幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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今年のノーベル平和賞は、10月12日に発表(昨年受賞は、グラミン銀行)

2007-08-18 | 因果の道理



 今年のノーベル平和賞は、10月12日に発表されるそうです☆

ノーベル平和賞、10月12日発表(朝日新聞) - goo ニュース

 
 スウェーデンのノーベル財団は17日、
 今年のノーベル賞の発表予定日をホームページで明らかにした。

 医学生理学賞は10月8日
 物理学賞は同9日
 化学賞は同10日
 平和賞は同12日
 経済学賞は同15日
 文学賞は後日、
 スウェーデン・アカデミーが発表する。
 各賞の賞金は1000万クローナ(約1億6500万円)。


さて、昨年のノーベル平和賞受賞者をご存知でしょうか?

昨年は、グラミン銀行

その創設者ムハマド・ユヌス(バングラデシュ) さんが受賞しました。




グラミン銀行とはどんな銀行で、ムハマド・ユヌスさんとは

どんな人か?

以下、お茶の間から世界を変えようという

HPにわかりやすく書かれてありましたので、紹介します☆


元記事はコチラ


返済率98%──。そんな投資、魅力的だと思いませんか?


▼『世界の善意の墓場』で  


一人当たりのGDPが日本の100分の1しかない
インドの東北に位置するバングラディッシュ。  

平均余命は58.1歳、成人識字率男性49.9%、
女性27.4%の世界最貧国のひとつ。  

世界で最も多額の援助の受けているにも関わらず、
毎年その10億ドルが消え、ますます貧しくなっていき、
『世界の善意の墓場』とまでいわれている。  

その一つの大きな原因はこの国が世界一汚職の多いこと。
そして大きなプロジェクトが国民の生活に反映されないことである。



▼教科書通りにいかない経済学  


そんなバングラディッシュにひとつの解決策をもたらし、
希望を与えたのがムハマド・ユヌスさんだ。  


その解決策とは「銀行」。  




バングラディッシュ南部のチッタゴンに生まれ、
チッタゴン大学を卒業後、フルブライト留学生としてアメリカに
わたって経済博士号を取得した。
そして、バングラディッシュ独立2年後の1972年に帰国した。   


「アメリカの大学では博士号をとり大威張りでしたよ。

何でも来いと思っていました。ところが実際にやってみると
教科書通りにはうまくいかないことがわかったんです。
この国の経済状況はどんどん落ち込んでいくばかり。
本当にいらいらしましたね。    

それで村をまわり始めたんです。
村の経済、村人の意見を聞くためです。
村が私の大学になりました。
そこで生きた経済学を学んだんです」  


ある日、ユヌスさんは竹細工の制作と販売で生計を立てていた
女性に出会った。  
高利貸しに材料費を頼っていたため、
彼女の儲けは1日2セントにしかならなかった。



▼プレゼントではなくローン  


ユヌスさんは彼女に、高利貸しに頼らずにやっていくには
いくら必要だとたずねた。
すると6ドルという答えが返ってきた。  
そこでユヌスさんは6ドルを貸すことにした。  

プレゼントではなく、ローンとして。  

そのお金をもとに彼女は自分で「ビジネス」ができるようになり、
利益は1日2セントから1ドル25セントにまで跳ね上がった。  

たった6ドルが彼女の人生を変えた。   

「ほんとに驚きますよ。こんな小さなことで人の生活が
 がらっと変わるんですから。
 それにみんなが自分でやれる力を持っていることにも驚きました」  


ユヌスさんはその後、同様に苦しむ人々に、自分のポケットマネーから
貸し与えたが、そのすべてが返済された。  

そこで今度は、一般の民間銀行に話を持ちかけたが、
「担保がない貧困層に融資はできない」とことごとく断られた。
「身銭を切る覚悟で」保証人にもなった。
そこでもやはり全額が返済された。  

冷淡な民間銀行に失望したユヌスさんは
「自分で弱者のための銀行を作る方が早い」と自信を得て、
83年、グラミン銀行を設立したのだった。



▼銀行を超えた銀行─秘訣は『五人組』


グラミン銀行は貧困層を対象として世界初の
小額無担保融資(マイクロ・クレジット)をはじめた。

一件の融資は平均67ドル(約7500円)。
それすら手に入れることができない貧困者たちなのだ。

「信用貸しこそ基本的人権」が信条のグラミン銀行では、
普通の銀行とすべてが逆さま。

貧乏人だけが借金をする資格を持ち、銀行が借り手をたずねる。


借り手は5人ほどのグループを作る。
グループ内で返済計画について話し合い、他のメンバーの借金
にも責任を持つ。
銀行各支店の担当者は定期的に各グループの住む地域をまわり
集会を開き、そこで借り手は借金返済の計画を説明する。

