幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


自著『第3の幸せ』【60ページ無料プレゼント中】         

【人を殺してみたかった。誰でもよかった】VS【なぜ人を殺してはならないのか】哲学・倫理学・死生観

2015-01-29 | 

「人を殺してみたかった」「誰でもよかった」

と供述した名古屋大学1年の女子学生。

彼女は、名古屋市昭和区のアパートの一室で、顔見知りの女性(77)を斧(おの)で殴るなどして殺害したとして、殺人の疑いで緊急逮捕されました。


身も凍る"殺人願望"の怖い言葉だけれども、そんな心を持った人は彼女だけではありません。

ネット上でも

「最近、殺人願望が強くなってきた。自分でも怖い。どうすればいいだろう?」

とか、

「僕は一度でいいから、死体が見てみたい。怖い物見たさ、でしょうか」

など、一般ではとても受け入れられないような心境が語られています。


このような事件を通して、しばしば話題になるのが

「なぜ人を殺してはいけないの?」

という質問。

「ダメに決まってる」

「ダメだからダメ」

「お前も殺されたくないだろう」

ぐらいの答えでは納得がいかないようです。



以前、哲学者の永井均教授が

「なぜ人を殺してはならないのか、3つの回答水準」

について語って記事が新聞に載っていました。


以下が、その「3つの回答水準」。


1.道徳的水準:

「ダメなものはダメだ」とげんこつを食らわせる


2.社会科学的水準:

「殺したら自分も殺されるでしょ? 自分が殺されたくないなら殺してはいけない」と社会のルールの起源を説明する


3.哲学的水準:

なぜ生命は尊厳なのか、という哲学的な問いの水準



先に書きましたように、「1」「2」の説明では不十分のようです。

最終的には哲学的な問いとなるのです。


ところが、現代の日本では、ほとんどこの教育がなされておらず、

「哲学」と聞いただけで頭が痛くなる人が多いようです。



読売新聞でも

「なぜ人を殺してはいけないのか」という特集が組まれ、

 その中で、宗教学者の山折哲雄氏が、

「死を教えぬ教育 弱い」

という見出しで、

日本の教育では死とは何かを教えない、

「この根本的な問題をないがしろにしたまま、今、道徳を

 教科化しても、効果はないと思う」

 と語っていました。



「死の準備教育(デス・エデュケーション)」

死の恐怖を免れていると思われる若者にこそ必要とされ、

アメリカ・イギリス・ドイツでは小学生時代の比較的

早い時期からおこなわれています。


哲学者、鷲田清一氏は、著『死なないでいる理由』に、こう書いています。


「哲学を生んだヨーロッパの多くの国では、

 日本の高校生ぐらいから哲学を教えています。

 フランスでは、文系の高校三年生で週9時間の哲学の授業があります。

 理系に進む生徒ですら週3時間の授業です。

 (中略)

 どの市民も、幸福とは何か、よい政治とは何かを頭で考えて、

 それなりの考えをもち、それを言葉で表現できるような訓練を、

 高校生のころからしてきているのです。

  さらに、高級官僚になるための大学院では、かならず哲学の論文を書くことになっています。

  官僚は、市民生活のすべてのことがらに関与するひとですから、

 法とは何か、政治とは何か、生きることの意味は何か、

 人間の幸福とは何かなどについての基本的な考え方、

 フィロソフィーをもたないことにはつとまらないという考えがあるからです」

  (『死なないでいる理由』鷲田清一 小学館 2002)





この「生と死」という重要かつ難解な哲学的問題が、分かりやすく書かれた物語があります。


* * * * * * * * * *


最悪の状態でも、希望がある!
どんな人でも、幸せになれる!
たとえ、余命一カ月だとしても。


なぜそう言えるかって?
その答えを伝えましょう。『フライザイン』という物語で。



死を前にした若き画家・龍一郎 と

愛する彼を助けようとする哲学科の女子大生・美桜(ミオ)


自らの命を絶とうとした妹・春奈 と

生きる目的を見つけると妹に約束した兄・進一


二組の男女は、手繰り寄せられるように出会い、そして……





「生きたい」「死にたい」「助けたい」

この人間の一番根っこの部分に、人類は、どう立ち向かい、どう答えてきたか?

古今東西の英知を凝縮させた物語。

それが

『フライザイン』~僕と彼女と妹の物語~



* * * * * * * * * *


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死生学でよく知られる「代表的な9つの死への恐怖」とは?

