ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

エンドーチェーン

2011-03-31 14:10:10 | 第1紀 生きる
中ノ橋に盛岡店のある中三が民事再生法を申請したニュースをきき驚く。
1981年に川徳デパートの移転に伴って跡地に開店したのだと記憶する。
盛岡の巣鴨というか、カワトクとは違い庶民的な感じで、地下の食品売場はまさしく付近やバスターミナルを利用する中高年で賑わっていたように思う。

その中三のある交差点の角、光商事さんのビルだったかに三十数年前、エンドーチェーンが開店した。
当時は仙台のエンドーチェーン、福島のヨークベニマル、山形のヤマザワ、青森の亀屋が東北ローカルチェーンの大手で、次々と店舗を拡大していた。
食品メーカーに入社し、スーパーまわりの営業として仙台から出張で岩手県を担当していたワタシは、盛岡市内のこのエンドー盛岡店(だったかな?)、ダイエー盛岡店、ニチイ盛岡店、シティー青山店を特に重点的に巡回していた。
まあ、重点的というか、店の担当者に可愛がられていたのでよく顔を出していたというのが本音で、特にこのエンドーチェーンでは夕方の混み合う時にサッカー(レジの袋詰め)を手伝ったりしていた。
袋詰めといってもこれは新人営業マンにはものすごく勉強になって、ああこの人はこういう家族構成で今夜はアレとコレでナニをつくるのかななどと想像しながら、「消費者購買実態調査」をするのでありました。

あれから三十数年、この当時のワタシにとっての重点巡回店舗、そして盛岡の四大メガスーパーは全て消えてしまいました。
規模を唄うものは、さらに大きな規模のものの前に消え去るしかないのです。

でも、当時のこの4店の売場担当者達は時代の流通の最先端を担うという意識が高く、誇らしげに仕事をしていたのを想い出します。
今の時代とは違い、四六時中、休みもなく売場やバックヤードを闊歩し、商談・発注・陳列・パートさんへの指示をてきぱきこなしていました。
ぺーぺーの新人営業マンは、まさしく彼らに売場の科学を教わったのです。

そんなこと、あんなことを想い出す昨日のニュースでした。

21日目。
昨夜は盛岡の夜も少し賑わいを取り戻したかのように、久しぶりに夜遅くまで人出が多く感じました。
今日、3月31日が人生の一区切りになられる方も多いでしょう。
送る方も送られる方も、少し「をかしら屋」で一服していきませんか。
お待ちしております。

じゃ

(朝方の徘徊中年より)