幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


自著『第3の幸せ』【60ページ無料プレゼント中】         

11月24日(水)のつぶやき

2010-11-25 | ★ジャンル別検索★(ここを押してね!)
13:53 from web (Re: @_zihuatanejo_
@_zihuatanejo_ はじめましてこんにちは。
「優しさを口にすればどうして人は傷つくのか」
について私も記事を書いてみました。
http://blog.goo.ne.jp/pandagananda16/e/d9504c57298bec0a78cd00990ac4348f
16:12 from Twibow
ブログやってます★人生に真剣な人【限定】「成功しても、満たされない」を超える5段階(100万アクセス突破!)
よかったらお越しください。
http://blog.goo.ne.jp/pandagananda16
16:42 from Twibow
映画史上のベスト1の映画をご存知ですか??
答えはコチラ↓
http://blog.goo.ne.jp/pandagananda16/e/7ed6a11f76576fe30dd54d4932987d
17:12 from Twibow
尾崎豊の曲で「優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく」と歌われてるけどなぜ?↓↓
http://blog.goo.ne.jp/pandagananda16/e/d9504c57298bec
18:12 from Twibow
日本映画で評価NO.1は何か知ってますか?
答えはコチラ↓↓
http://blog.goo.ne.jp/pandagananda16/e/f8899c499fcee6
18:27 from Twibow
初心者のための「ポアンカレ予想」&「ポアンカレ予想」を理解した人のための…
を書きました☆この記事は、「ポアンカレ予想」で検索するとグーグルでもヤフーでも3位です☆
http://blog.goo.ne.jp/pandagananda16/e/c34637d7ba5
by masaoosajima on Twitter

優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆくのはなぜ?「僕が僕であるために」尾崎豊

2010-11-24 | 不安

私が生まれて初めて買ったCDが、尾崎豊のファーストアルバム『17歳の地図』でした。
もう何度聴いたかしれません。

そのラストを飾るのが「僕が僕であるために」


  【PV】 尾崎豊 僕が僕であるために


以前、SMAPのメンバーがオール主演で、同タイトルのドラマが作られましたね。勿論、主題歌は尾崎の「僕が僕であるために」。


さて、この曲に
「人を傷つける事に目を伏せるけど、
 優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく」



という一節があります。

以前から

「どうして、優しさを口にすると人は皆傷つくの?」

という問いかけがなされていました。
尾崎自身が、このことについて語ったという情報もないですし、
歌詞は、それぞれに味わうところに、そのよさもあるので、
あくまで私の味わいとして、記事を書いてみました。

まず、この曲の出だしはこうです。


「心すれちがう悲しい生き様に、ため息もらしていた」

ここからも、この曲は「心のすれ違いの悲しみを歌った曲」とストレートに解釈すればよいでしょう。

実際、この後にも

「別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ

 こんなに愛していた

 誰がいけないという訳でもないけど

 人は皆わがままだ」


という言葉も出てきます。


そして、2番に

「なれあいの様に暮らしても 君を傷つけてばかりさ」

と歌われています。


傷つけないように、悪いところも目をつぶり、

感情を荒立てず、無難に過ごそうとしても、

やっぱり、君を傷つけてしまう、

と、つぶやくように語っているようです。


では

「人を傷つける事に目を伏せるけど、
 優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく」


とは、どういうことでしょう?

