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幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


自著『第3の幸せ』【60ページ無料プレゼント中】         

人を好きになると なぜ せつなくなるのか 尾崎豊の『I LOVE YOU』秘話

2018-12-10 | 

一番、私に影響を与え、与え続けている歌手は尾崎豊です。

中学時代に衝撃を受け、今でも尾崎の曲は耳にすると胸がしめつけられる。


今、どれだけの人が尾崎豊を聴いているのか分からないけれど

『I LOVE YOU』を知っている人は多いでしょう。





多くのミュージシャンも歌っています。



絢香 




宇多田ヒカル




玉置浩二




EXILE ATSUSHI&SHUN


黒田俊介 (コブクロ)




中森明菜







26歳で逝ってしまった尾崎豊。

彼が残した名曲『I LOVE YOU』が生まれたのは1983年。

17歳の時でした。


レコーディングディレクターを務めた須藤晃氏は、

当時をこう振り返っています。


──────────────────────────


「いま自分は幸せだっていうことを歌っているだけなのに、

 この『I LOVE YOU』というきれいなラブソングは

 とてつもなく悲しく聞こえる。

 人間は人を好きになると、

 なぜ、せつなく哀しい気分になるんだろう。

 真剣に好きになると、どうしようもなくせつなくなるのは

 なぜなんだろう。


 そんな話を尾崎ともしたことがある。

 その時の結論は「人の命には、限りがあるからではないか」だった。


 人間は、人を好きになっても、

 ずっと一緒にはいられないことを本能的に知っているのだ。


    (『尾崎豊が伝えたかったこと』須藤晃著 )

──────────────────────────

そして、


人の命には限りがあるから、いつかは別れが来る。

それが人の遺伝子の中に入っていて、

人を好きになった瞬間、無意識のうちに

それが分かってしまう、だから切ないのではないか……



といったことも話しあったといいます。


命に限りある人間の、愛の宿命に無意識に触れている曲

それが『I LOVE YOU』。



このはかなさを感じるとき、今、そばにいてくれている人を一層愛おしく想い、大切にしなければと思います……




ちなみに私が中学時代、当時住んでいた長崎でも尾崎のライブがあり、

テスト期間中にも関わらず行こうとしたのだけれど、

学校の先生が入場口で学生が来ていないかチェックするという話を聞き、

断念した苦い思い出があり、学生時代最大の後悔となっています(笑)。




東日本大震災・311から4年~1年の間に亡くなる人の数を知って驚愕する!

2015-03-12 | 

東日本大震災・311から4年が経ちました。

昨日一日、自分を振り返り、今一度、原点に立ち返りたいと思いました。

 

東日本大震災

死者1万5889人  行方不明2594人


自然災害で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは日本では戦後初めてだといいます。

ここで忘れてはならないのは、亡くなられた方が多かった、ということよりも、

1人の人が亡くなった事件が1万5889件あった、ということです。

1人1人に尊い命があった。

その人命が失われたという事実。

それが「短期間に多くの方が亡くなる」というショッキングな出来事によって、ねぼけた目を覚まさせられるのでしょう。

 




あなたは、この日本で年間、何人の人が亡くなるか、ご存じでしょうか?




答えは、





125万人、です。


これが昨年も、おととしも、「無常」という名の見えない津波にのまれていった人の数です。


実に毎年、東日本大震災の犠牲になられた方の80倍もの人が亡くなっているのです。


「死」は、当人にとって怖ろしい最大の大事件なのですが、

日頃、私達は、他人ごととして流しがち。
亡くなられた場所が色々で、時間も少しずつだと、


本当は最も怖い「死」も日常に埋もれ、まったくというほど問題にされていませんが、実は大変なことです。

1日で計算すると

約340人。

この340人の中には、若い人もあれば、健康な人もあったでしょう。

突然、無常の風にさらわれていったのです。


ある中年男性は、

トンネルが崩れ、カラオケマイクを握ったまま亡くなり


ある受験生は、

机にうつ伏せ鉛筆を握ったまま、阪神大震災でこの世を去り


ある女性は、

余命一カ月の父親の看護から帰る途中、車にひかれて父親に先立ち、


ある花嫁は、

結婚式当日、突然、具合が悪くなり、

結婚式が葬式となってしまいました。


悲しいことに、これは皆、実際にあったことばかりなのです……。

【朝(あした)に紅顔(こうがん)ありて

 夕べに白骨となれる身なり】(白骨の御文章)


