幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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西洋哲学は2回のパラダイムシフトを経て、東洋に帰結する!?【表】

2007-06-19 | 科学・哲学



「西洋哲学は2回のパラダイムシフトを経て、
 東洋に帰結する!?」


の表を作成してみました☆

※表示のサイズ(ズーム)は50%でお願いします☆

未完成ですが、ココをポチッと

してみてください(^-^)/


気まぐれで、写真がみえなくなったりします(^-^;


西洋哲学は、2回のパラダイムシフトを経て、東洋哲学に帰結する!?①序

2007-06-19 | 科学・哲学


         Photo by (c)Tomo.Yun

これから連載で、哲学と科学の大きな流れを紹介したいと

思います!

 ※西洋哲学は2回のパラダイムシフトを経て、東洋に帰結する!?
  を最初から読まれたい方は、     
コチラ①
コチラ②
コチラ③
 ※ラストステージ(総集編)をまとめて読まれたい方はコチラ



まあ、細かいところは抜きにして、難しい数式なども

すべてカットして「ようは、こう!」「ぶっちゃけこう!」

っていう感じで記事をあげていくので、

「とにかく何か凄そう!」

と感じてもらえればと思ってます☆

今日は、その一回目ということなのですが、

これからの大きな流れについて語ります。


科学はもともと哲学から分かれたものです。

ギリシャ哲学からはじまった西洋哲学が、

哲学と科学に大きく分かれたのは、17世紀。

これを1回目のパラダイムシフトと位置づけます。

(パラダイムシフトについては、最後に書いておきます)

ここでのキーパーソンは、

デカルトニュートンです。


2回目のパラダイムシフトは20世紀

キーパーソンは、ニーチェアインシュタイン

この後、二つに分かれていた哲学と科学が急接近

していきます。

そして、最後、この二つを再び結びつけるものは!!!

という風な流れ。

どうなるかは、次回からのお楽しみです(^o^)/

・・・・・・・・・・

(※パラダイム(paradigm)とは)

規範や基準といった意味で範型と訳されることが多いようです。

「枠組み」「世界観」のほうがぴんとくるかな?

パラダイムシフトparadigm shiftとは、

今までのパラダイムが別のパラダイムへと移行すること。

T・S・クーンは著書 科学革命の構造
(Structure of Scientific Revolutions, 1962.)の中で、

さまざまな科学のもつ枠組みや世界観を意味するのに

「パラダイム」という語を用いました。

クーンにとって、科学のパラダイムとは原子軌道モデルや理論、

コンセプト、知識、仮説、そして価値を含むものだったようです。

クーンは、科学革命が起きる場合は、

ある概念的な枠組みが別の枠組みに取って代わるのだと考えました。

このパラダイム・シフトは、科学に限らず、いろんなジャンルで

使われます。

今回は、哲学と科学の分野で使いたいと思います。


 ※この記事の関連記事はコチラ

あわせて読みたい

西洋哲学は2回のパラダイムシフトを経て、東洋哲学に帰結する!?②ソクラテス

2007-06-18 | 科学・哲学


「西洋哲学は2回のパラダイムシフトを経て、東洋哲学に帰結する!?」

の2回目です☆

2回目といっても、前回は序章でしたから、中身としては今日から。

まず最初に、ギリシャ哲学から振り返ってみましょう。

ギリシャ哲学といえば、

ソクラテス

その弟子のプラトン

その弟子のアリストテレス

が有名ですね。そうそうたるメンバーです!


今日は、スロースタートで、ソクラテスについて簡単に

記事を投稿するのみとします☆
 
ソクラテス
( Sokrates:紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)
 
いわずとしれた古代ギリシアの哲学者です。

彼自身は著作を行わなかったんですね。

ですからソクラテスの思想は弟子のプラトンや歴史家のクセノポンの

著作を通じてしか知ることができません。

ちなみにソクラテスは四大聖人の一人に数えられていますね。
(四大聖人:釈迦、キリスト、孔子、ソクラテス)