こんな独り言が頭に浮かびました。


僕は、誰も傷つけたくない。
もちろん、大切な君を傷つけたくないって思ってきたし、
今も思っている。

でも、なれあいでやってでさえ、僕は君を傷つけてばかりだったよ。

優しくして、君とのつながりが深まっていけばいくほど
わがままにもなるし、

愛情が深まれば、裏切られたときの憎しみも大きくなって
深く君を傷つけてしまう。

不完全な人間同士だから、よかれと思ってやったことも、
逆効果になってしまうことだってある。

どうでもいい人なら、最初から期待もしないし、たとえ裏切られ
ても、まああいつはそんな奴だで済ませるだろう。

でも、優しくされたい相手から期待どおりの反応が返って
こないと、とても淋しい思いになったり、悲しくなったりする。
そして傷ついていく。

大切な人同士だから、傷も大きく、深いものになってしまうんだ。

僕たちは、そんな世界に生きている。



そして、最後に尾崎はこう歌っています。



君が君であるために 勝ち続けなきゃならない

正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで

君は街にのまれて 少し心許しながら

この冷たい街の風に歌い続けてる


僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない

正しいものが何なのか それがこの胸に解るまで

僕は街にのまれて 心許しながら

この冷たい街の風に歌い続けてる



この曲のトーンからして「勝つ」というのは、
ビジネスや、競争に「勝つ」というものではなさそうです。

ちょっと飛躍しすぎかもしれないけれど、
実際は「勝ち続ける」というよりも、実は、その裏の
「負けちゃいけない」気持ちの方が大きいのかもしれません。

「負ける」とは「人生に負ける」ということで、
「勝ち続ける」は「生き続ける」という意味なのかとも
思いました。


「正しいものは何なのか」
の答えを、傷つきながらも探しもとめ、

冷たい世界に、小さな妥協を繰り返しながら、

最後まであきらめず、生き続けていかないといけない

というメッセージを私自身は強く感じています。


ちなみに、学生時代、一番、私が心を打たれた部分は

「こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから」

の一節です。


こんなに大好きな君を幸せにしてやりたいけれど、
僕は、どうしたら本当の幸せになれるか分からないから、
君に教えてあげることもできないんだ


この悲しみが、ものすごく、私の心にシンクロしたのです。


幸せにしてあげたいという優しい気持ちと共に、
幸せを指し示せる人間にならないといけないんだ

と強く思ったものです。


そして、大学時代、私は、本当の幸せを指し示す先
を知ることが出来たのです。

人生って、本当に出会いですね。


このサイトから詳しく知ることができるので、
読んでみてください。
  ↓↓

http://meaning.main.jp/


 


★3★人生に真剣な人【限定】「成功しても、満たされない」を超える5段階

2010-11-23 | このブログについて

(★1★人生に真剣な人【限定】「成功しても、満たされない」を超える5段階)を読んでおられない方はここをクリック
               以下の人物写真はすべてwikipedia


『仏教に生きる目的が教えられている』このことを知ることが第4段階です。


もっとも影響力がある哲学者の一人、ニーチェ(Nietzsche, 1844~
1900)ドイツ哲学者

もこう書いています。

  


「仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です。

 仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを

 考える宗教
と言っていいでしょう。」


「『敵対によって敵対は終わらず』とは、ブッダが残した感動的な言葉です」


「キリスト教に比べたら、仏教は100倍も誠実で客観的な宗教です。」


「残念なことに、ヨーロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでに

 成熟していません。仏教は人々を平和でほがらかな世界へと連れて

 いき、精神的にも肉体的にも健康にさせます。



                   『アンチクリスト』


「(私の言い方で言えば)仏教は『善悪の彼岸』に立っているのです」


it stands, in my language, beyond good and evil.
(er steht, in meiner Sprache geredet, jenseits zon Gut und Bose.)

ここでいわれる「彼岸」とは英語で「beyond」であり、「超越している」という意味合いのものです。



●ちなみに一般的に世界を代表する聖人について、このように
言われています。


四大哲学者
ソクラテス、カント、孔子、釈迦

世界の四聖

イエス・キリスト、ソクラテス、釈迦、孔子

四大聖人

イエス・キリスト、ソクラテス、釈迦、孔子

もしくは

イエス・キリスト、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ、釈迦、
孔子


世界三大聖人

イエス・キリスト、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ、釈迦[78]


すべてに名前があがっているのは、「釈迦」だけです。


かの大哲学者ハイデッガーは老後の日記にこう記しと言われていま
す。


「今日、英訳を通じて、初めて、東洋の聖者親鸞を知った。
 若し、十年前に、こんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったなら、
 私はギリシャ語や、ラテン語の勉強もしなかった。
 日本語を学び、親鸞聖人の教えを聞いて世界中に弘めることを、
 生き甲斐にしたであろう」


仏教の真髄を説いたといわれる親鸞聖人を褒め称える人もまた、
枚挙にいとまがありません。


* * *


「親鸞聖人に初めから非常な思想があり、非常な力があり、
 非常な強い根柢《こんてい》のある思想を持たなければ、
 あれほどの大改革は出来ない」(夏目漱石『模倣と独立』)

 
「鎌倉というのは、一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった」
              (司馬遼太郎『この国のかたち』)

「親鸞は、今や世界の親鸞として、その姿を大きくしている。
人類が今日ほど、親鸞 を必要としている秋はない」 (井上 靖


「トルストイの如きは、日本の法然や、親鸞の宗教を知ったら、誰よりも先きに随喜する人ではなかったかと思うのだ」 (倉田百三

「親鸞のようなひとにめぐり会えたことは、一介の文学者としても、
人間としても、生涯のよろこびである」(丹羽文雄『親鸞』)