2015-01-24 | 

死への準備教育」(デス・エデュケーション death educatio)なるものがあります。

この教育を通して、「死」、「限りある命」、を見つめ、「生の尊厳」「命の尊さ」などを考えることが多いようです。

ドイツのアルフォンス・デーケン教授(Alfons Deeken)は、
「生と死を考える会」を作り、1982年頃から、この「死への準備教育」を提唱し始めました。

「死を見つめることは、生を最後までどう大切に生き抜くか、自分の生き方を問い直すことだ」と、デーケン教授は提唱し、特に、余命を宣告された人の心のケアの重要性を訴えています。

また、「死のタブー化」により、人生最大の問題である「死」と前向きに取り組む道を閉ざしてしまうことを危惧し、「死」を学ぶ大切さを訴えています。
アルフォンス・デーケン氏があげた、

「代表的な9つの死への恐怖」は、死生学の分野では有名です。


9つの死への恐怖

①苦痛への恐怖

死を前にした人の4通りの苦痛

1.身体的苦痛・・・・・・・痛みや呼吸困難などの体で感じる苦痛

2.精神的苦痛・・・・・・・体が思うようにならない苛立ちや、人への不信感などから来る苦痛

3.社会的苦痛・・・・・・・残される家族への心配や、社会的な役割の喪失にかかわる苦痛

4.霊的苦痛・・・・・・・・・今までの人生の意味や、死の意味を考える事から来る苦痛

身体的苦痛だけにとらわれない、総合的な苦痛の緩和を目指す事が重要といわれています。

特に、「4.霊的苦痛」は重要です。

このことは別の機会にお話ししたいと思います。

 


②孤独への恐怖

人々に見捨てられて、独りぼっちで死を迎えることへの恐れ。
「独生独死(どくしょうどくし)」と仏典に説かれています。
このことも別の機会にお話ししたいと思います。

 


③尊厳を失う事への恐怖(不愉快な体験への恐れ)

まるで物質のように治療され、尊厳を失うことを怖れ、拒否します。
人間として扱われていないことへのいらだち、最後まで尊厳を失いたくないという心です。
キュ―ブラ・ロス氏も、患者を一人の人間として接することの大切さを訴えました。

 


④家族や社会の負担になる事への恐れ

「迷惑かけたくない」という思いの強さから、治療費や看病のためにかかる負担を心配します。
日本では特にこの傾向が強いようです。

 


⑤未知なるものを前にしての不安・怖れ

人は、未知なるものを怖れます。
山奥の古びた真っ暗な館に一人で入らねばならないことを想像すればお分かりになると思います。

「死んだらどうなるか分からない不安・恐怖」の根っこは非常に深く、
この問題は、慰めでは解決つかない問題です。

このことも別の機会に詳しくお話ししたいと思います。



⑥人生に対する不安と結びついた死への不安

社会的に適応できていなかったり、挫折を重ねると、人生自体を否定し、
自分の環境に恨みや恐れを持つようになる事があります。

このような場合、死に対しても強い否定的感情を抱くケースがあります。

 


⑦人生を不完全なまま終わる事への不安

「もっとやりたいことがあったのに」
と、やり残したまま人生を終えることへの不安・怖れです。
「もっと優しく接していればよかった」
「自分の人生を生きてこなかった」
などの後悔が不安や恐れの引き金となるようです。

 


⑧自己消滅への不安

死によって自分が「無」になることへの不安・恐怖です。
かなり個人差があります。

先にあげた四通りの苦痛「4.霊的苦痛」の問題が深くかかわっています。

 


⑨死後の審判や罰・報いに関する不安

キリスト教徒ならば最後の審判(『聖書』によると、この時、今まで死んだ人は一度全員生き返って地獄(煉獄)か天国かの裁きがあるそうです!?)
に対する不安、恐れ。

造ってきた罪から、死後の報いを恐れるなど、「4.霊的苦痛」に関する問題です。



この中で、特に「4.霊的苦痛」と関連が強い

⑤未知なるものを前にしての不安・怖れ

は、慰めや、ごまかしでは解決できない問題であり、

想像以上に深い問題をはらんでいます。

ブログではとてもまとめきれませんので、一冊の小冊子にしました。

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【無料プレゼント】小冊子『白骨の御文章を学ぶ』~正しい死生観を持ち、地に足のついた人生を歩むために