思想としては「無知の知」が有名です。

簡単にいうと

『自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覚している

 から他の無自覚な人々に比べて優れている』という考えなわけです。

そして、彼の最も重視した概念は、よい生き方としての

アレテー(魂のすぐれてあること)

アレテーを実践する者の人生は幸福であるとも主張しました。

つまり、魂があるというのが前提なわけですね。


ソクラテスは当時賢人と呼ばれていた人々を次々にたずね、

「アポロンの宣託(おつげみたいなもの?)の通り

 自分が最も知恵があるのかどうか」、を

知るために対話を行ったのです。

ソクラテスのこの行動は、相手の考えを向上させることが

できる対話でしたが、当時の賢人たちは「常識」に執着したため、

結局「知っていると言っていることを、実は知らないのだ」、

ということを暴くことになってしまいました。

相手は論破され恥をかかされたとしてソクラテスを憎むようになった

のです。

いつの時代も、正しいことを言っていると、イチャモンつけて

くる人がいるものです。

このため、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、

若者を堕落させた」等で公開裁判にかけられることになりました。

ソクラテスは自身の弁明(ソクラテスの弁明)を行い、自説を曲げたり、

自分の行為を反省したりすることを決してせず、追放も拒否し、

結果的に死刑を言い渡されたのでした。

プラトンらによって逃亡・亡命も勧められましたが、ソクラテスは

これを拒否したのです。

当時は死刑を命じられても牢番にわずかな額を握らせるだけで

脱獄可能だったのですが、ソクラテスは「悪法も法なり」

(どんな法律でも守らなければ社会の秩序が維持できない)と、

自身の信条に殉ずる道を選んだのでした。

かくて毒杯をあおぎ、ソクラテスは命を閉じたのでした。


そのソクラテスの意思をついだのがプラトンですが、

プラトンについては次回、紹介したいと思います!

※関連記事はコチラ


西洋哲学は、2回のパラダイムシフトを経て、東洋哲学に帰結する!?③プラトン

2007-06-18 | 科学・哲学




ソクラテスの次は、当然この人、プラトンです。

ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師匠ですね。

プラトニック・ラブ(精神的愛と訳しておきましょうか)

の語源ともなっています。



アカデメイアという名で学校を開いたので、

プラトンの後継者はアカデメイア派と呼ばれます。

アカデメイアでは天文学、生物学、数学、政治学、哲学

などが教えられたそうです。

そこでは対話が重んじられ、教師と生徒の問答によって

教育が行われました。

弟子にあたるアリストテレスは17歳のときに

アカデメイアに入門し、そこで20年間学生として、

その後は教師として在籍したようです。

プラトンとアリストテレスの思想は

西欧の哲学の大きな源流となったのです。


そのプラトンの哲学で、今日紹介したいのが

イデア論

大胆ですごい仮説です!

簡単にいいますと、

世界を、目に見える現実の世界「現実界」と、

そのもとになる完全にして真実の世界「イデア界」

分けたのです。

「イデア論」については、「哲学的な何か、あと科学とか」という

サイト(本にもなってます!)がとっても分かりやすいので、

引用させてもらいます。 アクセスはコチラ

・・・・・・・・・・・・・

「線」って見たことありますか?

あると答えた人……
「ほぉ~、そうかいそうかい、
 じゃあ、今すぐオレに『線』をみせてみろ、オラァ!」と
問い詰めさせてもらいます。

「線なんて、すぐ見せられるよ」と言って、
紙に、鉛筆で、線を描いた人…
「もっとじっくり見てみろ!幅があんだろ!
 幅があったら、線じゃねえじゃん!」
と、あなたの頭をつかんで紙に押し付けさせてもらいます。

そうなんです。「線」って見たこと無いんです。
ていうか、見れない。
視覚的には、幅がないと見れないけど、そもそも幅があったら線じゃない。

同様に、「点」も「面」も見れない。「三角形」も「四角形」も見れない。
世の中には、見えないものがたくさんあるんです。

三角形の石をみても、それはあくまで「三角形っぽい石」であって、
実際には三角形ではない。
よくみりゃ、角が丸まっていたり、ちょっと歪んでいたり・・・
理想的で完璧な「定義どおりの三角形」を見ることは絶対にできない。