「親鸞を語ることは私にとって人生を語ることにひとしい。(中略)
私のまず最初に言うべきことは、親鸞に出会ったというその謝念で
なければならぬ」(亀井勝一郎『私の宗教観』)

「鎌倉仏教が私達の精神史の背景ではないか、と思った」
「私が一番感動するのは(親鸞聖人の書かれた)『教行信証』の冒頭の言葉です」 (三國連太郎


『ぼくは親鸞の信仰によって死ぬだろう』(三木清

「マリアから打ち捨てられたヒロインを救いうる宗教は世界にたった一つ、
親鸞の浄土真宗だけなんですよね」(武田鉄矢

「親鸞は、本当の意味での教育者だと思います」(齋藤 孝


「わたくしは、何ということなく、親鸞がすきだ。
蓮如がすきだ。
すき、嫌いでいうのはへんだけれど、正直な表現でいえば、そうなる」
(吉川英治『折々の記』)


生きる目的は、この仏教によって知ることができるのです。

私もまったく知りませんでした。

先進国といわれる国で、仏教国は日本だけ

でも、日本人は、形骸化した仏教しか触れる機会がなくなってきています。

本当は、大変なことが仏教に教えられているのです。

こんな凄いことが身近に聞けるのに、知らないために聞けないなんて
あまりにも勿体ない!!

そして、申し訳ない!!

私の力ではなく、縁あって、知ることができた人生の目的。

一人でも多くの人に、生きる目的がここにあるんだよと微力ながら、二十年以上、伝え続けてきました。

もし一人でも、このサイトを縁として、

「死ななくてよかった」

と喜ばれる方があれば、こんな嬉しいことはありません。






●第5段階は「実際に学ぶ」です。

あなたが本気ならば、実際に足を運び、プロの講師から話を聞き、続けて学ぶ

どの道でも当然のことです。

では、どこで学べばいいか。

ここで学ぶことをお勧め致します。

私も、ここで学び、生きる目的を知ることが出来ました。
↓↓↓
>http://www.shinrankai.or.jp/koza/bukkyo.html





追伸


ちょっと長くなりましたが、実は、テーマから考えれば極めて短い内容です。

以下のものはいずれもいずれも素晴らしいものでしたが、仏教は別格でした。次元が違いました。


■文学
※歴代ベスト50(雑誌「考える人」のアンケート結果)

1 百年の孤独 ガブリエル・ガルシア=マルケス
2 失われた時を求めて マルセル・プルースト
3 カラマーゾフの兄弟 フョードル・M・ドストエフスキー
4 ドン・キホーテ ミゲル・デ・セルバンテス
5 城 フランツ・カフカ
6 罪と罰 フョードル・M・ドストエフスキー
7 白鯨 ハーマン・メルヴィル
8 アンナ・カレーニナ レフ・N・トルストイ
9 審判 フランツ・カフカ
10 悪霊 フョードル・M・ドストエフスキー
11 嵐が丘 エミリー・ブロンテ
12 戦争と平和 レフ・N・トルストイ
13 ロリータ ウラジーミル・ナボコフ
14 ユリシーズ ジェイムズ・ジョイス
15 赤と黒 スタンダール
16 魔の山 トーマス・マン
17 異邦人 アルベール・カミュ
18 白痴 フョードル・M・ドストエフスキー
19 レ・ミゼラブル ヴィクトル・ユゴー(2~6)
20 ハックルベリー・フィンの冒険 マーク・トウェイン
21 冷血 トルーマン・カポーティ
22 嘔吐 ジャン=ポール・サルトル
23 ボヴァリー夫人 ギャスターヴ・フローベール
24 夜の果てへの旅 ルイ=フェルディナン・セリーヌ
25 ガープの世界 ジョン・アーヴィング
26 グレート・ギャツビー F・スコット・フィッツジェラルド
27 巨匠とマルガリータ ミハイル・A・ブルガーコフ
28 パルムの僧院 スタンダール
29 千夜一夜物語
30 高慢と偏見 ジェーン・オースティン
31 トリストラム・シャンディ ロレンス・スターン
32 ライ麦畑でつかまえて J・D・サリンジャー
33 ガリヴァー旅行記 ジョナサン・スウィフト
34 デイヴィッド・コパフィールド チャールズ・ディケンズ
35 ブリキの太鼓 ギュンター・グラス
36 ジャン・クリストフ ロマン・ロラン
37 響きと怒り ウィリアム・フォークナー
38 紅楼夢 曹雪芹・高蘭墅
39 チボー家の人々 ロジェ・マルタン・デュ・ガール
40 アレクサンドリア四重奏 ロレンス・ダレル
41 ホテル・ニューハンプシャー ジョン・アーヴィング
42 存在の耐えられない軽さ ミラン・クンデラ
43 モンテ・クリスト伯 アレクサンドル・デュマ
44 変身 フランツ・カフカ
45 冬の夜ひとりの旅人が イタロ・カルヴィーノ
46 ジェーン・エア シャーロット・ブロンテ
47 八月の光 ウィリアム・フォークナー
48 マルテの手記 ライナー・マリーア・リルケ
49 木のぼり男爵 イタロ・カルヴィーノ
50 日はまた昇る アーネスト・ヘミングウェイ


