中華航空機が爆発、炎上しました。
乗客が無事だったのは、不幸中の幸いでしたが、恐ろしい事故ですね。。。
飛行機について、過去に書いた記事からいくつか抜粋してみました☆
記事を読みたい方はコチラ
日航機墜落事故
時: 1985年8月12日 18時56分
所: 群馬県多野郡上野村本谷(御巣鷹の尾根)
犠牲者: 死亡520名
(単独機では20世紀世界最悪)
重傷: 4名(生存)
落合由美さん
川上慶子さん
吉崎さん母娘
「恐恐恐死にたくない」と時刻表に走り書きした 主婦・白井さん
をはじめとして、大変な恐怖と事故の悲惨さに胸がつまります。
以下、生存者の一人・落合由美さんの証言からです。
(もっと詳しく知りたい方はコチラ)
そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。
とても近くでした。このルートを飛ぶときに、
もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。
夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。
左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。
富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。
頭を下げながら機内をちらっと見ると、
たくさん垂れている酸素マスクのチューブの多くが、
ピーンと下にひっぱられているのが見えました。
マスクをつけたまま安全姿勢をとったお客様が大半だったのかもしれません。
安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。
船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。
しかし、上下の振動はありませんでした。前の席のほうで、
いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。
聞こえたのは、それだけです。
そして、すぐに急降下がはじまったのです。
まったくの急降下です。まっさかさまです。
髪の毛が逆立つくらいの感じです。
頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。
ほんとうはそんなふにはなっていないのでしょうが、
そうなっていると感じるほどでした。
怖いです。怖かったです。思いださせないでください、もう。
思いだしたくない恐怖です。
お客様はもう声もでなかった。
私も、これはもう死ぬ、と思った。
まっすぐ落ちていきました。振動はありません。
窓なんか、とても見る余裕はありません。
いつぶつかるかわからない。
安全姿勢をとりつづけるしかけるしかない。
汗をかいたかどうかも思いだせません。
座席下の荷物が飛んだりしたかどうか、わかりません。
体全体がかたく緊張して、きっと目をつむっていたんだと思います。
「パーン」から墜落まで、32分間だったといいます。
でも、長い時間でした。何時間にも感じる長さです。
人生は飛行機に似ていて、途中がどんなによくても
着陸に失敗すれば、全ては無に等しい。
人間は常に、やがてやってくる着陸のことを考え、
悔いのない真に人間らしい生き方をすべきだ。
とは本田宗一郎氏の言葉。
「無にひとしい」の言葉に反感をもたれる方もあるでしょうが、
(もちろん「死ぬまで一生懸命生きることがどうでもよい」と
いっているのではありません。)
例えてみれば、飛行機の中で、美味しい機内食だったか、まずかったか、
隣にキレイな人が座っていたか、それとも嫌いな人が座ったか、
面白い映画をやっていたか、つまんなかったか、
そういうことは墜落を前にしては吹き飛んでしまう。
楽しい修学旅行でも、到着直前に事故にあい、
一人でも死亡者がでたとしたら、それでも
「それまでは楽しかったからいいや」と思えるでしょうか。
「死」という問題は、飛行機の「墜落」に等しい衝撃。
とてつもない「現実」
そして、事故で死ぬのと、それ以外で死ぬのと根本的な違いはあるのでしょうか?
根本的には同じだと思います。
どんな死に方をしても、
皆、「死」というものから命を奪われるのです。
死ぬ瞬間の恐怖だけを問題にする人もありますが、
死は瞬間だけの問題ではないでしょう。そんな単純なものではない。
ところが、「死」を、なにか「その時(死ぬとき)考える」くらいに思っている人も多いかもしれません。
それは、とても危険なことだと思うのです。
逆に「死を見つめて生きる道」は、とても意味深く感じるのです。
●
なぜ生きる
ゴールも知らない ランナーみたいに 走り倒れていく
方位も知らない 飛行機みたいに 落ちてゆくだけ
すべてが ひとときの 夢のように 色あせては
消えてゆく うたかたであるなら 叫ばずにはいられない…
なぜ生きるのですか? なぜ歩くのですか?
答えも知らずに 行方知らずに あなたはどこまで 進むのでしょうか?
なぜ生きるのですか? なぜ歩くのですか?
苦しむためじゃない 倒れるためじゃない 答えは必ず あるはずさ…
清水を知らずに 乾き悶えている 荒野の旅人
泥水と知っても 一時しのぎの 癒し求めて
すべてが 奪い合い 傷つけ合い 騙し合いで
苦しむだけ そんな命なら 叫ばずにはいられない…
なぜ生きるのですか? なぜ歩くのですか?
涙をこらえて 争い続け そんなにしてまで 生きるのでしょうか?
なぜ生きるのですか? なぜ歩くのですか?
苦しむためじゃない 倒れるためじゃない 答えは必ず あるはずさ…
★
いかがだったでしょうか?
もっと詳しく知りたい方は、最初に貼り付けてあるセミの絵か、
ブック・マーク
にある
「生きる意味を探して」から リンク!!