地域をまわる銀行の担当者はまるで「先生」のよう。
借り手に講義をし、返済のためのノウハウを教え、
貧困から脱出できると希望を与える。

「先生」はかつての借り手で、返済を成し遂げた経験者がなることが多い。


また借り手の9割以上が女性であるというのもグラミン銀行の特長だ。
貧しさの犠牲になるのはまず女性。
働いても働いても飢えに苦しむと悪循環と断ち切ろうとする決意は
男性より女性のほうが強いと、ユヌスさんはいう。


グラミン銀行にはスローガンがあり、集会ではみなそれを合唱する。
文字が読めない人が多いので、自分が常に何をすべきか意識させるためだ。

15条からなるスローガンのひとつには

「他の人の奴隷にならない。自分たちのために働きます」とある。

また7条には、「われわれは子供を教育します」とある。
借り手自らがお金を出し合い公立学校へ入る前の教育をするための
施設を作った。
その数5000校以上。



このようにグラミン銀行はただのお金を貸すだけの銀行ではないのだ。



▼ 「マハトマ・ガンジーのような人」


初めてユヌスさんがお金を貸した女性は、今ではバングラディッシュの
平均年間所得140ドルの3倍を得ている。
そしてトタン屋根の新しい屋根を建てられるようになった。
そして何よりも大きいのは、家族を養えるようになったこと。

しかし彼女は自分が金持ちとは思っていない。

「あの当時が貧しすぎた。今は何とか自分のことは自分で
 できることができるようになっただけです。それが違いです」


1976年、ユヌスさんが個人的にお金を貸したことに始まり、
 今では銀行にまでなった。
 経済学者として高みから見下ろしていたときは、
 人々が貧困にあえいでいたのは、怠け者で一生懸命働かないからだと
 思っていたユヌスさん。

「ところがちがったんです。みんなわずかな金を稼ぐために、
 実によく働くし、すばらしい技術をもっている。
 生活をかえるために必死にがんばっているんです」


今までは国際社会が多額の援助をしてきたのに関わらず、
失敗ばかりが続く現状についてユヌスさんはこう語る。

「人々をおざなりにしすぎたからだと思います。
 プロジェクトとその成果ばかりに考えていたからでしょう。
 人々がどうなっていたかということに目を向けずにね」


毎年グラミン銀行に助成金を出してきたコード基金の
スーザン・デービスさんはこう語る。

「ユヌスさんは汚職とは無縁で自分の価値観通りに
 生きている人です。
 だからこそ、だれよりもこの国に希望を与えることが
 できたのだと思います。
 マハトマ・ガンジーのような人物といったらいいでしょうか。
 それともケネディかマーティン・ルーサー・キングJr.と
 いったところでしょうか。
 なぜなら、彼が実行していることはバングラディッシュという
 国を超えて、世界中の運動に発展してきているからです」



▼「世界の貧困人口を2015年までに半減」


このグラミン銀行がつくりあげたシステムは現在60カ国以上で
採用され、利用世帯数は4000万。
2005年には1億世帯を目指しているという。
現在、借り手の約半数が貧困を脱出したと報告されている。
グラミン銀行の借金返済率は98%にもなる。

皮肉なことだが、このマイクロ・クレジット事業は、
貧しい人を救済するだけでなく、利益が見込める事業だとして、
最近は大口投資家も評価している。

グラミン銀行はまた、女性のみが借りられる携帯電話会社
グラミンフォン社」の設立に協力。
南アジア最大の携帯電話会社、そしてバングラディッシュでは
第二の企業にまで成長している。

ユヌスさんの人生の最終目標は
「世界の貧困人口を2015年までに半減させる」ことだ。

◆References:

--『グラミン銀行』(英語)
http://www.grameen-info.org/

--マイクロ・クレジット・サミット(英語)
http://www.microcreditsummit.org/

--『リザルツ』
http://www.results.jp/
↑マイクロ・クレジットを広める活動をしている日本の団体

--Virtual Library on Microcredit
http://www.gdrc.org/icm/
↑マイクロ・クレジットについての情報が満載(英語)

--『ムハマド・ユヌス自伝―貧困なき世界をめざす銀行家』(早川書房 1998年)

--CBSドキュメントより(いつのかは忘れました)

--バングラデシュ・マイクロファイナンスに関するODA・NGO合同ワークショップ
http://www.shaplaneer.org/tayori/news/odaworkshop.htm
↑国際協力NGOのシャプラニールで、マイクロファイナンスにおける日本のODA・NGOの
役割についてワークショップを行ったときの報告。

--マイクロファイナンスABCプログラム
http://www.amda.or.jp/journal/myanmar/0207-12.html
↑国際医療援助NGOアムダのミャンマーでのマイクロ・クレジット・プロジェクトの紹介です。

 

