今日のわたしが思ったこと。
ああ、おれは,今は人間をしているんだなあ。そして長く長く人間をしているんだなあ。(でももうすぐそれも終わるんだなあ。こうしていていいのかなあ)そうも思った。
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人身 受け難し、今 已に受く。
仏法 聞き難し、今 已に聞く。
この身 今生に向かって度せずんば、
さらにいずれの生に向かってか、この身を度せん。
(仏教経典より)
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(どんなになりたいなりたいと切望しても)人間になることは難しいのに、わたしはいまもう人間になっている。
(人間になって)(どんなに長くどんなに強く聞きたいと願っても)(わたしを幸せに導く)仏法を聞くことは難しかったのに、わたしは此処でとうとう仏法を聞いている。人間に生まれた幸せを思っている。それを有り難いと思って感謝している。
(危ういところであった)(チャンスを逃してしまうところだった)今此処で幸せになっておかねば、この先長く長く空しく過ごしてしまうところであった。
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仏法はわたしの人間を幸せにする教えである。人間に生まれ人間を生きたことを、深く感謝させる教えである。
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「度する」は「済度すること」「救済すること」。無明のわたしを此岸から悟りの彼岸に渡すこと。現在に感謝できること。現在を幸せにして生きていること。
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「今生」は、生きているいま。現世。
「いずれの生に向かってか」:空しく生きてしまうと何度も現世を繰り返すことになる。後戻りをすることになってしまう。
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わたしたちは永遠を生きている存在である。学びも永遠である。進歩も向上も永遠である。学ぶべき学びも、なすべき活動も、永遠である。わたしたちは、未来へ未来へ、先へ先へ行って、進歩を進めていいのである。
(でも、ゆっくりでもいい。慌てなくてもいい。旅を、右往左往しながら、行きつ戻りつしながら、楽しんでいい)
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夕方になっても庭先にヘチマの花が咲いている。黄色い小さな花だ。いまはそれを眺めている。キレイだ。