・・・報道などによると、学校の先生の勤務時間はとても長いそうである。
その理由で、最も大きな問題の一つは、子供の教育内容や時間、その指導方法が先生自身で決められない事が多いからであるように、私は思う。
国が決めた基本方針に沿って、自治体によって、教育内容の具体的項目から、時間数、クラブ活動の仕方、行動の仕方など細かく決められていれば、先生は単なる作業労働者で、普通の会社で云う、作業手順と労働時間を決められた工場作業員と全く同じと考えられる、
更に悪いことに、先生の場合は、普通の会社のように、その労働内容を改善や工夫で変えていくことが出来ないところにある。
一般の会社で、効率を上げるために、よく行われていることは、工場などの集団活動の結果を向上するためには、労働内容の難易度によって作業内容を、分けて、労働者の資質によって作業を割り当てることである。
単純労働ほど、作業の手順等の遣り方を細かく決めて、訓練を受けてなくても、どんな人でも実行できるようにする、質の高い労働ほど、管理指標を大きく定め、労働者に任せる範囲を多くすれば、トータルとして、集団が生み出す結果は良くなり、時間などや工数が節約できる。
私が思うに、トータルコストを考えるのなら、先生の労働内容をもっと分析することによって、先生の質によって、また、先生でない、低コスト労働を導入することによって、教育全体として、同じインプットで、質の良い先生は質の高い労働を少ない労働時間で発揮できるのではと思う。
学校の教育と云えども、もっと、優れた、日本の管理手法を取り入れた教育活動で、仕事をするべき様に思うが。
新聞報道によれば、フィンランドは教育水準が高い国ではあるが、担任教員は担当授業に選任すればよいようになっていて、残業はなく、時間中でも、かなりのゆとりを持って仕事にあたっていると新聞に書いてあった。
教育のいろいろな部分が分業になっているらしい。
これからは人材が日本の重要な資源であることはますます、重視される、教育行政に私の言うようなことが必要であることは、フィンランドの例を見ても明らかである。
昔から、日本では、問題解決に向き合った時に、精神論による対策を、合理的思考に基づく対策より優先させ、国民を変な方向に導き、悪い結果は担当者の向上精神の不足の所為にする、指導者が多い、こんな考えはいい加減に、何とかしてほしいものだ。
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