幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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『見慣れた景色が変わるとき』磧塔ちづるさん

2006-06-28 | 



いつもの朝
いつもの会話
いつもの人

いつも、いつまでも、このままでいられると思っている。

でも、哀しいかな、すべての人は、いつまでもこのままではいられない。

磧塔ちづるさんの手記(光文社刊『見慣れた景色が変わるとき』収録)を

読むと、そんなことが知らされます。

以下、磧塔ちづるさんの手記から。        
 

 第一外科の診療室へ、呼び入れられた。
 若い医師の、簡単な問診があり、今朝の出血のことを話した。
 問診は5分余りで終わって、今から、5日前に国立病院で受けた
 X線検査を調べますから、外で待っていてください、と言った。
 わたしは、外科の待合椅子の一番うしろに空いた席を選んで座り、
 病院へ行った時いつもするように、手さげから文庫本を出して読みはじめた。
 次に、すぐ耳元で名を呼ばれた時、顔を上げてみて、
 長椅子にぎっしりと並んでいた患者達が、前の二、三列を残して、
 ほとんど居なくなっているのに気がついた。
 壁の時計は11時をまわっている。
 ここへ来て、2時間余りが過ぎたのである。

「どうも、お待たせしました」

 さきほどの、若い外科医は、体をかがめると、
 わたしに寄り添うように、長椅子へ斜めに腰をおろした。

「これから、ちょっと検査をします。その前に、もう少しくわしく、
 今までの症状を聞かせてくださいませんか」
「わたしの大腸の写真に、何かあったのでしょうか」
「ええ、そうです」

 まだ、30を少し出たばかりのようにみえるその医師は、
 緊張した表情をしていた。

「じゃあ、痔では、なかったんですね」
「そうです」
「取らなければ、いけませんね」
「ええ、たぶん」

 わたしの〈告知〉は、このようにして始まった。
 そして、わたしは、この短い会話によって、
 その核心の部分を、正確に察知していた。
 ただ、それは、この瞬間には、ごく単純な〈知識〉として
 理解したにすぎない。

 わたしは、まだ、少しも動揺してはいなかった。
 医師もまた、そこへ来た目的だけを、果そうと努めていた。

「今から、もう少し、検査をします。
 その前に、お聞きしたいことがあります」

 広いホールの中を、急ぎ足で、あるいはゆっくりと、
 横切っていく人がいる。
 しかし、総合待合室の長椅子に座って、書類を膝に置いた白衣の医師と、
 患者らしい初老の女が、向かいあって話し込んでいるという光景は、
 ここでは別 に珍しいことではない。誰も二人に注目する者はいない。


 わたしは、真っすぐに医師の眼を見ていた。
 そして、医師もまた、少しもひるまずに、そのよく光る知的な眼で見返していた。
 
 ちょうど親と子ほどに年のひらいた医師とわたしとの間には、
 濃密な、親愛の気配が流れていた。

「いつごろから、出血がありましたか」
「はっきりと分かったのは、先週の木曜日に注腸検査を受けて2日ほどしてからです」
「それまでに、何か、気がついたことがありましたか」

 わたしは、その時、初めて、容易ならざる事態が、
 自分の体に起こっていることに気づいたのだ。
 
 不意に、今まで立っていた足の下の地面が音もなく崩れ落ちた。
 船底の腐った板を踏み抜いたような、
 あるいは、雪山の裂け目へひと足踏み出してしまったような空虚が、体を襲った。
 わたしは、底なしの谷を落下していた。
 体温が、冷えていく。こめかみが冷たい。
 唇も、鼻腔も、喉もその奥の内臓まで、紙のように渇いていく。

(戻ることは、できない) と、わたしは、感じた。
(もう、助からない。もう、地上へは、もどることはできない)
 絶望に打ちのめされていた。
(……しかし、なぜ、このわたしが、標的にされたのか。誰でもない、この、わたしが)