とすると、問題は、
「じゃあ、なんで、見たこともないのに、俺らは『三角形』というものを
 頭の中で思い浮かべることができるのか?」
ということになる。

こういう問題について、紀元前400年くらいに、プラトンという人が考えた。
プラトンさんは大胆だった。

「『三角形』という観念的なものが、どこかに『存在する』んだよ」
と主張したのだ。

この「観念的なもの」を「イデア」(ギリシャ語で「姿形、原型」)と名づけた。
イデアが存在する観念の世界を「イデア界」と名づけた。

プラトンはこう考えた。
人間は、現実世界の「デコボコの三角形っぽい石」を見ているとき、
頭の中で「完璧な三角形」を思い浮かべて、「三角形だ」と言う。
この「三角形」は、厳密で完璧な三角形であり、
つまり「三角形のイデア」である。

つまり、「三角形っぽい石」を見るときに、
「三角形のイデア」も同時に見ており、
ゆえに「三角形」だと認識できるのである。

そして、「デコボコの三角形っぽい石」はいくらでも破壊することができるが、
イデア界の「三角形」は壊すことができない。
したがって、現実の世界にある存在よりも、
イデア界にある存在こそが、普遍的で本質的な存在なのである。

う~む、紀元前の人なのに、よくここまで考えたね~と感心します。

「おいらは、見たものしか信じません!」という人だって、
「三角形」がどんなものか理解している。
見たこともないくせに……。

改めて考えると、不思議なことじゃありませんか?

・・・・・・・・・・・・・・

飲茶さんという人が書いているのですが、本当に分かりやすいですね。

ちなみに原文をちょっとだけ見てみると・・・・

「われわれはまた、<美>そのものがあり、またこのようにして、

先に多くのものとして立てたところのすべてのものについて、

こんどは逆に、そのそれぞれのものの単一の相に応じてただ一つだけ

実相(イデア)があると定め、これを

<まさにそれぞれであるところのもの>と呼んでいる」

      『国家』第6/7巻(藤沢令夫訳)

どうでしょう.......?

(原文が好きな方は、コチラ

さて、ここで問題にしたいのは、実はイデア界の方ではなくて、

この「現実」といわれる世界の方なんです。

プラトンは、この世界は、「イデア界の影」にすぎないという仮説

を立てました。

これが有名なプラトンの「洞窟のたとえ」です。

(現代の宇宙論にもしばしば登場するんですよ)

コチラのHPを参考にしました(とても分かりやすいです☆)

◇ 洞窟の比喩

 プラトンがイデア論を説明するために考えた
 
 ちょっと極端なたとえ話です。
 
 人間は地下の洞窟に住んでいて、入り口に背を向けて、
 
 首と両足をしっかり縛られている。
 
 生まれたときからずっとこんな状態だから、
 
 洞窟の奥の壁しか見えないし、外の世界は見たことがない。

 洞窟の住人には後ろから照らされた人形か何かの影しか
 
 見ることができない。その影が、住人の後ろに存在する
 
 実体の影にすぎないということが分からないわけです(図1)。

 (図1)

● 洞窟内のモデル

 あるとき1人の住人がとらわれの身から解放され、
 
 後ろを振り返り、いままで実体と信じていたものが影に
 
 すぎないことに気付きます。
 
 「お前が以前見ていたのは、愚にもつかぬものだった。
 
 しかしいまは、お前は以前よりも実物に近づいて、
 
 もっと実存性のあるものの方へ向かっているのだ。
 
 前よりも正しく、ものを見ているのだ」。
 
 次に洞窟の外に出ますが、最初はまぶしくて何も見えません。
 
 そのうちに目が慣れてくると地上世界が見えてきます。
 
 本物の動物や植物を目にし、その美しさに感動します。
 
 いままで見ていた黒い影が世界のすべてだと思っていたのに、
 
 こんなにカラフルで生き生きした別の世界が本当は
 
 あったのだと気付きます。

 けれども、その次に彼は疑問を抱きます。
 
 「この動物や花はどこから来たのだろう」彼は、
 
 空の太陽を仰いで、洞窟では火が影絵を見せていたように、
 
 太陽が花や動物に命を与えているのだと考えます(図2)。

 

 現実世界にあるものはすべてイデア世界にその原型があり、
 
 人間が見ているものはすべてその一種の影みたいなものに
 
 すぎないと、プラトンは考えました。
 
 (【参考文献】プラトン「国家」藤沢令夫訳、岩波書店)。

・・・・・・・・・・・・・・

何となくでもイメージできましたでしょうか?