朝、元気に、「行って来ます」とでかけた人が

帰ってこないことがある。

帰ってきたと思ったら、変わり果てた姿で

無言の帰宅をとげることがある。


「行って来ます」とは、

「行って、帰ってきます」ということ。

その言葉すら果たせないことがあります。

そんなことが、今日もあったのです。



勿論、津波や地震、それ自体も大きな大きな問題です。

けれど、実はそれらは皆、「死」を、間接的なもの、別の形に置き換えた問題なのです。

一番、大きな問題は、「死」そのものではないでしょうか?



例えば、仮に(実際にはありえませんが)東日本大震災によってライフラインは崩壊しても、死者0名だったとしたらどうでしょう?

深刻さは、実際の比ではないでしょう。

ある有名な女性サーファーが片腕をサメに食いちぎられてしまいました。

しかし、病室で彼女は、両親と「よかった、本当によかった」と抱き合っていました。


片腕を失ったのに、なぜ?


答えは難しくないでしょう。


サメに襲われ、血を流せば、まず命はないといわれるのに、

死ななかったからです。


片腕以上に大事なもの、それが命。

「死」そのものは、真正面からはとらえがたいですし、

「仕方ないこと」とアキラメの対象となっているのかもしれません。

確かに、不死身になることは無理でしょう。


私の父は医者ですが、

「延命のみを目的とする限り、医者は必ず負ける戦いをすることになる」

と言っていました。


このように、死という現象はなくせません。

なくせませんが、

死に潜む問題を探究し、克服することはできます。



今から2600年前、インドで活躍されたお釈迦さまは、

もとはシッダルタ太子といわれる王子でした。

お金や財産、地位、名声を生まれながらに持ち合わせ、

若さと健康に輝き、国一番といわれる女性と結婚し、子宝にも恵まれました。

しかし、それらは皆、老いと病と死によって失われる、一時的な輝きでしかないと気づき、老いと病と死を超えた真理を探究され城を出られたのです。


35歳12月8日、仏という最高のさとりを開かれ、

80歳でお亡くなりになられるまで45年間教えられたのが、仏の教え、仏教です。

老いと病と死を超えた幸せこそが本当の幸せ。

しかも、それは、修行や瞑想などを一切必要としない、

欲や怒りやグチの心といった煩悩あるがままで、

すべての人がなれる幸せが教えられているのです。


この大問題が解決されれば、あとは皆、小事です。

毎日毎日、自由な心で地に足がついた、喜び多き一生を歩めます。


あなたにとって大切な「あの人」にも、「あなた自身」にも、確実に「死」はやってきます。

大津波が形を変え、すべての人を100%襲うのです。


「無常を観ずるは菩提心のはじめなり」

世は常無く、命に限りがあることを見つめることが、

本当の幸せを求めようという心(菩提心)を起こす出発点といわれます。

この大切な「死の問題」について、適切な資料があまりにも少ないように思えます。


あるのは、死の統計や、アンケート結果、心の分析、といったもの。

これでは、死の本当の問題は見えてきません。


そこで、特に大事な内容だけ厳選した小冊子を作成しました。

とらえどころがない「死」の問題を、一から学び、

根本の問題は一体、何なのか、

どうすればいいのか、

基礎知識0からでも分かるように致しました。

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【人を殺してみたかった。誰でもよかった】VS【なぜ人を殺してはならないのか】哲学・倫理学・死生観

2015-01-29 | 

「人を殺してみたかった」「誰でもよかった」

と供述した名古屋大学1年の女子学生。

彼女は、名古屋市昭和区のアパートの一室で、顔見知りの女性(77)を斧(おの)で殴るなどして殺害したとして、殺人の疑いで緊急逮捕されました。


身も凍る"殺人願望"の怖い言葉だけれども、そんな心を持った人は彼女だけではありません。

ネット上でも

「最近、殺人願望が強くなってきた。自分でも怖い。どうすればいいだろう?」

とか、

「僕は一度でいいから、死体が見てみたい。怖い物見たさ、でしょうか」

など、一般ではとても受け入れられないような心境が語られています。


このような事件を通して、しばしば話題になるのが

「なぜ人を殺してはいけないの?」

という質問。

「ダメに決まってる」

「ダメだからダメ」

「お前も殺されたくないだろう」

ぐらいの答えでは納得がいかないようです。



以前、哲学者の永井均教授が

「なぜ人を殺してはならないのか、3つの回答水準」

について語って記事が新聞に載っていました。


以下が、その「3つの回答水準」。


1.道徳的水準:

