときに、何のたよりに
なるだろうか。
人間には生まれがたく
仏法は聞きがたい
もしまた、後生の一大事の解決が出来ないまま
命尽きれば、後生は地獄。
果てしなく長い間、その苦しみから離れることは
できないであろう)
かくて、衣川にて、弁慶は仁王立ちになったまま死に、
義経は自害したといわれます。
義経享年31歳
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私は、小矢部川の渡し場でのことが最も印象に残っています。
富山県の小矢部川を渡るとき、どうしても船で渡らねばならなかった。
ところご、ここにも義経の人相書きが出回って、渡し守から
疑われる。
その時弁慶が
「なまじお前が義経ににているから、渡れんではないか」と
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義経はみるみるうちにアザだらけになった。
このまま殺してしまうのではないかと慌てた渡し守は、
ほんとうに義経ならば、こんなことをするはずがないと思い、
「もうよい、もうよい、早く行くがよい」
と乗船を許可したのです。
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弁慶は突然義経の足元に突っ伏し、号泣しながら詫びました。
「殿をかばうためとはいえ、この手で打ち据えたこと、
どうかお許しくだされ、どうかお許しを・・・」
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「それもこれも、義経を思ってのこと」と感謝したといいます。
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●弁慶の辞世の句
「六道の道の ちまたに君待ちて
弥陀の浄土へすぐに参らん」
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「のちの世も またのちの世も めぐりあはむ
そむ紫の雲の上まで」
(そむ紫の雲の上も、弥陀の浄土をさしているといわれます)
時は鎌倉幕府が開かれる3年前の、1189年4月30日。
源信僧都や法然上人によって浄土仏教が日本全土に広まって
いった時代でもあります。
浄土仏教では、私たちは六つの世界(六道)
(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を
ぐるぐる回っている(輪廻)といわれます。
いずれも迷い苦しみの世界ですが、その苦しみの流転から離れて
阿弥陀仏の極楽浄土に生まれる道が浄土仏教に教えられているんですね。
義経も弁慶も最後は弥陀の救いを念ぜずにはおれなかったのでしょう。
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娑婆の栄華は夢の夢
楽しみ栄えて何にかはせむ
人身はうけがたく
仏教にはあひがたし
この度、泥梨(でいり)(地獄)に沈みなば
多生昿劫をばへだつとも
うかびあがらん事かたし
(この世でどんな栄耀栄華を極めたと
いっても、死んでいくときに、何のたよりに
なるだろうか。
人間には生まれがたく
仏法は聞きがたい
もしまた、後生の一大事の解決が出来ないまま
命尽きれば、後生は地獄。
果てしなく長い間、その苦しみから離れることは
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義経享年31歳
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