 それは、無差別爆撃に似ていた。
 わたしは、60余年の今日までに、幾度も、間違った道を選んでしまった、
 と悔いたことはある。進学、就職、結婚、出産、夫の転勤、診療所の開設、息子の巣立ち。
 そんな人生の節目を、何とか辛抱を重ね、全力を尽くして切り抜けることができた。
 
 だから、60を越えた今は、人並みの平和な家庭、
 穏やかな老後を迎えることができたと思っていた。
 
 これからの20年は、いささか退屈ではあるが、
 もう変わりようもない日々がずっとあるばかりだと、信じ込んでいた。

 その先が、目の前が、切り棄てられて見えない。何もない。
 つかまるものがない。助かる道がないのだ。


見慣れた景色は何も変わらないのに、見え方が全く変わってしまう。

現実と思って過ごしている世界が全く違う世界になってしまう時がくる。

今までの人生は夢幻とうつりゆき、違った過酷な現実が眼前に突きつけられる。


だからこそ、人生をかけてこの大問題を解決せねばならない。

だけど、壁にぶつかって初めて壁に気づくのが、ほとんどでは

ないでしょうか。

ここに大きな悲劇があるのだと思います。


 
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10000回だめでかっこ悪くても 10001回目は 何か 変わるかもしれない(ドリカム)

2006-06-22 | 因果の道理


Today's music
10000回だめで
かっこ悪くても

10001回目は
何か 
変わるかもしれない

「何度でも」(ドリカム)
ブログテンプレート



「負けて覚える相撲かな」

という言葉があるようですが、

負けて、失敗して、みじめな思いをして、

それでも、それを肥やしにして、

突き進めば、

必ず道は開けます!ね。

 
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無常を観ずるは 菩提心のはじめなり

2006-06-20 | 


グーグーパンダへようこそ!

さて、秀吉の辞世の言葉「難波のことも夢のまた夢」にショックを受けた

ぱんだですが、それは、高校時代のある出来事が背景になっていたのです。

高校3年のとき、一つ年下の女の子が死んでしまうということがありました。

病気が原因でした。

体育館に全校生徒が集められ、その死が校長先生から告げられた時、

ざわついていた朝礼が一転、水を打ったように静まりました。

その時、生きているということは決して当たり前ではないことに気づいたのです。

「毎日、生きておれるのが当たり前のように思い、日々いい加減に過ごしてきた。

 それれはそのまま生命を粗末にしてきたことになる。

 もっと時間を、もっと生命を大切にせねば」


と思ったのです。

「死」を通してみた「生」

それはとても尊いものに感じました。

「楽しいことや、面白いことがあるから人生が素晴らしい」というのとは何か違う

もっと尊厳なものを感じました。


例えば、他人の命を奪うのが恐ろしい罪になるのは

「あの人は、あんなに楽しいんでいたのに、その楽しみを奪うなんてヒドイ」

ということではないでしょう。

人生には、生命には、もっと深く大切な意味があるはず。

それを知りたい!

後輩の死を通して人生をまじめに考えた、最初の瞬間といっていいでしょう。
  
「無常を観ずるは 菩提心のはじめなり」

という言葉があります。

世の無常、特に死を見つめる事が、本当の幸せを求める心(菩提真)の出発点

ということですが、「死」を無視して人生を語るのは、とても大事なものを

無視しているように思えてなりません。

だから臨終の言葉は大変、関心深く耳を傾けました。


秀吉が死に望んで残した辞世の句を通して、

「『死』を前にしては、単なる楽しみは吹き飛んでしまう、

金や財産、地位、名誉などでは死の関所は越えられない、

人生の目的は、それらとはまるっきり別の角度からとらえねば分からない何かに違いない」

と思わずにおれなかったのです。


 
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イチローと愛ちゃんの共通点

2006-06-13 | 因果の道理



大リーガーの
イチロー
と卓球の愛ちゃん共通点
  
 共に、天才と言われている。  
 共に、天才と言われるのをこころよく思っていない。

 共に、もし天才といわれるなら

「努力の天才」
 と言われたいと思っている。
    
 「あの人は出来が違う」「天才だから」と簡単に言って、
 
 その人の努力をみないのはよろしくないですよね!
 