「ダメなものはダメだ」とげんこつを食らわせる


2.社会科学的水準:

「殺したら自分も殺されるでしょ? 自分が殺されたくないなら殺してはいけない」と社会のルールの起源を説明する


3.哲学的水準:

なぜ生命は尊厳なのか、という哲学的な問いの水準



先に書きましたように、「1」「2」の説明では不十分のようです。

最終的には哲学的な問いとなるのです。


ところが、現代の日本では、ほとんどこの教育がなされておらず、

「哲学」と聞いただけで頭が痛くなる人が多いようです。



読売新聞でも

「なぜ人を殺してはいけないのか」という特集が組まれ、

 その中で、宗教学者の山折哲雄氏が、

「死を教えぬ教育 弱い」

という見出しで、

日本の教育では死とは何かを教えない、

「この根本的な問題をないがしろにしたまま、今、道徳を

 教科化しても、効果はないと思う」

 と語っていました。



「死の準備教育(デス・エデュケーション)」

死の恐怖を免れていると思われる若者にこそ必要とされ、

アメリカ・イギリス・ドイツでは小学生時代の比較的

早い時期からおこなわれています。


哲学者、鷲田清一氏は、著『死なないでいる理由』に、こう書いています。


「哲学を生んだヨーロッパの多くの国では、

 日本の高校生ぐらいから哲学を教えています。

 フランスでは、文系の高校三年生で週9時間の哲学の授業があります。

 理系に進む生徒ですら週3時間の授業です。

 (中略)

 どの市民も、幸福とは何か、よい政治とは何かを頭で考えて、

 それなりの考えをもち、それを言葉で表現できるような訓練を、

 高校生のころからしてきているのです。

  さらに、高級官僚になるための大学院では、かならず哲学の論文を書くことになっています。

  官僚は、市民生活のすべてのことがらに関与するひとですから、

 法とは何か、政治とは何か、生きることの意味は何か、

 人間の幸福とは何かなどについての基本的な考え方、

 フィロソフィーをもたないことにはつとまらないという考えがあるからです」

  (『死なないでいる理由』鷲田清一 小学館 2002)





この「生と死」という重要かつ難解な哲学的問題が、分かりやすく書かれた物語があります。


* * * * * * * * * *


最悪の状態でも、希望がある!
どんな人でも、幸せになれる!
たとえ、余命一カ月だとしても。


なぜそう言えるかって?
その答えを伝えましょう。『フライザイン』という物語で。



死を前にした若き画家・龍一郎 と

愛する彼を助けようとする哲学科の女子大生・美桜(ミオ)


自らの命を絶とうとした妹・春奈 と

生きる目的を見つけると妹に約束した兄・進一


二組の男女は、手繰り寄せられるように出会い、そして……





「生きたい」「死にたい」「助けたい」

この人間の一番根っこの部分に、人類は、どう立ち向かい、どう答えてきたか?

古今東西の英知を凝縮させた物語。

それが

『フライザイン』~僕と彼女と妹の物語~



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現在、無料で公開されています。

くわしくはコチラをごらんください。

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【無料プレゼント】小冊子『白骨の御文章を学ぶ』~正しい死生観を持ち、地に足のついた人生を歩むために