2015-01-16 | 

■多くの人は、愛する人と死別したとき、

「大宇宙にたった独り取り残されたように感じた」

といわれます。

この底知れぬ寂しさは、

モノやお金では解決できない問題であり、

娯楽やお酒でごまかしきれるものでもありません。


【人間の八苦のなかに、

 愛別離苦(あいべつりく)、

 もっとも切(せつ)なり】

 
という仏教の言葉があります。

人生のいろいろな苦しみの中で、愛する人との別離はもっとも切なく悲しいものです。

「大好きだったおじいちゃんも、おばあちゃんも死んでしまった」

「友人が事故で突然亡くなった」

「家族としてかわいがっていたペットが死んだ」

「父を亡くした」

「母を亡くした」

「連れ添ってきた伴侶を失った」……。

死別の哀しみは底知れず、

言葉にならない絶望に打ちひしがれ、

この胸の痛みが癒えることなどないのではないかと思えるほどです。


そして、考えることは、

「もっと優しくしてあげればよかった」

という後悔や、

「あの人の人生は何だったのだろう」

「あの人はどこへ行ってしまったのだろう」

という解くに解けない問題などではないでしょうか。


大恋愛の末、結婚した夫を、突然の事故で亡くした

20代のある女性は、毎日泣き明かしました。

まだ小さかった長男の、「僕の前では泣かないで」との一言にハッとなり、このままではいけないと思われたのですが、親戚中が集まった時、みんな夫婦そろっているのに、「一番若い自分ひとりが未亡人で、その時の寂しさ、悲しみは言い表しようがなかった」

と言われます。



■またある人は、

「大好きだった人が亡くなった後と前ではまったく世界が変わってしまった」

と、さびしくつぶやかれました。

 雨の音

 夕やけ

 近所から聞こえる一家団欒の笑い声

 線香の香り……


すべてが自分の心を締め付け、切りつけてくるように感じられた、と言われます。


【人、世間、愛欲の中にありて、

 独生独死(どくしょうどくし)

 独去独来(どっこどくらい)】(釈迦)



人は皆、愛し愛されたいと願いながらも、

孤独な魂を抱え、独りぼっちで生まれてきたから、

独り寂しく死んでいかねばなりません。



■死別から少し月日が経ちますと、

自分の胸に、こう問わずにはおられなくなります。

「自分もやがて死んでいく。そう思うと、
 胸一面が不安と孤独に覆われ、生きる力が失われてしまう」

「自分は死ねばどうなるのだろう」


見送る側から、見送られる側になる時がくると気づいた時、人は少なからずショックを受けるもの。

ですが、『死』が自分の問題となってこそ、本当の人生が開けてくるのだと、仏教で、こう教えられています。

 【無常を観ずるは 菩提心の一なり】

(むじょうをかんずるは ぼだいしんの はじめなり)


「無常」とは、常が無く、続かないこと。

中でも「無常だなぁ」としみじみ感じるのは、人の死。

我が身の無常をまじめに見つめたその時、「菩提の心」が起きる。

「菩提の心」とは、

「本当の幸福を求めようという心」。


日頃、盤石と思っていた幸せも、意外にもろいもの。

石によってヒビ入るガラスのように、思わぬ問題により、ガラスの幸福にヒビが入ります。

まして隕石のような『死』がぶつかってきたら……!!

「その時でも崩れない幸福ってあるのだろうか?」

「もし、ないのなら、何のための人生か」

「最後、すべて儚く砕け散るものを集めているだけなのか」

「この死の恐怖を何とかしたい」

「死を前にするとすべてが無意味に思える。

 地に足のついた人生を私は歩んではいない」

「願わくは死んで悔いなき人生を歩みたい」


このように、

『死』を通して人生観、幸福観は向きを変え、正しい方向へ、偉大なる一歩を、あなたは踏み出すのです。



■今から約2600年前、印度で活躍されたお釈迦さまは、

生後一週間で母親のマーヤー夫人を失っています。

お釈迦さまは、無常を縁に、壊れゆく幸せではなく、老いと病と死を超えた本当の幸せを求められました。


そして、35歳で仏のさとりを開かれ、

行く先しらずの孤独で不安な魂の解決の道を明らかにされました。

それが仏教です。

国を超え時代を超え、私達も仏教によって、死が来ても崩れない、本当の安らぎを得て、一人いて喜べる、にぎやかな心を手にすることが出来ます。


その時、


「ああ……、

 亡くなったあの人は、

 身をもって私に無常を教えてくれ、

 菩提心という最高の宝を与えてくれたのか……」



 と、奥底からの感謝の念が湧き上がることでしょう。



■このように、正しく深い「無常観」「死生観」は、大切な宝です。

『白骨の御文章(はっこつのごぶんしょう)』

は、傑出した名文で、世の無常を明らかにされています。

国民的作家、司馬遼太郎氏(NHK大河ドラマ原作となった作品は7作と最も多い。2015年現在)

