丸2週間たった。
あのグラリ、いやズド~ンと長く長く大きく揺れた3月11日のあの時に、まさか2週間たってもこの状況であるとは思わなかった。
被災地の惨状も日増しに大きく伝わってくるのは、やるせない。
被災地とは比較にもならないが、遠く離れた内陸部の盛岡でも、まだまだ生活物資は満足になく、コンビニは短時間営業で棚の1/4も埋まっていない。
ガソリンスタンドは長蛇の列、これでは被災地の沿岸の親戚・友人に救援物資を届けようと思っている人もあきらめざるを得ないのかもしれない。
だって、いくら並んでも満タンにしてくれる所は少ないのだから。
いいとこ2千円分のガソリンでは、100㎞離れた沿岸までの往復は難しい。
レギュラーガソリンは1ℓ150円を越え、まだ上昇気配だ。
それでも、週半ばあたりから夜の大通にも少しずつ客足が帰って来たような気がする。
昨夜も地震の業務で忙しいだろう建設業の方々や、被災地の状況をたえず報道してくれている放送局の方々がつかぬまの息抜きにと遅くまでいらっしゃった。
被災地の状況を見ると、皆、せつないのだが、だからといっていつまでも萎縮した生活を続けても元気は戻って来ないと思う。
言葉尻をらえて不謹慎とかなんだとか言われる方もいらっしゃるかとは思うが、さてどうなのだろうか。
私たちは私たちなりに置かれた環境を考え、生きていく、その力が復興につながると思う。
さて、昨夜も大通店宿直。
先週は5日連続、今週は3日目である。
夜になって、どうも「いかん」と感じ始めた。
確かにこれまでも週末以外は家族と離れてひとり住まいだし、店は電気もガスも水道も食料も飲み物もあり繁華街の真中でそう不自由は無い。
・・だが、「いかん」のだ、心が少し不自由になっている。
丈夫な精神が少し揺らいできている。
どうせあえば口喧嘩ばっかりなのだが、やはりあの恐ろしげにコタツのテーブル一杯並べられた料理にむさぼりつく「エンゲル係数限界値一家」の夕餉が恋しい。
もう少し我慢するか。
ただ通院するガソリンもなく薬が半分切れているのはどうしたものか。
まあ重篤な病気は無いから少しの間はいいと思うのだが。
不自由な精神を誤魔化すために少し呑みすぎた翌朝、店に閉じこもりでは「いやになっちゃう」から今朝も気晴らしに散歩兼朝飯。
昨日に引き続き桜山の「リーベ」でゆったり1時間のモーニング。
今日は紅茶。
ミルクたっぷり入れて。
独身時代の休日、仙台上杉の喫茶店で午前中をゆったり過ごすのがプチお宝の時間だったことを思い出す。
サンドイッチとコーヒー2杯の幸せってなもんがそこにはあった。
その幸せは、なんだ、今でも味わえるんだと気がついたけど、平時に戻ればまた忘れちゃうだろうとも思う。
あの時は20代半ば。
30代の休日の朝はまだ小さい娘や息子がお相手してくれる喜びとか幸せがあり、五十過ぎて今は書斎の青いソファーに寝そべりJAZZを軽く流しながら新聞読んだり雑誌や本をパラパラめくるのが幸せというか慎ましい安堵感というか、そういうふうに感じる。
昨日読んだ、瀬戸内寂聴さんの言葉、
「無常」とは、同じ状態はつづかないこと。
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そんな15日目の、朝。
じゃ、