今日2月23日は作家、倉田百三(くらたひゃくぞう・代表作『出家とその弟子』)の生まれた日です。
倉田百三といえば、世界的文豪の一人であるノーベル賞作家ロマン・ロラン(1915年受賞 フランス人 代表作『ジャン・クリストフ』『魅せられたる魂』など)
から大絶賛を受けた文豪です。
ロマン・ロランが倉田百三の書いた、親鸞聖人を題材とした戯曲『出家とその弟子』を読み、感嘆のあまり作者・倉田に直接手紙を送り
「現代のアジアにあって、宗教芸術作品のうちでも、これ以上純粋なものを私は知らない」
と激賞した逸話は世に知られています。
さらに、
和辻哲郎「あの生命に充ちた作を涙と感激とで読んだ」
有島武郎「読んで泣いてしまいました。何という勝れた芸術品でしょう」
亀井勝一郎「あらゆる時代を超えて共通する青春の問題が含まれている」
と、そうそうたる人たちを感動せしめた、倉田百三。
旧制第一高等学校時代は同級に芥川龍之介や矢内原忠雄(※)がいましたが、倉田は彼ら無試験入学者を振り切って主席になるほどの秀才だったといいます。
※矢内原 忠雄(やないはら ただお、1893年 - 1961年)・・日本の経済学者。東京大学総長。
その倉田百三は『歎異抄』を熟読し、こう称賛しています。
「歎異鈔よりも求心的な書物は恐らく世界にあるまい」
「実に名文だ。国宝と云っていい」
「歎異鈔は、私の知って居る限り、世界のあらゆる文書の中で、一番内面的な求心的な、そして本質的なものである。
文学や、宗教の領域の中、宗教の中でも最も内面的な仏教、その中でも最も求心的な浄土真宗の一番本質的な精髄ばかりを取り扱ったものである」
「コーランや、聖書もこれに比べれば外面的である。
日蓮や、道元の文章も、この歎異鈔の文章に比べれば、猶お外面世界の、騒がしいひびきがするのである」
「日本にこういう文書の存在することは世界に誇るべき事であり、意を強くするに足る。
そして日本語と文章との表現力の如何にすぐれたものであるかを立証しているものである」
「歎異鈔からは我々は何処までも至純な、内心の声を聴かねばならぬ。
じくじくと山陰の苔から沁み出で来る泉のように、心をうるおすものをすすらねばならぬ。
柔かな触手が我々の心にふれ、力強い腕が我々のたましいを掴むであろう」
「余程精神的に生きて居ると思っているような人でも、此の書を読めば、まだまだ自分が無雑にして、苟合的(※こうごうてき)なことを感じるであろう。
此の意味でこの書は心の鏡として向ってみるのがいい」
※苟合(こうごう)・・・他人に気に入られようとすること。迎合。
「歎異鈔より本質的に、内面的な書物を世界に求めてもありはしない。これは敬虔な態度で、襟を正して読むべき書であり、又燈下に親しむべき心の友である」
(倉田百三著『一枚起請文・歎異鈔 法然と親鸞の信仰』)
「国宝」というべき歎異抄は、万余の人々を魅了し続けています。
いよいよ出版!? オリジナル小説『フライザイン』
もしかしたら、近い将来『フライザイン』が出版されるかもしれません。
「一カ月以内に、人生の目的を見つけられなかったら自殺する」という妹を助けるために、初めて生きる目的を探究し始めた兄と、愛する人が余命一カ月と宣告された天才哲学少女が出会う。そして……」という物語です。
小説『フライザイン』の続きです!
※第1回はコチラ
。。。
■22
【生死が自分の問題になっていない】
田中進一の世界(3月30日)
僕のドンヨリとした気持ちと裏腹に、キャンパスには美しい桜が咲き乱れ、輝く笑顔と明るい笑い声があふれている。ついでに猫ものんきに耳をかいている。
「ふう」
灰色の息がもれる。
今から〝最後の望み〟をかけ、教授の部屋へと行くところだ。緊張という名の獣がぼくの心の中をウロウロしている。そいつに襲われないよう、うまくやりすごしつつ、目的地である木製ドアの前へ最後の歩みを進めた。
歴史の重みを感じさせる濃い茶色の扉。そこに立つ僕は、千古の扉を押し開かんとする考古学者のような心持ちになる。謎が解けるかどうかは、この扉の向こうの人物にかかっているんだ。
「ふう」
今日何度目かのため息をつき、足元の〝相棒〟を見た。
今日の〝相棒〟は、すすけた感じの、尾曲がり猫だ。僕は仮に〝マガリン〟と名づけている。確か、尾曲がり猫は長崎にルーツがあると『長崎ねこ学会』の人が発表していたと記憶している。
マガリンを抱きかかえて、アゴの下をなでてやると、目を細め、気持ちよさそうにノドを鳴らした。その顔を見ていると、すべては何も問題ないように思えてくる。肉球握手を交わし、静かに床に置いてから、深呼吸した。
ゆっくり時間をかけてから、ノック。
反応がない。もう一度ノック。
部屋は沈黙を守っている。おかしいと思い、事務所に行ってみると、教授は、この三日間、関東に行っているそうで、今度来るのは明々後日だという。
僕は迂闊だった。ホントにバカだ。甘すぎる。
教授が毎日来ているとは限らない。当たり前のことだ。初歩的なミス。我ながら情けなくなり、ガックリと首をうなだれながら、外へ出た。
爽やかな風が身体にそよめくと、逆に僕の心の中には木枯らしが吹きすさび、「ふう」と、やるせない息がこぼれた。マガリンは顔よりも大きなあくびをしている。僕はどうしようもなく、日課として春奈のところへ行くことにした。
阪急電車に乗り、御影(みかげ)駅で降りる。駅前にあるバス停から病院行きの市バスに乗った。道中、妹にどんな話をすればいいか考えたが、考えるほど憂鬱な気持ちになっていく。
平和そのもののバスは、僕の気持ちなどまったく知るよしもなく、ふつうに病院前に着いた。文鎮のように重たい気持ちで春奈の病室の前に立ち、ノックする。
「どうぞ」
いつもの声が中から返ってきた。
入ると、春奈はいつものポーカーフェイスで僕の顔を見た。
「どうですか。哲学の教授は何か参考になることを言っていましたか?」
「いや、今日訪ねた教授は休みだったみたいだ」
春奈は、癖なのだろう、口の前で手の平をクロスさせ蝶の羽のような形をつくっている。十の長い爪は皆、黒く塗られ、そこから異様な黒光りを放っている。
「そんなので大丈夫なのでしょうか」
他人ごとのような妹の態度にカチンときた。こっちは不器用なりに一生懸命やっているのだ。しかし、精神が不安定な妹をどなりつけるわけにもいかず、感情をグッと内臓深くに押し込み、できるだけおだやかに言った。
「なあ春奈、もう一度考えなおさないか?」
「説得のしなおしですか?」
。。。
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┃編┃集┃後┃記┃
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いかがだったでしょうか。
生きる意味はあるはずだという進一
そんな意味なんかありっこない、という春奈
二人の気持ちは、私たちの気持ちの揺れでもあるかもしれません。
現代は、春奈のような状態の人が多いように感じます。
本当に深刻な場合もあれば、漠然と生き難さを感じている場合もあるでしょう。
でも、一人一人が生きる目的を知り、いきいきと生きる、そんな社会であったらいいなと思います。
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ではまた。