は、こう書いています。


「明治以前の文章家のなかで、平易達意の名文家は、筆者不明の『歎異鈔』と室町末期に本願寺を中興した蓮如上人(白骨の御文章)と
宮本武蔵(五輪之書)のほかにはみられない」(真説宮本武蔵)」

(出典)司馬遼太郎『真説宮本武蔵』講談社文庫、1983年


葬儀で一番多く唱和されるのも、この『白骨の御文章』といわれます。

「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて

   夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」

という一節を、一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか。

このたび『白骨の御文章』の解説を60ページの小冊子の形にまとめました。


このブログでご縁のあったあなたに無料でプレゼントしたいと思います。

この小冊子を通して、「死生観」「無常観」を深め、

地に足のついた本当の人生を歩んでいっていただきたいと思います。



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では、小冊子で再びお会いいたしましょう。


死を語るパンダ!? 「汝自身を知れ」グノーティ・セアウトン(gnothi seauton)

2015-01-13 | 

◆ 死を語るパンダ・ぱんたん のディープ・レクチャー ◆






こんにちは! 死を語るパンダ、ぱんたんです。

今日は、

【「汝自身を知れ」~あなたのすべての行動に共通したものを知る重要性~】

というテーマでお話ししましょう。
古代ギリシャの時代から、

「汝自身を知れ」

グノーティ・セアウトン(gnothi seauton)(ギリシャ語)

といわれます。

※映画『マトリックス』でドアの上の飾り額にも書かれてありました(^^)
インフォメーション
有名な孫子の兵法でも

「敵を知り、己を知らば、百戦して危うからず」

といわれますし、

就活も、「自分自身を知るところから始まる」と教えられますから、

時代を超え、国レベルから個人レベルに至るまで、大事なことは

「自分自身を知ること」

なのです。

それは裏返せば

「分かっているようで分からないのが自分自身」

ということ。
そういう観点で、死に対して自由な心を描いた希有な物語『フライザイン』一章の

47ページ(横書き)を見てみましょう。

※『フライザイン』については、こちら。
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「人間だれ一人として幸福を求めないものはない。

幸福を求めるということ以上に、あらゆる人に共通した考えはない」

ヒルティ『幸福論』下7

確かに人は、不幸を厭い、幸せを求めるものだ。
すべての行為はここに行き着く。

だが、そのことをハッキリ意識する人は多くはないようだ。

実際、チグハグな生き方をしていることが少なくない。

金の奴隷になる者。

恋人に振り回され、苦しみの日々を嘗める者。

名声の魅力にとりつかれ破綻する者……。

本当は、金や恋人などが欲しいのではない。

それらを通して「幸せ」が欲しいのだ。

安心、満足、充実といった、喜びを手に入れたいのだ。

(中略)

すべてがこのように、
「なぜ欲しいのか」
「どうして手に入れたいのか」
と尋ねていけば、

最後必ず「幸せになりたいから」にたどり着く。

このことをプラトンは、著書『饗宴』で、

ソクラテスと、ある女性とのやりとりを通して明らかにしている。

 




「あなたは何を求めていますか?」

と尋ねれば、様々な答えが返ってきますが、
突き詰めると「幸福」が欲しいのです。
言葉を変えれば、

「あなたのすべての行動に共通したもの」、

それは

「幸福を求めている」ということです。

(実際に幸せになれるとは限りません。
「求めているもの」が幸福ということです)
つまり、

「汝自身が欲するもの、それは常に『幸福』であることを知れ」

ということですね。

このことを踏まえて、

プラトンの著、『饗宴』を見てみましょう。




幸福になりたい人は、いったい何のためにそうなりたいのかと
さらに尋ねる必要ももはやありません、

むしろ私たちの答えはもうこれで終極に到達したように見えます。
「幸福になりたい」というこの願望とこの愛(エロス)とは
万人に共通なものであり、

またすべての人は善きものを永遠に所有することを願う。





突き詰めればすべての人は幸福、

それも「ずっと続く幸せ」を願っている、

ということですね。

ここにさらに深まった問題が出てきます。

「ずっとづつく幸せ」なんてあるのだろうか?

