■恨みや不満といったネガティブな感情が、
感動や喜びに変わる瞬間がある。
なぜかというと、時間といっても2つあって、
無機質な時間の流れが、もう一つの感動の時間に切り替わることがあるから
こんにちは。
今日あなたに話しをしようと思ったのは、運転中のちょっとしたことがキッカケでした。
ラジオから流れてきたのは、パッヘルベルの『カノン』Pachelbel's Canon
初めて〝曲に恋する経験〟をしたのが、この作品。
いつ聞いても胸が熱くなるので運転中はちょっと危険です(^^;
時間にするとわずか6分ほど。
でも、そこには単に「6分」とか、「360秒」という時間では表せないものがあります。
この時、思い出したのが、
遠くギリシャ時代、「時」は明確に二つに分かれていた、ということです。
二つの時間とは、 「クロノス時間」と「カイロス時間」です。
●クロノス時間とは
クロノス時間とは、実時間。「6分」とか、「360秒」とか、一日24
時間など、どんな人にも平等に流れ、時計が刻む客観的な「時間」です。
●カイロス時間とは
カイロス時間とは、体感時間。
「人が感じる、意義深い【質的】な時間の流れ」と表現されることもあります。
このカイロス時間は、人によって全く異なります。
同じ人でも、その時その時で、変わってくるものです。
ひまつぶしをしている二時間
遠距離恋愛中の恋人と久しぶりに過ごす二時間
単に移動するために使われる二時間
白熱した議論が交わされた二時間
クロノス時間(実時間)は全く同じ二時間なのに、
カイロス時間(体感時間)は全く異なります。
ひまつぶしをしている二時間
単に移動するために使われる二時間
は、時間を消費しているだけ。そこには感動もなければ喜びもない。薄っぺらでダラダラとしたものです。
遠距離恋愛中の恋人と久しぶりに過ごす二時間
白熱した議論が交わされた二時間
時の大切さは、昔から繰り返し言われており、
●タイム・イズ・マネー(時は、金なり)
時の無駄使い=お金の無駄使い
と戒められますが、「クロノス時間(実時間)を、カイロス時間(体感時間)で
見たとき、その価値はどうだったか」、ということが論じられているのです。
もっといえば、
●タイム・イズ・エブリシング(時は、すべてなり)
であり、さらにいえば、
●タイム・イズ・ライフ(時は、命なり)
ですから、時がいかに、かけがえのないものかが知らされます。
ただ流れるだけのクロノス時間だけではあまりに勿体ない。
時間で出来ているのが一生であり、命。
「何歳まで生きた」という実時間の大切さは否定しませんが、
「一生(命)という時間は何のためにあるのか」
「一生(命)という時間を何のために使うのか」
ということはもっと大事ではないでしょうか?
一生(人の命)には限りがある。それもアッという間のこと。
そのことを意識すると、世界の見え方が変わってきます。
すべてが一期一会。
庭から聞こえる虫の音も、最初で最後の演奏会。
空に浮かぶ雲も、瞬間瞬間姿を変え、一瞬一瞬が最初で最後の風景。
今日という日に出会った人との会話、それが最後に交わした言葉になるかもしれない。
そう考えて、世界を見直してみてください。
家族が、友人が、大切な人が、違って感じられるはずです。
ひょっとしたら、嫌いな上司、苦手な同輩、イライラする後輩も、
違った一面が見えてくるかも知れません。
もし喧嘩している相手がいたならば、ののしった言葉が最後の言葉にならないように、
せめて、無難な言葉だけでもかけてみるといいかも知れませんね。
ここに、恨みや不満といったネガティブな感情が、感動や喜びに変わるヒントがあるのです。
●そして、最期に
そして、すべての人の最期に、死への旅立ちが待っています。
その準備はどうでしょう?
受験勉強ですら準備もせずに当日を迎えたら結果はサンザンでしょう。
まして、人生最期の関門に無防備で飛び込んだらどうなるか。
一度、バイクの大事故で生死をさまよったビートたけしは、こう語っていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(死の) 準備なんかしなくたっていいと言ってても、結局、死というものには無理矢理対応させられるわけだよ。
あまりにも一方的に向こうが勝手に来るわけだから。
それに準備してる奴としない奴と、死ぬことは結果的には同じだけれども、そのショックというのは半端じゃないんだよ。
(中略)
今度の事故というのは凄いショックだったね。
物理的なショックのみならず、精神的ショックがマグニチュード8という感じだった。
(ビートたけし『たけしの死ぬための生き方』新潮社 1997 年)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これも、クロノス時間・カイロス時間に似ています。
クロノス的には、死ぬことは万人共通ですが、
その「死に対しての心」はどうか? カイロス的には、千差万別です。
「どうせ死ぬんだから」という人は、
「どうせ一日は24時間なのだから、何しても一緒」
という暴論と本質的に変わらないようにも思えます。
だからといって、どう死の準備をすればいいかを考えた場合、
遺産や身の回りの整理まではイメージできても、
もっとも大事な心の問題は空をつかむような状態かもしれません。
シェイクスピアに
『終わりよければ全てよし』(All's Well That Ends Well)
という作品がありましたが、終わりの準備が一番難しいもの。
この死への旅立ちという大きな問題を世界の重要な150の思想を元に整理し、その上で、仏教ではどのように教えられているのか、85ページの小冊子にまとめました。
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では、小冊子の中でお会いしましょう。
追伸:言い忘れていましたが、この小冊子の中には、私が話している動画も含まれてます。
ちょっとディープで刺激的なお話しなので、心臓の弱い方はやめて方がいいかも(?)
もしかしたら別のプレゼントもついているかもしれません(^-^)/