 そしてそれはスポーツ選手に限りません。
 
 すべて、その人の努力のたまものです。
 
 つまり、一つ一つの行為によって、運命という結果が決まって
 
 いくわけです。
 
 行為といっても

 体の行い、口の行い、心の行い
 
 三通りあるといわれます。
 
 この三つの行為によって自分自身の運命が決まっていく

 わけですね。

体の行いは分かりやすいですが、口の行いというのも
 
 あります。つまり、どんなことをその人が言っているか。
 
 ちょっとした言葉によって人間関係が悪くなってしまったり、
 
 逆に、優しい一言でとても勇気を与えたりしますよね。

 これが口の行い。
 
 そして、目には見えない、耳には聞こえませんが、

 心でどんなことを思っているか、

 これが心の行いで、一番大事。
 
 自分のことしか考えていないか、

 常に相手の立場にたって考えているか
 
 これがその人の人生を大きく左右するわけです。
 
 この心と口と体の種まきによって人生は決まるって訳です。
 
 その三つをフル回転してこそ成功できるわけで、

 はじめから「天才」という人間が存在するはずないのです。

 
 では、最後にこんな言葉を紹介して、今日は終わりにしましょう!                          

 ●高く登ろうと思うなら、自分の足を使うことだ!
 
  高い所へは、他人によって運ばれてはならない。
  
  人の背中や頭に乗ってはならない。 (ニーチェ)
  
 ●千里の道も、ひと足ずつ運ぶなり (宮本武蔵)
 
 ●為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を
 
   成らぬと捨つる 人のはかなさ(武田信玄)  


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しゃぼん玉とんだに見る無常観(野口雨情)

2006-06-05 | 



 しゃぼん玉とんだ
 屋根までとんだ
 屋根までとんで
 こわれて消えた

有名な「しゃぼん玉」の出だしです。

作詞は野口雨情

音楽史家によりますと、はじめて発表されたのは、
大日本仏教子ども会で発行していた児童雑誌「金の塔」に
大正十一年に発表されたそうです。

大正9年、童謡の全国キャンペーンのまっ最中、

故郷の茨城に残してきた、2歳になったばかりの娘が

疫痢(えきり)で急死したという悲しい知らせが届いたのです。

愛する子を失った悲しみと、はかなく消えたわが子のいのちへの

想いがこの歌にはこめられているのです。

ですから2番の歌詞はこうなっています。

 しゃぼん玉消えた
 とばずに消えた
 生まれてすぐに
 こわれて消えた
 風、風吹くな
 しゃぼん玉とばそ

この短い詩の中に「消えた」が3回も出てきます。


『7つの子』も野口雨情の作詞

烏からす なぜ啼なくの
烏は山に
可愛かわい 七つの
子があるからよ

可愛かわい 可愛と
烏は 啼くの
可愛 可愛と
 啼くんだよ

山の古巣ふるすへ
いって見て御覧ごらん
丸い眼をした
いい子だよ

一羽のカラスが啼きながら飛んでゆくのをみて、

「なぜ啼きながらとんでゆくのだろう?」

といった人に、野口雨情はこう答えたそうですよ。

 「そりゃ君、自分達の子供がいるからだよ、
  その啼き声を聞いて見給え、
  可愛い可愛いと言っているよ。
  可愛い子供達は巣の中で
  親がらすの帰りをきっと待っているに違いない」

「七つの子」とは、
作詞家の野口雨情が7才の時に母親と別れたので、
「七つの子」は「七歳の子」という意味だという説と
「七羽の子」という説とあるようです。


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