ということです。

心は移ろいやすく、

世界は日々変わりゆく。

そして最後には

それまでの大前提を覆しかねない
「死」という大津波が押し寄せてきます。
『フライザイン』(横書き)51ページには、こうあります。




ここで、『幸福論』にも二種類あることを把握しておかねばならぬ。

二つは、ある〝前提〟によって分かれる。

前提とは、〝『死』を考えに入れるか、否か〟。

死を考えなければ、『生活の幸福論』。

死を念頭に入れれば、『人生の幸福論』。

同じ『幸福論』でも、内容はかなり違う。
『生活の幸福論』は『よりよく生きる方法』を扱っている。

このような、『生活の幸福論』は分かりやすく、
何をすればいいかもイメージしやすい。

それに対して、『人生の幸福論』の多くは、
難解で、抽象的で、イメージしにくいものだ。

『死』という認識不可能な問題から『幸福』を
論じるのが『人生の幸福論』だから、

そうなるのは仕方がないのかも知れない。

だからといって『人生の幸福論』を無視していい訳ではない。

それどころか『人生の幸福論』こそ重要なのだ。

それは、『日常の幸福』と『人生の幸福』の関係が
分かれば自ら明らかになる。

〝命あってのモノダネ〟と言われるように、
日常の幸福はすべて、命あることが大前提だ。

その大前提となる土台が崩れたら、日常の幸福は破綻する。

つまり、家を建てるには、土台から始めるように、
真の幸福を見出すには人生の土台に着目せねばならぬ。

この土台がグラついていたら、どんな美しい
〝日常の幸福〟という建物も、根底から破綻するであろう。

その土台を論ずるもの、それが『人生の幸福論』なのだ。





「自分自身」を知れば、すべての行動が「幸福」を
求めてのことだと分かります。

しかもその「幸福」は、「続く幸福」であって欲しいというのがすべての人の願いです。

そう考えたとき、

死を無視した「生活の幸福論」以上に、
死を念頭においた「人生の幸福」が大事だと思います。
そういう視点で哲学書をはじめとした学問書を読むと、
多くのものがはじかれます。

150以上の哲学・思想を学んだ上で書かれた『フライザイン』ですが、

「何を書くか」

と同時に

「何を書かないか」

も重要です。

実は、

「知った上で、あえて書かない」

部分が非常に大切なのです。

『フライザイン』はそういう観点で、

どんな面白い話題、評価されている内容でも、

「私自身の幸せ」

と関係ないものは、割愛されています。

これらのことを踏まえて

「汝自身を知れ」

というシンプルな言葉を見つめなおすと、

その深遠さに気づかれるのではないでしょうか?



『フライザイン~死に対して自由な心を求めた僕と彼女と妹の物語』

を読まれたい方は、こちらからどうぞ

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ぱんたんまたね




「『もしドラ』は なぜ売れたのか?(岩崎夏海著)」を読んで

2015-01-03 | 成功の秘訣

長崎に帰省する電車の中で、

「『もしドラ』は なぜ売れたのか?」という本を読みました。

※「もしドラ」とは「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジ
メント』を読んだら」という270万部超えのダイベストセラー本のこと


