幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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尾崎豊 「I LOVE YOU」にまつわる感動のエピソード

2017-02-10 | 無常

尾崎豊の曲で最も愛されているのは
「I LOVE YOU」ではないでしょうか。

昨年芥川賞を受賞した楊逸の小説「時が滲む朝(ときがにじむあさ)」にも
出てきますし、テレビドラマ『北の国から'87 初恋』(1987年) にも使用
され、絢香宇多田ヒカルをはじめとして多くのアーティストがカバーしています。

この名曲作成のエピソードがネット上にあがっています。
大変感動的なので、長文ですが引用させてもらいました。

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幼い頃、ある絵本から心に「愛」を刻みこんだ尾崎豊。
そんな彼が作り出した「I LOVE YOU」は、十代の恋愛の姿を、
愛の切なさ、哀しみを含めて見事に表現。
それは17歳という年齢と彼の純粋さが生み出した名曲だった。
当時彼の側にいた家族、親友、レコーディングディレクターの証言 により、
素顔の「尾崎豊」像を浮き彫りにする。


26歳という若さでその生涯を終えた尾崎豊。
彼が残した名曲「I LOVE YOU」が生まれたのは1983年。
尾崎豊が、まだ17歳の時だった。

「I LOVE YOU」が収められている尾崎豊のデビューアルバム、
十七歳の地図」。

レコーディングが始まったのは1983年7月。
尾崎17歳の夏だった。
そのアルバムに収められた曲は、全部で10曲。
だが、レコーディングも佳境に入った9月の時点では、まだ9曲しか完成しておらず、
「I LOVE YOU」は存在しなかった。
レコーディングディレクターを務めた須藤晃は、こう当時を振り返る。

「固めの曲が多かったのでバラードが1曲欲しい、と尾崎に頼んだら、
その場で『I LOVE YOU~』と歌い出した。

当時の彼の恋愛感を、ラブソングに乗せて歌いたかったのだろう。
翌日か翌々日には完成させて持ってきた。」


尾崎豊が16歳の時に応募したのは、当時のCBSソニーが行なっていたオーディションだった。
そのオーディションを主宰していた稲垣博司は、

「それまで過去3回の優勝者は、全てスタッフの紹介者だったが、
彼は一般公募から初めて誕生した記念すべき優勝者。ほとばしる若さ、
そのベースにある若者の傷ついたメンタリティを感じた。」

と当時の尾崎の印象を語った。

初のオープン応募から合格者となった尾崎豊を担当することになったのが、
ディレクターの須藤晃。高校生の尾崎が、須藤に最初に尋ねたことは…

「テレビに出ているような芸能人ではなく、自分が考えていることをそのまま歌に
 したい。
 世の中に流れている歌ではなく、自分の歌いたい歌を歌えるか?と訊いてきたので、
 勿論出来る、と答えた。」


この会話から尾崎と須藤、二人の10年に及ぶ関係が始まった。
二人は作品を作る上で、様々な話をしたという。

「ある冬の寒い日、僕(須藤)が乗った満員電車の中でふと触れた制服姿の
 女子校生の手が余りにも冷たくて、つい握りしめてしまった。
 そんなことが歌になればいいね、といったことを話した。
 尾崎もそんな日常が詩になればいいのか、と思って詩を書き始めた。」

こうして尾崎豊が書き留めた詩は、大学ノート30冊分にも及んだ。
そして「I LOVE YOU」もこの膨大な詩の中から紡ぎ出されることになる。

尾崎豊が中学時代の出来事を歌った曲、「十五の夜」。
須藤晃がこの曲の誕生について語る。

「この曲は、尾崎の友人が先生に頭を丸刈りにされ、それに憤慨した尾崎と仲間が
 集団で家出をすることを計画、夜に集合までするが実行できずそれぞれ帰宅した、
 という事件がモチーフ。
 そんな、青春の持っている無力感、痛みを16、17歳の尾崎はどうしても歌に
 したかった。
 それは『I LOVE YOU』にも流れている、悲しい響きだ。


