吾は唯(ただ)足るを知るなり。手水鉢にそう彫られている。中央の口の部分に水が溜めてある。上に「吾」、右横に「唯」、下に「足」、左横に「知」の字を配置してある。みな「口」の為せるところである、らしい。
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「口」はいろんなことをするところだ。吾にもなる。ひたすらに集中して「唯」にもなる。「口」なのに、「足りる」「知る」の精神作用もする。役者である。なんでもこなす。
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不満足にも長所短所があるが、満足にも同じく長所短所がある。早々と満足してしまえば、進歩向上は遠退いてしまう。不満足を知れば、そこで同じく不満足を抱えて暮らしている他者への、思い遣りが湧くだろう。
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満足は安上がりだ。小欲知足。欲望の段階を低くして、そこで早々と出来上がってしまう。小欲すれば、誰でも知足するか、というとそうもいかないところがあるだろう。では、知足すれば、小欲ですませるか。
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無欲という大欲もある。無欲になりたいというのが大欲だからだ。天から十分に、過不足なく、与えられているという認識に立てば、こちらからの欲求を強大にする必要はなくなってしまう。充足が来る。充足できている事実を受け入れて、それを讃美称賛することが出来る。讃美称賛の領域を設置しておくと、顔が曇らないですむかもしれない。
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