■科学


相対性理論
量子力学
超ひも理論
エキピロティック宇宙モデル
複雑系
ホログラフィック宇宙モデル
余剰次元


■哲学・思想
ギリシャ哲学(ソクラテス・プラトン・アリストテレス)
懐疑主義、モラリスト(パスカル・モンテーニュ)
イギリス経験論(ベーコン・ロック・バークリー・ヒューム・ミル)
大陸合理論(デカルト・スピノザ・ライプニッツ)
ドイツ観念論(カント・ヘーゲル)
功利主義(ベンサム・ミル)
科学哲学(ポパー)
実証主義(クーン、ポール・ファイヤアーベント)
プラグマティズム(ウィリアム・ジェームス、パース、デューイ、ミード)
自由主義リベラリズム(ミル、ヂューイ、ハイエク)
社会主義(マルクス・エンゲルス)
唯物論(フォイエルバッハ)
実存主義(キェルケゴール・ニーチェ・ハイデッガー・サルトル)
構造主義:フーコー、バルト、ラカン、レヴィ=ストロース
ポスト構造主義:デリダ、バルト、リオタール、ドゥルーズ
言語哲学(ウェイトゲンシュタイン、ソシュール、クワイン)

儒教(孔子・孟子)
老荘思想(老子・壮子)
韓非子
荀子

四書(大学、中庸、論語、孟子)
五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)




上に記しましたように、これらを学んでも到達できないことを、学べる講演会があります


・何かが足らない

・なぜか満たされない

・あるはずのものが、ない

・自分自身を生きてない

・周りの評価と自己評価とが大きく違って苦しい

・このままでいいのだろうか?


という心は「実に恐ろしく、あまりにも重大な問題」です。
そのまま放置いていては取り返しがつかないことになってしまいます。
今すぐ問題解決へ一歩足を踏み出してください。

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★2★人生に真剣な人【限定】「成功しても、満たされない」を超える5段階

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■答えはどこに?

では、生きる意味をどうやって知ることが出来るのでしょうか?


第三段階は、「生きる意味の探求」です。


実は、

この問題の解決の道は、日本人ならみんな、知っているところにあります。


でも、ほとんどの日本人は、その「重大な問題」を知らない。
だから、解決の道も学ぼうとしない、のです。


これこそ、真に恐ろしいことかも知れません。


しかし、一流の人は、気づきました。
そのことを順番に見ていきましょう。


古来、生きる意味の探求は様々ありましたが、分かりやすく3段階で教えたのが哲学者キルケゴールでした。

キルケゴール「その為に生き、その為に死にたいと思える真理」
探求しました。

   

それが実存の三段階です。
それは次のようなものでした。


1:美的段階
いわゆる、快楽説です。
欲望を満たす幸せです。

しかし、欲にはキリがない、得れば得るほど、もっともっとの心は
強くなります。

キリがない欲望を、限りある命で満たすことは不可能です。


2:倫理的段階
いわゆる禁欲説です。
欲を抑え、世のため、人のために生きる。

善を追求する、素晴らしい生き方です。

しかし、現実は厳しく、善に励もうとすればするほど
感覚は研ぎ澄まされ、やがて気づかなかった自己の罪悪に
気づき、絶望するようになってしまいます。


3:宗教的段階
キルケゴールの場合、キリスト教に救いを求めたのですが、
最後「キリスト教はどこにもなかった」と嘆いています。


残念ながらキルケゴールはここまでしか進めませんでした。

では、答えは?


ここでキルケゴールからアインシュタインにバトンタッチしたいと思います。


アインシュタインは、「私の世界観」の冒頭、最初も最初にこう書いています。




「生きる意味はなにか?
 その質問に答えるのが宗教である」



日本で宗教というと、カルト、危ない、非科学的、という反応の人

少なくないようですが、ここでアインシュタインがいう“宗教”とは
何を指しているのでしょうか?