十代のやりきれない思いと悲しみ。
それは誰もが経験するもの。
尾崎豊はその思いを歌に込めたのだった。

そんな尾崎豊が音楽に目覚めたのは小学校4年の時。
兄・康さんが弾かずに放っておいたギターを手にしたのがきっかけだった。
小学校6年の時、母の誕生日にグレープの「無縁坂」を弾き語りでプレゼントし、
彼女を感動させたという。


中学は、小学校5年まで過ごした練馬の学校に、朝霞から越境通学。
尾崎はそこで幼い頃からの大親友と再び出会う。
親友のひとり、菊地剛さんが中学時代の尾崎の素顔を語ってくれた。

「中学時代、尾崎と付き合った女の子は皆、歌をプレゼントされた。
 その中での最大のプレゼントは、尾崎が学園祭の時、因幡晃の『S.Yさん』という曲
 をその子のために歌ったもの。
 彼は歌詞に出てくる最後の『S.Yさん』を彼女のイニシャルに変え、
 しかもその直前にわざとギターのフィンガリングを間違えて皆の注目を集めた。
 彼にはそんなウマさがあった。」

因幡晃の曲で愛を告げた尾崎豊は、やがて自分の言葉で愛を綴り
「I LOVE YOU」を作り上げる。

尾崎豊の友人が経営する店に当時の仲間が集まり、彼の思い出話に花が咲いた。

「尾崎がデビューした後も仲間同士でカラオケに行ったりしたが、
『I LOVE YOU』だけは絶対歌わせなかった。
 それだけこの曲には特別な思いがあったのだろう。」

この曲に特別な思いを持っていた尾崎豊。

彼がこの曲を作り上げるまでの心の背景には何があったのだろう。
彼が子供の頃から大切にしていた物を、父の健一さんが見せてくれた。

尾崎が2歳のとき、母に買ってもらった「難破船の少年」という絵本。
それはこんなストーリーだ。

「ある船の上で少年と少女が出会う。
 少女は貧しさから売られてしまい、久しぶりに親に会いに行く旅。
 少年は両親を亡くし、仕事を探しに行く旅だった。突然嵐が訪れ、船を飲み込んだ。
 激しく揺れる甲板で、少年は頭に怪我をする。
 少女は自分の服を破り少年の頭に巻いてあげる。
 やがて船が沈没しようとする時、一隻の救命ボートから声がかかった。
 『あと一人なら乗れる』と。
 少年が少女を助けてもらおうと、少女を海へ突き落とす。
 そして、少女は無事救出される。
 少年は叫ぶ『君には親がいて、君のことを待っているんだ。幸せに。』
 少女は、少年が沈没していく船の上で手を振っているのを見つめていた。」

「『愛と犠牲』を、自分の心に刻んだとても思い入れのある本だ、と尾崎は
文章にも残している。
2歳の頃に読んだ自己愛の物語が彼の感性の芽生えとなった。」

と、健一さんはこの本について語った。
また、尾崎はある時、ディレクターの須藤晃とこんな話をしたという。

『誰かを愛するとハッピーなはずなのに、何故、切なくなるのだろう?』

これについて話しているうちに、

『人の命には限りがあるから、いつかは別れが来る。
  それが人の遺伝子の中に入っていて、人を好きになった瞬間、無意識のうちに
  それが分かってしまう、だから切ないのではないか・・・・』
」と。

幼くして心に愛を刻み込んだ尾崎豊。
そんな彼が作り出した「I LOVE YOU」は十代の恋愛の姿を、愛の切なさ、
哀しみを含めて見事に表現した。
それは、17歳という年齢と彼の純粋さが生み出した名曲だった。

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 『人の命には限りがあるから、いつかは別れが来る。
  それが人の遺伝子の中に入っていて、人を好きになった瞬間、無意識のうちに
  それが分かってしまう、だから切ないのではないか・・・・』」

ああ、人生はなんと切ないのでしょう。


仏教には「会者定離(えしゃじょうり)」という言葉があります。

出会ったからには、別れねばならない、離ればなれにならねばならないのが
この世の定め、ということです。

「別れのない出会いはない」のです。

しかし、そうと知っていてでも、やはり別れは辛いもの。
その悲嘆を「愛別離苦(あいべつりく)」といわれます。

愛する人やものと別れねばならない苦しみのことです。


私も従妹を自殺で亡くした経験を持っています。

その経験を踏まえ、一つの物語を描きました。

ストーリーは、 

  余命一カ月を告げられた愛する人のために

 

