親鸞会講師の筬島です。
村上春樹の1Q84のBOOK3が明日(4月16日)発売されますね。
初版50万部+20万部=70万部 突破だそうで、もう社会現象ですね。
※写真はwikipediaより
以前『村上春樹氏インタビュー 僕にとっての<世界文学>そして<世界>』
という記事があり、村上春樹にとって『人生で出会った最も重要な3冊の本』
について語っていました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
実は、村上さんにとって特別な存在の小説はアメリカ文学以外にもある。
以前から、『ギャツビー』『L・G』とともに
「これまでの人生で出会った最も重要な3冊の本」に、
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を挙げていた。
「僕が個人的に偉大と考える作家を一人だけ選べと言われたら、ドストエフスキー」と断言する。
「『カラマーゾフの兄弟』や『悪霊』が僕にとって意味するのは、
小説としての骨格の大きさ。これはもう別格ですね」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
このブログでも何度かドストエフスキーについては取り上げてましたね。
カラマーゾフの兄弟(祝:亀山翻訳版完成) - 親鸞会-講師が発信する仏教から見た最新ニュース
「もっとも残酷な刑罰は、徹底的に無益で無意味な労働をさせることだ」ドストエフスキー - 親鸞会-講師が発信する仏教から見た最新ニュース
当日、米にいました。9・11 同時多発テロから8年「悪霊」「ハナミズキ」「Make History」 - 親鸞会-講師が発信する仏教から見た最新ニュース
そのドストエフスキーの小説を引用し、『なぜ生きる』という本には
次のように書かれています。
ドストエフスキーはシベリアで強制労働をさせられた体験から、
もっとも残酷な刑罰は、「徹底的に無益で無意味」な労働をさせることだ、
と『死の家の記録』に書いている。
監獄では、受刑者にレンガを焼かせたり、壁を塗らせたり、畑をたがやさせ
たりしていたという。
強制された苦役であっても、その仕事には目的があった。
働けば食糧が生産され、家が建ってゆく。
自分の働く意味を見いだせるから、苦しくとも耐えてゆける。
しかし、こんな刑を科せられたらどうだろう。
大きな土の山を、A地点からB地点へとうつす。
汗だくになってやりとげると、せっかく移動した山を、もとの所へもどせ
と命じられる。
それが終わると、またB地点へ……。
意味も目的もない労働を、くり返し強いられたらどうなるか。
受刑者は、ドストエフスキーが言うように「四、五日もしたら首をくくっ
てしまう」か、気が狂って頭を石に打ちつけて死ぬだろう。
「終わりなき苦しみ」の刑罰である。
だが、人間の一生も、同じようなものだとはいえないだろうか。
「越えなばと 思いし峰に きてみれば なお行く先は 山路なりけり」
病苦、肉親との死別、不慮の事故、家庭や職場での人間関係、隣近所と
のいざこざ、受験地獄、出世競争、突然の解雇、借金の重荷、老後の不安……。
ひとつの苦しみを乗りこえて、ヤレヤレと思う間もなく、別の苦しみが
あらわれる。
賽の河原の石積みで、汗と涙で築いたものがアッという間に崩されてゆく。
「こんなことになるとは」予期せぬ天災人災に、何度おどろき、悲しみ、嘆いたことだろう。
「この坂を越えたなら しあわせが待っている そんなことばを信じて
越えた七坂四十路坂」の歌(歌・都はるみ 作詞・星野哲郎)が流行った
のも、共感をよんだからかもしれない。
「この坂さえ越えたなら、幸せがつかめるのだ」と、必死に目の前の坂を
のぼってみると、そこにはさらなる急坂がそびえている。
そこでまた、よろめきながら立ち上がり、「この坂さえ越えたなら」と
あえぎながらのぼってゆく。
こんなことのくり返しではなかろうか。
そんな人生を聖人は「生死輪転の家に、還来する」と言われているのである。
村上春樹氏も、『回転木馬のデッド・ヒート』という本に
次のように書いています。
「他人の話を聞けば聞くほど、
そしてその話をとおして人々の生をかいま見れば見るほど、
我々はある種の無力感に捉われていくことになる。
おりとはその無力感のことである。
我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。
我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という
運行システムを所有しているが、
そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。
それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。
それは定まった場所を定まった速度で
巡回しているだけのことなのだ。
どこにも行かないし、降りることも乗りかえることもできない。
誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。
しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で
仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートを
くりひろげているように見える」。
※詳しくはこちら
勝利も敗北もない孤独なレース(Tomorrow never knows)回転木馬のデットヒート - 親鸞会-講師が発信する仏教から見た最新ニュース(グーグーパンダ)
村上春樹も同じことを繰り返す人生の懊悩を感じ、ドストエフスキーに共感
しているのでしょうね。
そのドストエフスキーは「人生の目的」の大切さを強く訴えています。
↓ ↓
あまりにも、あまりにも重大な問題「人生の目的」ドストエフスキー(作家の日記)
特集・人生の目的 「なぜ生きるか」問われている時代
□参考□
村上春樹氏インタビュー 僕にとっての<世界文学>そして<世界>