同じ「私の世界観」に“科学と宗教(Religion und Wissenchaft) ”という
章があり、そこでは宗教について3段階に分けて次のように語っています。

ドイツ語の原文は難しいと思いますので、英語版とそれを訳したもので
紹介します。


「The World as I see it.」

         ≪私の世界観≫

--- Albert Einstein アインシュタイン ---


  ※日本語の部分は要約です。


■1:恐れの宗教

With primitive man it is above all fear that evokes
religion notions-- fear of hunger , wild beasts , sickness , death.
Since at this atage of existence understanding of causal connexions
is usually poory developed, the human mind creates for itself
more or less analogous being on whose wills and actions these
fearful happenings depend.


原始人にとって、宗教的な考えを引き起こすものは、何より「恐怖」である。
つまり、飢え、野獣、病気、死に対しての恐怖。

この段階では、因果関係への洞察は未熟であるため、多かれ少なかれ
自分自身と似た存在を想像し、さまざまな恐怖を与えるのは、その存在の意思で
あると考える。



One's object now is to secure the favor of these beings by carrying
out actions and offering sacrifices which , according to the
tradition handed down from generation to generation,
propitiate them or make them well disposed towards a mortal.
I am speaking now of the religion of fear.

そこで、いけにえをささげたりして、機嫌をとろうとする。
これが私のいう「恐れの宗教」である。



■2:倫理的(社会的)宗教


The social feelings are another source of the crystallization of religion.
The desire for guidance , love , and support
prompts men to form the social or moral conception of god.
This is the god of Providence who protects , disposes ,
rewards , and punishes.


宗教を形づくる第二の源泉は、社会的感情である。

指導や、愛情、そして保護を求める願いは、社会的、倫理的な神の概念を
引き起こす。

それは、信賞必罰をつかさどる、摂理の神である。




■3:宇宙的宗教


There is a third stage of religious experience
which belongs to all of them , even though it is rarely found
in a pure horm ,and which I will call cosmic religious felling.
It is very difficult to explain this feeling to anyone
who is entirely without it , especially as there is no
anthropomorphic conception of god corresponding to it.

めったにみられないが、第三ステージの宗教がある。
わたしは、それを「宇宙的宗教」と呼びたい。

宇宙的宗教は、神の概念がないため、縁のない人に説明するのはとても難しいのです。


Buddhism , as we have learnt from the wonderful writings of
Schopenhauer especially , contains a much storonger element of it.

宇宙的宗教の要素がはるかに強くなっているのは仏教においてである。
私たちが、このことを特に学んだのはショーペンハウエルの素晴らしい著作においてであった。




つまり、一口で宗教といっても3段階あるとアインシュタインは言うわけです。


①原始的な「恐れの宗教」

②キリスト教を代表とした“神”の概念がでてくる「倫理的宗教」

③キリスト教的“神”が出てこない「宇宙的宗教」仏教。




「宗教なんて皆同じ」なんて、アインシュタインの前ではとても
恥ずかしくていえませんね。
まして「どうせ宗教は、みんなカルトだろ」などという暴言は。



アインシュタインには次の有名な言葉があります。



Science without riligion is lame ,
religion without science is blind.

宗教なき科学は不完全であり、
科学なき宗教は盲目である。

『Out of My Later Years』



ここで科学なき宗教とは、①②のことではないでしょうか?

そして、「私の世界観」の冒頭で、

「生きる意味は何か?
 それに答えるのが宗教です」

と言われている“宗教”
とは、③の宇宙的宗教、目的を定める宗教「仏教」のことでしょう。

とすると、結論としてこうなります。

「生きる意味は何か?
 それに答えるのが仏教です」



「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があると
すれば、それは『仏教』です」(Albert Einstien)



If there is any religion that would cope
with modern scientific needs,
it would be Buddhism.

『Science & the Search for Meaning』


仏教はとても知性的な宗教だとアインシュタインは繰り返し述べて
います。

他にも



・ノーベル賞物理学者 シュレーディンガー

「西洋科学へは東洋思想の輸血を必要としている」
(生命とは何か)



・人工知能の父 マービン・ミンスキー教授も、

「心の研究には仏典が比類なきテキストになる」


・日本初のノーベル賞 湯川秀樹
「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、
仏教には多くを教えられた」




仏教と聞くと、非科学的で古臭いもの、というイメージをいまだに持たれて
いる方もあるかもしれません。

しかし知っている人は知っているのです、仏教が科学に先んじていることを。



↓↓に続きます。 (下が見れない人は、ここをクリック)


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