2015-01-16 | 

■多くの人は、愛する人と死別したとき、

「大宇宙にたった独り取り残されたように感じた」

といわれます。

この底知れぬ寂しさは、

モノやお金では解決できない問題であり、

娯楽やお酒でごまかしきれるものでもありません。


【人間の八苦のなかに、

 愛別離苦(あいべつりく)、

 もっとも切(せつ)なり】

 
という仏教の言葉があります。

人生のいろいろな苦しみの中で、愛する人との別離はもっとも切なく悲しいものです。

「大好きだったおじいちゃんも、おばあちゃんも死んでしまった」

「友人が事故で突然亡くなった」

「家族としてかわいがっていたペットが死んだ」

「父を亡くした」

「母を亡くした」

「連れ添ってきた伴侶を失った」……。

死別の哀しみは底知れず、

言葉にならない絶望に打ちひしがれ、

この胸の痛みが癒えることなどないのではないかと思えるほどです。


そして、考えることは、

「もっと優しくしてあげればよかった」

という後悔や、

「あの人の人生は何だったのだろう」

「あの人はどこへ行ってしまったのだろう」

という解くに解けない問題などではないでしょうか。


大恋愛の末、結婚した夫を、突然の事故で亡くした

20代のある女性は、毎日泣き明かしました。

まだ小さかった長男の、「僕の前では泣かないで」との一言にハッとなり、このままではいけないと思われたのですが、親戚中が集まった時、みんな夫婦そろっているのに、「一番若い自分ひとりが未亡人で、その時の寂しさ、悲しみは言い表しようがなかった」

と言われます。



■またある人は、

「大好きだった人が亡くなった後と前ではまったく世界が変わってしまった」

と、さびしくつぶやかれました。

 雨の音

 夕やけ

 近所から聞こえる一家団欒の笑い声

 線香の香り……


すべてが自分の心を締め付け、切りつけてくるように感じられた、と言われます。


【人、世間、愛欲の中にありて、

 独生独死(どくしょうどくし)

 独去独来(どっこどくらい)】(釈迦)



人は皆、愛し愛されたいと願いながらも、

孤独な魂を抱え、独りぼっちで生まれてきたから、

独り寂しく死んでいかねばなりません。



■死別から少し月日が経ちますと、

自分の胸に、こう問わずにはおられなくなります。

「自分もやがて死んでいく。そう思うと、
 胸一面が不安と孤独に覆われ、生きる力が失われてしまう」

「自分は死ねばどうなるのだろう」


見送る側から、見送られる側になる時がくると気づいた時、人は少なからずショックを受けるもの。

ですが、『死』が自分の問題となってこそ、本当の人生が開けてくるのだと、仏教で、こう教えられています。

 【無常を観ずるは 菩提心の一なり】

(むじょうをかんずるは ぼだいしんの はじめなり)


「無常」とは、常が無く、続かないこと。

中でも「無常だなぁ」としみじみ感じるのは、人の死。

我が身の無常をまじめに見つめたその時、「菩提の心」が起きる。

「菩提の心」とは、

「本当の幸福を求めようという心」。


日頃、盤石と思っていた幸せも、意外にもろいもの。

石によってヒビ入るガラスのように、思わぬ問題により、ガラスの幸福にヒビが入ります。

まして隕石のような『死』がぶつかってきたら……!!

「その時でも崩れない幸福ってあるのだろうか?」

「もし、ないのなら、何のための人生か」

「最後、すべて儚く砕け散るものを集めているだけなのか」

「この死の恐怖を何とかしたい」

「死を前にするとすべてが無意味に思える。

 地に足のついた人生を私は歩んではいない」

「願わくは死んで悔いなき人生を歩みたい」


このように、

『死』を通して人生観、幸福観は向きを変え、正しい方向へ、偉大なる一歩を、あなたは踏み出すのです。



■今から約2600年前、印度で活躍されたお釈迦さまは、

生後一週間で母親のマーヤー夫人を失っています。

お釈迦さまは、無常を縁に、壊れゆく幸せではなく、老いと病と死を超えた本当の幸せを求められました。


そして、35歳で仏のさとりを開かれ、

行く先しらずの孤独で不安な魂の解決の道を明らかにされました。

それが仏教です。

国を超え時代を超え、私達も仏教によって、死が来ても崩れない、本当の安らぎを得て、一人いて喜べる、にぎやかな心を手にすることが出来ます。


その時、


「ああ……、

 亡くなったあの人は、

 身をもって私に無常を教えてくれ、

 菩提心という最高の宝を与えてくれたのか……」



 と、奥底からの感謝の念が湧き上がることでしょう。



■このように、正しく深い「無常観」「死生観」は、大切な宝です。

『白骨の御文章(はっこつのごぶんしょう)』

は、傑出した名文で、世の無常を明らかにされています。

国民的作家、司馬遼太郎氏(NHK大河ドラマ原作となった作品は7作と最も多い。2015年現在)