この本は、『もしドラ』を書いた岩崎夏海(なつみ)氏本人が、その舞台裏を克
明に記したものです。


「なぜ、今さら『もしドラ』なの?」

と思われるかもしれないけれど、その問いには、

「『単なる流行った1作品』という視点ではなく、もっと深い部分に注目してい
るから」

とお答えいたします。


ただ、今回の内容は『もしドラ』を全く知られない方には分かりにくい内容にな
るかもしれませんので悪しからず。


まず、作者、岩崎夏海氏について。

岩崎氏は、秋元康氏のもとで、放送作家として

『とんねるずのみなさんのおかげです』
『ダウンタウンのごっつええ感じ』等、テレビ番組の制作にたずさわり、
 AKB48アシスタントプロデューサーも務めた人です。


そんなコネもヒットの要因の一つなんだろうなと思っていたのですが、全然違っ
ていました。


「『もしドラ』は挫折から生まれた」と本人が語っているように、

この作品は、秋元氏から

「明日からおれの運転手になるか、会社を辞めるか、どちらか選んでくれ」

と言われたことがスタートになっています。


彼は、会社の近くにある清水谷公園のベンチに座り、

「ぼくは、完全に負けたんだ。
 それを飲み込むことができるまで、ずっとそこに座り続けていた」

そして

「このときの挫折がなければ、ぼくは『もしドラ』を書けなかった」

と自ら書いています。


コネも何もなくなり、この後、ペンネームで書き始めたブログが人気を呼び、

書籍化のオファーが来たのです。

コネ0の状態、それどころか、失意のどん底が大成功の出発点。



人は、挫折すると「終わった……」と思いがちです。

でも後から振り返ると、挫折がスタートだったと気づくことが多い。

挫折、失敗、絶望は、終わりではなく始まり。スタートなのです。


ましてや、

「何だかうまくいかない」とか、

「思ったほどヒットしなかったな」とか、

「ちっとも認めてもらえない」

ということで、しょげてる場合じゃない。


なかなかその時には、そう思い難いですが、

挫折こそがスタートなのだということを今のうちによくよく刻み込んでおきたい



これがこの本の最初の章(15ページ目)までの内容です。



次のページには、

「『もしドラ』は なぜ売れたのか」

という章になっています。


この問いについて、この章ではこう書かれてあります。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

『もしドラ』は、単なる思いつきで考えたわけではない。

 ぼくなりの「これからはこういう時代なのではないか」(中略)

 という「読み」があって企画した。(中略)

「読み」で一番重要だったのは、

「これからは学問的な価値を持つエンターテイメントが求められるだろう」

というものだ。

「学問的な価値を持つエンターテイメント」とは、

 娯楽作品でありながら、読んで役に立ったり、

 あるいは学問的な知識をえられたりする____というもののことである」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


【これからは学問的な価値を持つエンターテイメントが求められるだろう】

この言葉に大きくうなづきました。

実際、その傾向が目に見えて強まってきています。


例えば、昨年(2014年)最も売れたビジネス書は、トーハン・日販という書
籍専門の会社によりますと

『まんがでわかる7つの習慣』

だったそうです。 


『7つの習慣』とは、約500ページの分厚いビジネス書。

それを、まんがのストーリーに乗せて書いたのがこの本


2位は『嫌われる勇気』。

これは、難解な「アドラー心理学」を会話の形で、ストーリーに乗せて解説した
もの。

1位、2位とも、

「学問的な価値を持つエンターテイメント」作品です。



20年以上前、

【エンターテイメント性をもって、学問的な価値を伝える】

と志したことは間違っていなかったと、今、改めて実感しています。


私の場合、「学問的な価値」とは、仏教の真髄であり、

それを

「他の哲学・思想とからませながら、ストーリーに乗せて伝える」

という志を立てました。


もともと文章など書ける人間ではありませんので、文章力の勉強は、

1から、いえ、マイナスからのスタートでした。

将来、絶対に必要になるとの思いで、

情熱を継続させながら種をまいてきました。


そして今、まだまだ粗い形ではありますが、一つの作品となりました。

http://masaoosajima.com/gift/miogoo/index.html


今年は、この物語をよりよいものにしたいと思っています。

願わくは、読まれたご感想、ご批判、なんでも結構ですので、

あなたから、この作品の成長の糧をいただきたいと思っております。


先ほど、「学問的な価値」とは、「仏教の真髄」と申しましたが、

それはそのまま、

「本当の幸福について」

「死に対して自由な心について」

「生きる目的について」

と置き換えることもできます。


ハッキリいって、このテーマは、哲学的、思想的にも最深のものなので、

「そんな内容がお前なんぞに書けるのか」

と批判的な目で見られて当然でありましょう。


「こんな物凄いテーマを、無名の者が分かりやすく物語の形で書けるはずがない」

これが、普通の反応です。


ですから、批判的な視点で結構です。まずはご一読いただき、

その上で、ご指摘、ご非難をいただきたく思っております。


私に得意なことはあまりありませんが、

「書き直しが、苦にならない」

ことは、数少ない取り柄の一つです。


「書き直しは、より作品が成長したことなので、喜びと感じられる」

ので、この作品『フライザイン~死に対して自由な心を求めて僕と彼女と妹の物
語~』

は現時点で30回、大幅に書き直しています。

書き直しさえすればいいのではありませんが、

よりよいものへの追究は妥協なく続けたいと思っています。

ですから、あなたのご批判が何より有難いのです。


もし関心を持たれたならば、

この作品についての紹介ページを覗いてみてください。

http://masaoosajima.com/gift/miogoo/index.html


鋭い一言、何となく感じられた一言、延々にわたるご説教、

お待ちしております。


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