中華航空機が爆発、炎上 乗客乗員は無事(共同通信) - goo ニュース
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脱出用シューターから滑り降り、走って逃げる乗客の背後で、すでに煙
と炎を上げていた事故機が大きな爆発音とともに二つに折れ曲がった。
20日午前、那覇空港に着陸直後に起きた中華航空120便の爆発炎上事故。
台湾・台北から1時間余りの快適なフライトを楽しんでいた機内の雰囲気は、
「煙だ」という乗客の悲鳴で一転、乗客らは先を争って脱出口に向かった。
「間一髪だった」
「パニックになった」。
脱出までの恐怖の数分間を、乗客らは生々しく振り返った。
「煙が出ている」。
右翼近くの窓際の席に座っていた台湾人とみられる女性が中国語で
叫んだのは午前10時32分。
那覇空港の国際線ターミナル前の「41番スポット」に、
事故機が停止した直後だった。
日本時間の同9時23分に台北国際空港を離陸した同機は予定より
10分程度早い同10時27分に那覇空港に着陸。
飛行中や着陸時にも異変を感じさせる前兆はなかった。
【用語解説】ボーイング737
米ボーイング社が開発した短中距離用双発ジェット旅客機。
1968年に運航を開始、これまで5000機以上が製造されており、
最も多く製造された民間航空機としてギネスブックに記録されている。
エンジンは主翼の下に1基ずつ計2基搭載。
基本型の200型や電子装置を大幅に導入した300型、
胴体を延長した400型、飛行性能を向上させた500型、800型などがある。
【用語解説】中華航空
台湾の航空会社で、国際的には「チャイナエアライン」と呼ばれる。
1959年に設立され、本社は台北市。67年に日本への乗り入れを開始し、
2006年7月からは関西空港にも台北便が就航した。
平成6年4月には台北発名古屋行き140便が名古屋空港に墜落炎上し、
乗客乗員271人のうち264人が死亡する事故が発生している。
那覇空港で中華航空機炎上 乗客157人全員無事 乗客8人脱出、1人けが(産経新聞) - goo ニュース
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事故機は定期検査で異常なし=ボーイング機、緊急点検へ-台湾 (時事通信) - goo ニュース
台湾機炎上 脱出直後に爆発 荷物は機内…震える乗客
2007年8月21日(火)03:57
噴き上がるオレンジ色の炎と黒煙を背に、必死で走る乗客たち。その直後に爆発の轟音(ごうおん)が響いた。那覇空港で20日起きた中華航空機の爆発炎上事故。機体中央から静かに上がった煙と炎に気付いた乗客乗員165人は、恐怖と混乱の中、必死に機外へのドアを目指した。出火から爆発までわずか1分半で、文字通り「間一髪」の脱出劇。夏休み中の空の便を襲った異例の事故に、乗客らは恐怖に震えた。
機体前方の左側に座っていた香港在住の会社員、渡部修帆さん(28)は、夏休みで、妻、明日香さん(26)の那覇市にある実家を夫婦で訪ねる途中だった。
シートベルトを外し、手荷物を頭上の棚から出した。後ろで台湾女性が「煙が出ている」と中国語でいうのが聞こえた。
窓の外をのぞくと、右翼付近からうっすら煙が上がっていた。左側の窓からも炎が上がり、機体両側が火に包まれた。
「早く、早く」「危ない」と悲鳴。乗務員が前方と後方に計4つある扉を開け、脱出用シューターが広がった。機内アナウンスはなく、扉の横で乗務員は「外へ飛んで」と必死に叫んだ。
次々と群がるように乗客が滑り降りた。渡部さんと明日香さんは、燃える機体から離れようと息を切らせて走った。
「機体の両脇から火が見えたときは、逃げられなかったらどうなるのか、死ぬ前はこんな感じなのかと思った」と渡部さん。
逃げた状況をほとんど覚えていない明日香さんは「死を感じました」と顔をこわばらせた。
両親と沖縄で落ち合う予定だった松田裕子さん(34)は主翼近くの座席にいた。「シートベルトを外して降りる支度をしていたら煙が見え、炎も出た。機内は騒然となった」と身を震わせた。荷物はすべて機内の中。「(衣服などは)買うしかないですね」と肩を落とした。
機内での乗務員の対応には、批判の声も出た。前から7列目だった台湾在住の崔鄭如さん(65)は「客室乗務員からは『これは車輪の煙です』と説明を受けたのに」と怒りが収まらない。「機長から荷物を持たずに逃げるように指示された」と語り、中華航空から手渡されたという1万円札入りの封筒を開いてみせた。
脱出した乗客は空港ロビーに集められたが、吐き気を催す女性や泣き叫ぶ子供の姿もみられた。
大学生の伊良部絵理さん(21)は炎上機の折り返し便で台北に向かうため待合ロビーにいた。「周囲の外国人はテロと思い、パニックになり外に逃げようとした」
東京都葛飾区青戸の会社員、湯浅勝敏さん(45)は、搭乗ラウンジでビデオカメラを回した。撮影した映像は約4分間。機体中央の下部が激しく燃え上がって黒煙に包まれる中、脱出シューターから次々と乗客が滑り降りる。
映像では、避難する乗客の姿が途絶えて1分足らずで、大きな爆発が発生。コックピットの窓から外側に出た機長が、爆発の瞬間に飛び降りる様子も映し出している。
湯浅さんは「中に人がいたらとても助からなかったと思う」と恐怖を振り返った。