幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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「ビートたけしの“教科書に載らない”日本人の謎」第3弾は『仏教』

2011-01-08 | ブログ
「ビートたけしの“教科書に載らない”日本人の謎」

第3弾は、『仏教』についてでしたね。

結構、反響があったようです。





その中で、「仏」と「菩薩」の違いについて話がなされました。

 そもそも仏教とは、仏の教えと書くように「仏さまが説かれた教え」
 をいいます。
 では、この仏とは、どなたのことでしょう?


■仏とは?

 世間では、「死ねば皆、仏」だと思い、亡くなった人のことを「仏さま」と呼んでいますが、もし仏=死人なら、仏教は、「死人が説いた教え」になってしまいますね。

 死んだ人が、教えを説けるはずがありませんから、これは大違い、と分か ります。

 仏とは、
「仏のさとりを開かれた方」
をいうのです。

一口にさとりといっても、低いさとりから高いさとりまで、52の位があり、これを「さとりの52位」といわれます。

ちょうど相撲取りでも、下はふんどしかつぎから上は大関、横綱までいろいろあるように、さとりにも、ピンからキリまで全部で52の位があり、それぞれ名前がついています。

 その52のさとりの、最高の位を仏覚(仏のさとり)といい、これ以上のさとりはありませんから無上覚ともいわれます。

 さとりが一段違っても、人間と虫けらほど境界の差があるといわれますから、52段の仏覚がいかに尊いものか、分かられると思います。


■さとりとは?

 さとりとは何をさとるのかといえば、大宇宙の真理です。
 真理といっても、数学的真理や科学的真理ではなく、すべての人が本当の幸福になれる真理です。

 物は豊かになり、暮らしはずいぶん変わりましたが、私たちは幸福になったでしょうか。
 昔は大家族が多く、嫁と姑が人間関係の苦しみの代名詞でした。今は核家族化が進みましたが、職場や育児のストレスなどでやはり苦しんでいます。平和な日本の空の下、イラク戦争より多くの人が毎年、自殺しています。
去年の自殺者数も発表されましたが、またも3万人を突破していました。

 これら苦しみの根本を解決し、本当の幸せになれる道をさとられた方が、仏さまです。

 さとりを開くことを山登りに例えますと、一合目より二合目、二合目より三合目と、登れば登るほど見える景色は広がっていき、最後、頂上まで登り詰めた時、辺り一面を見渡すことができるように、仏覚まで到達した方だけが、大宇宙の真理すべてを体得できます。


■菩薩とは?

では、菩薩はどうなのか、といいますと、菩薩とは仏のさとりを求めている人をいいます。
ですから、さとりの52位でいいますと、51段までさとっていても仏とはいわれません。菩薩なのです。

【重要】ご案内

2010-11-09 | ブログ


いつも、訪問、応援、ありがとうございます

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今、その準備中ですので、もう少し待っていてください。


と、いいつつ、明日、アップできる範囲で何かあげるかもしれませんが

ではでは

【祝】100万アクセス突破♪ 生きたいあなたのブログ

2010-07-13 | ブログ



本日、グーグーパンダが、100万アクセスを突破しました!

 

    











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 ちなみに今、993部です。



破線のマリス(報道の送り手と受け手) 親鸞会講師のブログ

2010-04-30 | ブログ
浄土真宗親鸞会講師のブログです☆
キーワードは人生、生と死、因果の道理
人生の目的(生きる目的・なぜ生きる)、無明の闇、歎異鈔
真実の自己、親の大恩、自殺、誹謗中傷、
仏教、対カルト、宗教被害、後生の一大事・生死の一大事、
文学、哲学科学、映画、音楽など♪

 
 1997年9月、発刊当初からその衝撃的な内容で物議をかもしていた
 一遍のミステリが第43回江戸川乱歩賞に輝いた。

 それが 「破線のマリス」
 
 マリスとは悪意。
 テレビの画面は525本の横線によって切れ切れにされている。
 横線は実線ではなく点からなる「破線」。
 これが集まって画面に絵柄が浮かぶ。

 切り刻まれた報道映像に潜む本質を描いた作品で映画化もされ
 大変話題になりました。
 
 簡単なストーリーは以下の通り。
 
----------------------------------------------------------------
 
 人気報道番組の事件検証コーナーは、
 ニュース映像を独自の視点から再構成し真実をあぶり出すことで
 高視聴率を上げていた。
 
 しかし、証言の内容とは無関係な映像を繋いで証拠もなしに
 犯人を仕立てるような放送倫理に抵触する「編集者、遠藤瑤子」の手法は、
 局内で問題視されていたものの「数字が取れているために何も言えない」
 という空気が支配的だった。
 
 ある日、瑤子に「郵政官僚の不正に関する殺人事件」に関する
 テープの持ち込みの話が来る。
 内部告発者の男は「春名」と名乗り、
 身の安全のために郵政省には一切のコンタクトをしないように言われるが、
 瑤子は人柄を見込んでこのテープを信用する。
 上司のチェックをすり抜けて放送されたこの報道は大反響を呼び、
 犯人と目された麻生は、仕事も家庭も崩壊し、謝罪を求めて瑤子をつけ回す。