は、こう書いています。


「明治以前の文章家のなかで、平易達意の名文家は、筆者不明の『歎異鈔』と室町末期に本願寺を中興した蓮如上人(白骨の御文章)と
宮本武蔵(五輪之書)のほかにはみられない」(真説宮本武蔵)」

(出典)司馬遼太郎『真説宮本武蔵』講談社文庫、1983年


葬儀で一番多く唱和されるのも、この『白骨の御文章』といわれます。

「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて

   夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」

という一節を、一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか。

このたび『白骨の御文章』の解説を60ページの小冊子の形にまとめました。


このブログでご縁のあったあなたに無料でプレゼントしたいと思います。

この小冊子を通して、「死生観」「無常観」を深め、

地に足のついた本当の人生を歩んでいっていただきたいと思います。



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では、小冊子で再びお会いいたしましょう。


地球の歴史を365日に換算すると……(『白骨の御文章』解説・6)

2014-12-23 | 

 

こんにちは、筬島です。


葬式や法事でよく読まれる、『白骨の御文章』について話をしています。

今日は6回目。

(1回目から読まれた方は、コチラ

「されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。

一生過ぎ易し。

今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや」

からです。

(全文はコチラをご覧ください→http://masaoosajima.com/wordpress/item/bereavement/hakkotu0/


「されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず」

これは、「1万年も生きたという人を聞いたことがない」という意味です。

それはそうです

あの人は1万3歳だとか、1万12歳だという人はおろか、

あのお婆ちゃん、8523歳になった、という話も聞くことはありません。


カリフォルニアのホワイト山地には、世界最古の樹木があり、樹齢5000年近いといいますから、木の寿命と比べると人間の命のはかなさを感じます。

まして地球と比べたらどうでしょう。


地球は、約46億歳。


でも、46億年といっても数が大きすぎてピンときませんね。

そこで、

地球46億年の歴史を365日に縮めてみると、イメージがしやすいです。


46億年前が1月1日とし、今を12月31日とすれば、

人類は、何月頃に現れたと思われますか?

地球の歴史を簡単に振り返ってみましょう。


◆地球の歴史を一年に縮めたら◆


 1月12日(44億年前)地球に大きな天体が衝突し、地球と月が分離した(仮説)

     ※最初から地球は大ピンチだったのですね、実は。

 
 2月 9日(41億年前)陸と海が生まれる。

 2月25日(39億年前)原始生命が誕生

 6月28日(24億年前)氷河期(仮説)

 9月27日(12億年前)多細胞生物の登場


11月18日(6億年前)カンブリア紀
            生物が爆発的に多様化を始める

11月20日 魚類の出現

11月28日(4億年前)植物・節足動物が陸へ上がる

11月29日 両生類が陸へ上がる

12月 5日 氷河期に入る

12月13日 最古の哺乳類とされるアデロバシレウス登場。

12月19日(2億年前)鳥類の出現

12月25日(1億年前)恐竜の全盛期

12月26日 巨大隕石が地球に激突して恐竜が絶滅
            リスに似た原始霊長類が登場

12月29日 午前6時ごろ、類人猿の祖先となる狭鼻猿が登場
12月31日 午前10時40分、類人猿から分かれた最初の猿人登場


ここからは、12月31日のお話


20時40分(175万年前) 氷河時代に入り、
               これ以降は氷期と間氷期が繰り返されていく
23時03分 (50万年前) ネアンデルタール人などの旧人登場

23時37分 (20万年前) 現生人類(新人=ホモ・サピエンス)誕生

23時58分52秒(1万年前)農耕牧畜が始まる

23時59分56秒      ルネッサンス

23時59分58秒      産業革命

23時59分59秒    20世紀が始まる(が、一秒で終わる)


現生人類(新人=ホモ・サピエンス)の誕生は、

23時37分なのですね。

まだ、23分しか経っていません。


こうしてみると、億単位でものごとが進んでいるので、

1万年がとても短く思えます。

その1万年さえ、人は生きられないのです。

そう考えると、たとえ1万年生きれたとしてもアッという間ですね。



さらに!


宇宙レベルで見るとどうなるか知りたい方は、

コチラへどうぞ
 ↓↓
http://masaoosajima.com/wordpress/item/bereavement/hakkotu06/

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