世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

再掲 わが“思想?”遍歴!

2013年02月16日 | Weblog

若かりし頃は、がむしゃらに哲学や思想史を読み漁った。“これ不可解”と明治の藤村 操の心境よろしく、華厳の滝が脳裏に浮かんだ。でも勇気が有るはずがない。単なるゼスチャでしかない事は、当人がとっくに分かっていた。若さの特権で、そう考える風潮が当時にはあったからだ。今にして思えば、時間の無駄ではなかった。最近、時間的に余裕が出てきたので、再読を試みた。やはり今でも「不可解」の一語に尽きる。古今東西の思想家が、先哲や先学が心血を注いで極めようとした人間根源の、人生の、大命題が未だにスッキリと提示できていない。・・・私も僭越ながら、マルクス(資本論<表面をかじる程度だが>・・・)に始まりヘーゲル(ドイツ観念論哲学)、ニーチェ(超人の思想<キリスト教弾圧の急先鋒で奴隷道徳云々・・・>)、ハイデガー(キルケゴールの影響を受け人間存在の現存在を世界内存在として捉えその本質構造を時間制として実在論的に分析・・・後にサルトルに傾斜・・・・)、サルトル(実存主義を唱道。ボーボワールとの繋がりがあった・・・)フーコー、記号論等々を渉猟したが、未だに、というより当然、理解に達していない。凡人の当然の帰結である。孔子の「論語」が近年、脚光を浴びているが、この世知辛い混迷の世相にどうにかして「解」を得ようとする現代人の足掻きである様な気がする。イスラーマ教も仏教も読み漁ったが、当然の事ながら表面をかじることにしか出来ない。でも、大要は掴めたはずである。・・・そういう私なりの「考え方」(思想?)の遍歴を得て最近、考え、思うことは、凡人は凡人なりに、<現在の今>、<この瞬間>を精いっぱい、”生きる”という事に尽きるのではないのか、に辿りついた。過去を思い煩っても、良かろうが悪かろうが過ぎ去った事は取り戻せないし仕方がない事である。しからば未来はどうか?・・・未来をバラ色に描いても、明日の幸せの為に今、頑張っているのだ、と悪戦苦闘しても、「未来」が「明日」が約束され保障されている訳ではない。【今・この瞬間・現在】こそが、最大の”幸福・幸せ”と思うことが<私の結論>である。貴殿はどう思うのでしょうか?!

※蛇足:最近、碩学や研究途上にある若手の学徒が、“今、現在の命題”や、“未解決の問題”等々に 解 や ヒント を与えようとの試みがなされている。即ち、現在(おそらく半永久に<解>は出ないと思うが・・・)未解決の、解を与えられていない問題に、あの哲学者なら、どう解を与えるだろうか、と個々の問題毎に哲学者を登用させて仮想「解」を試みている。一読に値すると私は思っている。