  上司立ち会いのもとで素材テープを見た関係者は、
 このテープが麻生の主張どおり何者かが彼をはめる目的で仕組まれたものと断定し、
 瑤子の編集者としてのキャリアは危機に立たされる。
 
 そして最後は、ついに・・・・ 

 (くわしくはコチラ

----------------------------------------------------------------
この江戸川乱歩賞「破線のマリス」が映画化されるときの
原作者、野沢 尚氏のコメントは以下の通り

----------------------------------------------------------------

「映画化にあたって」野沢 尚 
Message from Hisashi Nozawa

  この原作小説が出版された時、「テレビ界の内部告発小説」
 とよく言われた。
 それは間違っている。私に告発したい相手がいるとしたら、
 それはテレビの作り手ではなく、 視聴者の方だ。

 報道被害をはじめとするテレビから垂れ流しにされる情報を、

 視聴者はこれまで、あまりにも無感覚で受け止めてきた。
 過剰な映像処理や劇的な音付けに簡単に騙されてしまう。
 
 大衆心理の操作など、この物語のヒロインのように、
 指先一つの映像編集で可能なのだ。
 

 だからテレビの情報を信じてはいけない。疑ってかかれ。

  それは、テレビ界の人間でもある私からの、切なる願いでもある。
 簡単には騙されない視聴者がいてこそ、作り手に緊張感が生まれ、
 テレビは成熟の時代を迎えるのではないか。
 この映画が、報道被害をはじめとする様々な問題に揺れるテレビ界を突き刺し、
 その向こう側にいる視聴者を、強烈に揺さぶってくれることを祈っている。


---------------------------------------------------------------------

 画像を作られた人も、作った人も不幸になる。
 そして、その画像に踊らされる大衆は・・・・
 
 この小説が発表されて20年近くになる今、
 もっと深刻な問題を抱えているかも知れません。
 
 悪意の噂、デマは、ネットでも口コミでも映像でも流され続けています。
 
 しかも、本人は善意のつもりなのだからたまらない。
 
 責任ある発言がのぞまれると同時に、
 責任もって判断する、「受け手の問題」がさらに大切と思います。

 噂にふりまわされず、自分の目で、耳で確認し、判断しよう!

「たぶんわが国以上に中傷者に行動の自由を許している国はない。
何千というそういう連中が立派な市民の名誉を毀損し、
またたしかに、暗殺やそれ以上の中傷をそそのかして、
それで飯を食っている」
             新渡戸稲造

 
   

 






浄土真宗を世界に伝えたい(1)アインシュタイン

2010-03-04 | ブログ
 


今日から「浄土真宗を世界に伝えたい」というテーマを
シリーズでお届けしたいと思います☆




 ※ちょっと声が小さいです。
  本の中の文字は、まず読めないと思いますが、以下の記事を参考に
  してください。


今日はかのアインシュタインがいかに仏教に関心が深かったかを

物語る言葉を紹介しましょう!

まずアインシュタインは、「私の世界観」(1934)

※英語版タイトル「World as I see it」
 原書のタイトル「Mein weltbild」(My philosophyにあたるドイツ語)



の冒頭、最初も最初にこう語っています。

「生きる意味はなにか?
 その質問に答えるのが宗教である。
 生きる意味はないと感じる人は、不幸であるばかりでなく、
 ほとんど生きる資格を持たない。」


What is the meaning of human life?
To answer this question at all implies a religion.
            (implies・・・であることを意味する)


と書いています。
日本で宗教というと、カルト、危ない、非科学的、という反応の人が
少なくないようですが、ここでアインシュタインがいう“宗教”とは
何を指しているのでしょうか?
同じ「私の世界観」に“科学と宗教(Religion und Wissenchaft) ”という
章があり、そこでは宗教について3段階に分けて次のように語っています。

ドイツ語の原文は難しいと思いますので、英語版とそれを訳したもので
紹介します。


  「The World as I see it.」

        ≪私の世界観≫

   --- Albert Einstein  アインシュタイン ---



(     )は 英単語の意味です。


 ■第一段階:恐れの宗教


With primitive man it is above all fear that evokes
    (原始人)         (恐れ) (引き起こす/イヴォウクス)
religion notions-- fear of hunger , wild beasts , sickness , death.
(宗教的考え)

【要約】

原始人にとって、宗教的な考えを引き起こすものは、何より「恐怖」である。
つまり、飢え、野獣、病気、死に対しての恐怖。



Since at this atage of existence understanding of causal connexions
                          (因果関係)
is usually poory developed, the human mind creates for itself
        (不十分な発達)
more or less analogous being on whose wills and actions these
(多かれ少なかれ似ている)
fearful happenings depend.