ここで私が紹介したいことは、プラトンは、この世界は

影のような存在、夢のような世界であり、仮の世界にすぎない

と仮説をたてたことです。

(実際に、完全なるイデア界があることは甚だ疑問なので。。)

この考えは、現代の科学の進み行く方向にも合致するもので、

東洋哲学ではよく言われるところです。

さすが、プラトンです!

ということで、今日は、プラトンのイデア論についてでした♪
※関連記事はコチラ


西洋哲学は2回のパラダイムシフトを経て、東洋哲学に帰結する!?④アリストテレス

2007-06-17 | 科学・哲学


「西洋哲学は2回のパラダイムシフトを経て、東洋哲学に帰結する!?」

の4回目はアリストテレスです!

ちなみに今日で、ギリシャ哲学の章は終了です。

アリストテレス(前384年 - 前322年3月7日)は、

プラトンの弟子であり、ソクラテスプラトンと共に、

「西洋」最大の哲学者の一人とみなされるほか、

その多岐にわたる自然研究の業績から、「万学の祖」とも

呼ばれています。

しかし、全面的にプラトンの哲学を受け入れたわけでは

ありません。

プラトンにとって重要な位置にあるイデア論にも

批判的だったようです。

そのことは「アテネの学堂」という絵にも表されています。



画像はコチラ
http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/raphael_atene.html


この絵は、ルネサンスの画家ラファエロの描いた
「アテネの学堂」という作品です。
左側がプラトンで右側がアリストテレスです。
ラファエロは絵の中にいろいろな寓意を込めました。
この二人の手に注目して下さい。
プラトンは著書『ティマイオス』を抱えて右手の指で天を
指しています。
一方のアリストテレスは、著書『ニコマス倫理学』を持って、
右手を地に向けています。
プラトンは『世の中にはいろいろなことがあるけれども、
すべてに普遍性がある。
すべてのものごとの基本をなすそういう普遍性をきちっと
捉えなければならない』と主張し、
アリストテレスは『世の中にはいろんな事物がある
のだから、それを一つ一つきちんと調べる必要がある』
と述べていることをあらわしているといわれます。
 詳しくはコチラ

アリストテレスは17歳のとき、アテナイにあるプラトンが主催する

学園アカデメイアに入門し、そこで20年間学生として学び、

その後アカデメイアの教師として後進の指導にあたりました。

またアレキサンダー大王の家庭教師でもあったんですね。

弁論術、文学、科学、医学、そして哲学を教えたようです。


アリストテレスによると、人間の営為にはすべて目的があり、

それらの目的の最上位には、それ自身が目的である最高善が

あるとしました。

人間にとって最高善とは幸福、

それも卓越性における活動のもたらす満足のことのようです。


ちなみにアリストテレスは宇宙論も展開しています。

それは世界の中心に地球があり、

その外側に月、水星、金星、太陽、その他の惑星などが、

それぞれ各層を構成しているというものです。

ガリレオ・ガリレイは太陽中心説(地動説)を巡って

生涯アリストテレス学派と対立しました。

当時のアリストテレス学派は望遠鏡を
「アリストテレスを侮辱する悪魔の道具」とみなし覗くことすら

拒んだとも言われます。

古代ギリシャにおいて大いに科学を進歩させたアリストテレスの説が、

後の時代には逆にそれを遅らせてしまったという

皮肉な事態を招いたことになるのです。

なかなか難しいものですね。

これで、ギリシャ哲学の章は終わりにしたいと思います!

次回からがいよいよ本番☆

一気に17世紀に飛んで、1回目のパラダイムシフトについて

紹介したいと思います(^-^)/

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