  「死に対して自由な心」を探す哲学少女と

 

  妹の自殺未遂をきっかけとして

 

  「どうせ死ぬのになぜ生きる」

 

  という大問題の答えを探し始めた青年の物語

 

   です。


 宗教学者の山折哲雄氏は、

 

「死を教えぬ教育 弱い」

 という見出しで、

 日本の教育では死とは何かを教えない、

「この根本的な問題をないがしろにしたまま、今、道徳を

 教科化しても、効果はないと思う」

 

 と語っていました。

 

 

 

「死の準備教育」は死の恐怖を免れていると思われる若者にこそ

 

必要とされ、アメリカ・イギリス・ドイツでは小学生時代の比較的

 

早い時期からおこなわれており、日本における教育現場への導入の

 

遅れが指摘されています。

 

 

 

この重要かつ難解な問題を、どうしたら分かりやすく伝えられるかに

 

ついて、私は26年学び、この度、一つの物語にしました。

 

実はこの物語にでてくるこの地図に、150もの哲学、思想が収まっています。

 


 

  

 


 

これだけ聞くと難しいように感じられるかもしれませんが、基礎知識ゼロの

 

時計店で働く30代の女性を初め、多くの方から、試作品レベルでも

 

次のような分かりやすかったと好評をいただいています。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 とても解り易い話でした。
 自分も生簀の魚と同じです。
 生簀でずっと生きられない不安を抱えて
 毎日生きているんですね。

 

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 登場人物のその場の情景が目に映る様に描写されていて
 まるでスクリーンを見ているようです。
 特にシンイチのや妹の心の動きまでも
 映像となって頭に浮かびます。
 春の日記。(※登場人物が胸の内を綴って日記のことです)
 まさに自分の事の様です。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 とても明快で解り易いです。
 頭がすっきりしてきます。

 


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 春奈さんの気持ち理解できます。
 傍らに誰か居ても 一人孤独です。
 自分の本当の心を誰にも話せない
 理解し合えないのですから。
 世間はナイフの林、傷付かない様に歩くのは
 大変神経使います。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 簡単に解り易く書いてありますのでよくわかります。
 哲学は事難しくこねくり回した無い様だとしか
 記憶していませんでしたが、この様に簡潔だと理解し易いです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 フライザイン、凄く良かったです!
 毎日楽しく読ませていただきました。
 とても深い内容でしたが分かりやすく書かれてあったので読みやすかったです。
 忘れがちなこの問題から目を逸らさず、暗い森の出口へ向かって進んでいきたいと思います。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 

 

物語の一部分だけあげてみますと、

 

      * * *

 

「そなた、『フライザイン』を知っているか?」

 

 突然、こんなことを聞かれるなんてありえない。お互い自己紹介すらしてないのに。

 

〈知らない。知ってるはずがない〉

 

誰だってそう思うだろう、九十九%以上。

 

 でも、なぜか僕は知っていた、『フライザイン』は人類三千年の謎=しかも、どんな人にとっても一番大事な謎=を解く鍵、らしいことを。

 

 

 

 全身に降りしきる雨を受け、悲鳴をあげる肺に手を当てよろめき走りながら、僕はこの衝撃の出会いを思い出していた。

 

 同時に、わずか一カ月で最大の謎が解けた奇跡のような現実に身体を震わせている。僕は古今東西の英知を集めた『しあわせの地図』を手にしたんだ。この地図さえあれば、幸せの花を見つけられる……。

 

 

 

      * * *

 

 

 

星空を見るのが好きだった私。

 

ある日、それは恐怖に変わった。

 

あまりにちっぽけな自分に気づいてしまったから。

 

大宇宙のチリにうごめく私。

 

いてもいなくても何も変わらない。

 

 

 

変わり映えのしない日常にあるのは、

 

支えきれない苦痛。

 

出どころ不明な不安。

 

 

 

なのに、

 

人は、なぜ生きるの?

 

ねえ、あなたは答えてくれますか?

 

 

 

どうせ死ぬのに、なぜ生きるの?

 

 

 

      * * *

 

 

 

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