ムハマド・ユヌス( Muhammad Yunus、1940年6月28日 - )
バングラデシュにあるグラミン銀行総裁。
経済学者。マイクロクレジットの創始者。

英国統治下にあったバングラデシュ南部チッタゴンに生まれる。
チッタゴンカレッジを経て、ダッカ大学を卒業。フルブライト奨学金を
得て渡米し、1969年にヴァンタービルト大学で経済博士号を取得。
1969年から1972年までミドルテネシー州立大学で経済学の助教授をする。
その後、バングラデシュ独立後の1972年に帰国し、
チッタゴン大学経済学部長に就任した。
1976年にグラミン銀行プロジェクトをジョブラ村にて開始し、
1983年に同プロジェクトはバングラデシュ政府の法律により独立銀行となる。
2001年、第12回福岡アジア文化賞 大賞を受賞。

2006年、グラミン銀行と共にノーベル平和賞を受賞。

2007年2月、新党「市民の力」発足予定。


著書
『ムハマド・ユヌス自伝 : 貧困なき世界をめざす銀行家』 
ムハマド・ユヌス、アラン・ジョリ著、猪熊弘子訳、早川書房、
1998年 ISBN 4152081899




太宰治「人間失格」の表紙をDEATH NOTE(デスノート)」の小畑健が書いたらバカ売れ

2007-08-18 | なぜ生きる



こんなニュースがありました☆

太宰「人間失格」、人気漫画家の表紙にしたら売れて売れて(読売新聞) - goo ニュース


 太宰治の代表作「人間失格」の表紙を、
 漫画「DEATH NOTE(デスノート)」で
 知られる人気漫画家、小畑健さんのイラストにした
 集英社文庫の新装版が6月末の発行以来、
 約1か月半で7万5000部、古典的文学作品
 としては異例の売れ行きとなっている。

 「恥の多い生涯を送ってきました」という文章で知られる
 「人間失格」は、太宰が自殺する1948年(昭和23年)に
 発表された自伝的小説。生きることの苦悩を見つめた
 小説には若い世代のファンが多く、52年初版の新潮文庫は

 602万5000部と夏目漱石「こころ」と並ぶ大ベストセラー。
 90年初版の集英社文庫でも40万部を超えている。

 従来の表紙は抽象画だったが、編集部は、「いかにも名作」と
 いう路線からの脱却を目指して小畑さんに表紙絵を依頼。

 新装版は、「デスノート」の主人公を思わせる学生服姿の
 男の子が不敵な顔で座るデザインとなった。


・・・・・・・


 (太宰治)

「人間失格」高校時代に読みましたが、

 読み出したら、最後まで読まずにおれない。
 
 読後感は、言葉にあらわせない。
 
 放心状態に近い、かな?

 こころが辛い時には読まない方がいいですね☆

 しかし、すべての人間のダークサイドを描いた
 
 すごい作品であることは間違いないでしょう。。
 
 以下、抜粋。
   

 こうこは、どうこの細道じゃ?
 こうこは、どうこの細道じゃ?
 哀れな童女の歌声が、幻聴のように、
 かすかに遠くから聞えます。
 不幸。
 この世には、さまざまの不幸な人が、
 いや、不幸な人ばかり、と言っても過言ではないでしょうが、
 
 自分はいったい俗にいう「わがままもの」なのか、
 またはその反対に、気が弱すぎるのか、
 自分でもわけがわからないけれども、
 とにかく罪悪のかたまりらしいので、
 どこまでも自らどんどん不幸になるばかりで、
 防ぎ止める具体策など無いのです。


ああ、このひとも、きっと不幸な人なのだ、
不幸な人は、ひとの不幸にも敏感なものなのだから

死にたい、いっそ、死にたい、
もう取返しがつかないんだ、
どんな事をしても、何をしても、駄目になるだけなんだ、
恥の上塗りをするだけなんだ、
自転車で青葉の滝など、自分には望むべくも無いんだ、
ただけがらわしい罪にあさましい罪が重なり、
苦悩が増大し強烈になるだけなんだ、
死にたい、死ななければならぬ、
生きているのが罪の種なのだ、
などと思いつめても、
やっぱり、アパートと薬屋の間を半狂乱の姿で
往復しているばかりなのでした。

地獄。
 この地獄からのがれるための最後の手段、これが失敗したら、
 あとはもう首をくくるばかりだ、という神の存在を賭けるほどの
 決意を以て、自分は、故郷の父あてに長い手紙を書いて、
 自分の実情一さいを(女の事は、さすがに書けませんでしたが)
 告白する事にしました。
 しかし、結果は一そう悪く、待てど暮せど何の返事も無く、
 自分はその焦燥と不安のために、かえって薬の量を
 ふやしてしまいました。

人間、失格。
 もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
 
 
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た
所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、
真理らしく思われたのは、それだけでした。


 ★全文を読みたい方はコチラ

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