昨日に引き続き『情報』について。
のんびり平和で、特にすることがないときには、
『情報』はそんなに大事ではないでしょう。
でも、何か大切なことを成し遂げるとき、最も大事なもの
それが『情報』、しかも有益なインテリジェンスとしての
『情報』です。
※詳しくは昨日に記事をお読みください。
そういえば、こんな有名な言葉があります。
【人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、
何事かをなすにはあまりにも短い】(中島敦)
何事かをなそうとするならば、速やかに
大切な情報を自分のものにしなければならないでしょう。
私は、人を傷つける戦いは好みませんが、
生きるか死ぬかの瀬戸際に立った人間が、どう行動し、
何に価値観を置いたか、ということは非常に関心があります。
かつて、日本は、戦力が軽く10倍はあるといわれたロシアと
戦争をしました。
日露戦争ですね。
勝ち目なしと言われていた日本がロシアに勝利したわけですが、
一体、何が勝因だったのでしょう。
前坂俊之著『明治37年のインテリジェンス外交』にはこう書かれ
ています。
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日露戦争の勝因については、これまで様々な分析があるが、
まず何と言っても、当時の日本の政軍トップリーダーたちの
インテリジェンスの高さが挙げられよう。
ここでのインテリジェンスとは、諜報や情報収集という
意味以上に、的確で幅広い情報収集能力、情報分析能力、
智謀などを含んだ総合的な智恵を意味している。
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「情報」が大事なのはいつの時代も変わりませんね。
有名な『孫子の兵法』は
『敵を知り、己を知らば、百戦あやうからず』
と書かれてある通りです。
同じく、前坂俊之著『明治37年のインテリジェンス外交』にはこのようにも書かれ
てあります。
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「世界の7つの海を支配した大英帝国の秘密」は海底
ケーブルにあった。
英国政府は、1850年ごえおから、「世界制覇の第一歩は
海底ケーブルにあり」の戦略をとり、敷設に取り組んだ。
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日本海海戦では、周辺海域に偵察艦を配置し、すべてに
無線機を配備してバルチック艦隊の一刻も早い航行地点の
把握に全力を挙げた。
そして発見してわずか20分後に、司令官の東郷平八郎
へと伝わった。
10年前の日清戦争では速報が大本営に伝わるまで
6時間20分を要したというのだから、無線通信の
スピードは飛躍的に向上したことが分かる。
一方、バルチック艦隊は、艦隊内でも無線通信を
行わなかった。
というのも、通信の任務にあたっていたドイツ人
技師が、バルチック艦隊の軍紀の乱れに愛想をつかし
途中で離艦してしまっていたのだ。
しかもロシア兵たちは、このドイツ技師を「ネズミが
逃げた」と嘲笑するだけで、その深刻な問題を自覚
していなかったというから、ロシア軍は「日露戦争は
情報戦争」との認識に決定的に欠けていたのである。
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明暗を分ける『情報』
それは、戦中だけのことではないでしょう。
人生における大切な『情報』をまとめたホームページを作成中です。
また、ご案内させていただきますね。