【要約】

この段階では、因果関係への洞察は未熟であるため、多かれ少なかれ
自分自身と似た存在を想像し、さまざまな恐怖を与えるのは、その存在の意思で
あると考える。



One's object now is to secure the favor of these beings by carrying
          (手に入れる)(友好)
out actions and offering sacrifices which , according to the
           (いけにえ) 
tradition handed down from generation to generation,

propitiate them or make them well disposed towards a mortal.
(期限をとる)
I am speaking now of the religion of fear.
              (恐れの宗教)


【要約】

そこで、いけにえをささげたりして、機嫌をとろうとする。
これが私のいう「恐れの宗教」である。  



 ■第二段階:倫理的(社会的)宗教


The social feelings are another source of the crystallization of religion.
    (源泉・出処)  (結晶、形作るもの)

            
宗教を形づくる第二の源泉は、社会的感情である。


The desire for guidance , love , and support
      願い 指導         保護  
prompts men to form the social or moral conception of god.
 促す          社会的、倫理的   神の概念 

 
指導や、愛情、そして保護を求める願いは、社会的、倫理的な神の概念を
引き起こす。



This is the god of Providence who protects , disposes ,
(摂理の神)          (取り決める)
rewards , and punishes.
 報酬     罰
 
 
それは、信賞必罰をつかさどる、摂理の神である。


 

 ■第三段階:宇宙的宗教


There is a third stage of religious experience
     (第三ステージ)
which belongs to all of them , even though it is rarely found

in a pure horm ,and which I will call cosmic religious felling.
                   (宇宙的宗教)
 
めったにみられないが、第三ステージの宗教がある。
わたしは、それを「宇宙的宗教」と呼びたい。


It is very difficult to explain this feeling to anyone
(説明)
who is entirely without it , especially as there is no
    (全く縁がない)  
anthropomorphic conception of god corresponding to it.
神人同形説・擬人観 概念       応じる

 

【要約】

宇宙的宗教は、神の概念がないため、縁のない人に説明するのはとても難しいのです。


Buddhism , as we have learnt from the wonderful writings of
        (学んだ)  
Schopenhauer especially , contains a much storonger element of it.
(ショーペンハウエル)     (置く・保つ)     (宇宙的宗教の要素)  

 
【要約】

宇宙的宗教の要素がはるかに強くなっているのは仏教においてである。
私たちが、このことを特に学んだのはショーペンハウエルの素晴らしい著作に
おいてであった。




つまり、一口で宗教といっても3段階あるとアインシュタインは言うわけです。

①原始的な「恐れの宗教」

②キリスト教を代表とした“神”の概念がでてくる「倫理的宗教」

③キリスト教的“神”が出てこない「宇宙的宗教」仏教。


    

「宗教なんて皆同じ」なんて、アインシュタインの前ではとても
恥ずかしくていえませんね。
まして「どうせ宗教はカルトだろ」などという暴言は。

そして、アインシュタインに次のように言っています。

Now , even tough the realms of religion and science in themselves
        (領域・レルム)
are clearly marked off from each other , nevertheless there
       (区別)         (にもかかわらず) 
exist between the two strong reciprocal relationships and dependencies.
              (相互関係)
 
【要約】  

ところで、宗教と科学の領域はそれぞれはっきり区別されていますが、
にもかかわらず、宗教と科学には、強い相互関係が存在します。


Though religion may be that which determines the goal ,
                 (定める)(目的)
it has , nevertheless , learned from science ,
(にもかかわらず)
in the broadest sense , what means will contribute to
    (広い意味で)         (貢献)
the attainment of the goals it has set up.
     (設定された目的の達成)

 
【要約】

宗教は目的を定めるものとされていますが、広い意味で科学から
学ぶところがあります。
それはどんな手段が目的を達成するうえで役に立つかを学ぶのです。


つまり、科学は手段、宗教は目的を教える、といったところでしょう。



アインシュタインには次の有名な言葉があります。


Science without riligion is lame ,
             (足が不自由)

religion without science is blind.
             (目が不自由) 

 宗教なき科学は不完全であり、

 科学なき宗教は盲目である。

      『Out of My Later Years』

          

ここで科学なき宗教とは、①②のことではないでしょうか?
そして、宗教なき科学、つまり目的を見失った科学では
いけませんよ、といわれている、宗教とは、
③の宇宙的宗教「仏教」でしょう。

「私の世界観」の冒頭で、

「生きる意味は何か?
 それに答えるのが宗教です」

の“宗教”とは、③の宇宙的宗教、目的を定める宗教「仏教」では
ないでしょうか?
とすると、結論としてこうも読めないでしょうか?

「生きる意味は何か?
 それに答えるのが仏教です」

さすがに西洋人のアインシュタインはあからさまには言えなかった
かも知れませんが・・・・・。


 「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があると

 すれば、それは『仏教』です」(Albert Einstien)


 If there is any religion that would cope

  with modern scientific needs,

         it would be Buddhism.

           『Science & the Search for Meaning』 



 
仏教はとても知性的な宗教だとアインシュタインは繰り返し述べて
いるのです。


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