村上春樹の1Q84のBOOK3が明日(4月16日)発売されますね。
初版50万部+20万部=70万部 突破だそうで、もう社会現象ですね。
※写真はwikipediaより
以前『村上春樹氏インタビュー 僕にとっての<世界文学>そして<世界>』
という記事があり、村上春樹にとって『人生で出会った最も重要な3冊の本』
について語っていました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
実は、村上さんにとって特別な存在の小説はアメリカ文学以外にもある。
以前から、『ギャツビー』『L・G』とともに
「これまでの人生で出会った最も重要な3冊の本」に、
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を挙げていた。
「僕が個人的に偉大と考える作家を一人だけ選べと言われたら、ドストエフスキー」と断言する。
「『カラマーゾフの兄弟』や『悪霊』が僕にとって意味するのは、
小説としての骨格の大きさ。これはもう別格ですね」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
このブログでも何度かドストエフスキーについては取り上げてましたね。
カラマーゾフの兄弟(祝:亀山翻訳版完成) - 親鸞会-講師が発信する仏教から見た最新ニュース
「もっとも残酷な刑罰は、徹底的に無益で無意味な労働をさせることだ」ドストエフスキー - 親鸞会-講師が発信する仏教から見た最新ニュース
当日、米にいました。9・11 同時多発テロから8年「悪霊」「ハナミズキ」「Make History」 - 親鸞会-講師が発信する仏教から見た最新ニュース
そのドストエフスキーの小説を引用し、『なぜ生きる』という本には
次のように書かれています。
ドストエフスキーはシベリアで強制労働をさせられた体験から、
もっとも残酷な刑罰は、「徹底的に無益で無意味」な労働をさせることだ、
と『死の家の記録』に書いている。
監獄では、受刑者にレンガを焼かせたり、壁を塗らせたり、畑をたがやさせ
たりしていたという。
強制された苦役であっても、その仕事には目的があった。
働けば食糧が生産され、家が建ってゆく。
自分の働く意味を見いだせるから、苦しくとも耐えてゆける。
しかし、こんな刑を科せられたらどうだろう。
大きな土の山を、A地点からB地点へとうつす。
汗だくになってやりとげると、せっかく移動した山を、もとの所へもどせ
と命じられる。
それが終わると、またB地点へ……。
意味も目的もない労働を、くり返し強いられたらどうなるか。
受刑者は、ドストエフスキーが言うように「四、五日もしたら首をくくっ
てしまう」か、気が狂って頭を石に打ちつけて死ぬだろう。
「終わりなき苦しみ」の刑罰である。
だが、人間の一生も、同じようなものだとはいえないだろうか。
「越えなばと 思いし峰に きてみれば なお行く先は 山路なりけり」
病苦、肉親との死別、不慮の事故、家庭や職場での人間関係、隣近所と
のいざこざ、受験地獄、出世競争、突然の解雇、借金の重荷、老後の不安……。
ひとつの苦しみを乗りこえて、ヤレヤレと思う間もなく、別の苦しみが
あらわれる。
賽の河原の石積みで、汗と涙で築いたものがアッという間に崩されてゆく。
「こんなことになるとは」予期せぬ天災人災に、何度おどろき、悲しみ、嘆いたことだろう。
「この坂を越えたなら しあわせが待っている そんなことばを信じて
越えた七坂四十路坂」の歌(歌・都はるみ 作詞・星野哲郎)が流行った
のも、共感をよんだからかもしれない。
「この坂さえ越えたなら、幸せがつかめるのだ」と、必死に目の前の坂を
のぼってみると、そこにはさらなる急坂がそびえている。
そこでまた、よろめきながら立ち上がり、「この坂さえ越えたなら」と
あえぎながらのぼってゆく。
こんなことのくり返しではなかろうか。
そんな人生を聖人は「生死輪転の家に、還来する」と言われているのである。
村上春樹氏も、『回転木馬のデッド・ヒート』という本に
次のように書いています。
「他人の話を聞けば聞くほど、
そしてその話をとおして人々の生をかいま見れば見るほど、
我々はある種の無力感に捉われていくことになる。
おりとはその無力感のことである。
我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。
我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という
運行システムを所有しているが、
そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。
それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。
それは定まった場所を定まった速度で
巡回しているだけのことなのだ。
どこにも行かないし、降りることも乗りかえることもできない。
誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。
しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で
仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートを
くりひろげているように見える」。
※詳しくはこちら
勝利も敗北もない孤独なレース(Tomorrow never knows)回転木馬のデットヒート - 親鸞会-講師が発信する仏教から見た最新ニュース(グーグーパンダ)
村上春樹も同じことを繰り返す人生の懊悩を感じ、ドストエフスキーに共感
しているのでしょうね。
そのドストエフスキーは「人生の目的」の大切さを強く訴えています。
↓ ↓
あまりにも、あまりにも重大な問題「人生の目的」ドストエフスキー(作家の日記)
特集・人生の目的 「なぜ生きるか」問われている時代
□参考□
村上春樹氏インタビュー 僕にとっての<世界文学>そして<世界>