散華。サンゲともサンカとも。花を散らして仏を供養すること。神々が天の上から仏の歩く道に、天上に咲いている花を散らされた故事が、法華経経典に見える。
(天上にはどんな花々が咲いているのであろう?)
わたしも尊い人をこれでお出迎えしたい。いまは秋。地上にはコスモスが咲いている。山茶花が咲き出した。菊もいまが盛りだ。もうすぐ庭先に黄金の石蕗が咲く。
畦道にはミゾソバ、野菊。山道には、ツリフネソウ、黄ツリフネソウ、アキノキリンソウなども咲いている。
散華。サンゲともサンカとも。花を散らして仏を供養すること。神々が天の上から仏の歩く道に、天上に咲いている花を散らされた故事が、法華経経典に見える。
(天上にはどんな花々が咲いているのであろう?)
わたしも尊い人をこれでお出迎えしたい。いまは秋。地上にはコスモスが咲いている。山茶花が咲き出した。菊もいまが盛りだ。もうすぐ庭先に黄金の石蕗が咲く。
畦道にはミゾソバ、野菊。山道には、ツリフネソウ、黄ツリフネソウ、アキノキリンソウなども咲いている。
今日、佐賀駅前の東横インに行って来ました。会員登録をしました。登録手続きに1500円が必要でしたが、利用一泊目が無料になるそうです。
12月4日から友人と山陰地方に旅をする計画を立てています。みな、友人があれこれと必要な手続きをしてくれています。そのときに、東横インに2泊、泊まることになっています。4泊5日の旅です。車はわたしの車を使います。帰りは神戸港から夕方フェリーに乗ります。新門司港に午前7時に着きます。
老人二人の弥次喜多道中になりそうです。老い先が短いから、長距離ドライブの旅は、これで最後になるかもしれません。
日中友好協会神埼支部主催の日中友好文化交流会が12月3日に中央公民館講堂で開催されます。友人がそのお世話役をしています。楽しいイベントが組んであります。吉野ヶ里町バンブー・オーケストラ(竹を楽器にして演奏)の演奏もあります。販売会もあります。
で、我が家のミヤコワスレの花苗も、売りに出すことにしました。3年前にも出店しました。此の時には完売しました。買いやすいように安い値段をつけていました。たくさん売れてしまいました。
今回も1ポット50円くらいにしようと思っています。30ポット売れたら1500円の収入になります。60ポット売れたら、有機培養土の原料分が取り戻せます。えへへです。90ポット全部売れたら、1500円の儲けになります。
煙草銭が稼げます。煙草は飲まないので、焼酎一升瓶が買えます。
銭勘定をしただけで終わってしまうかもしれません。まったく売れないかもしれません。株分け作業、ポット植え替え作業に3日~4日を費やしました。好きだからやれることです。
*
ミヤコワスレの花を愛する人が増えてくれたら、それで万歳です。ですよね。
遠くからはるばるお出で下さるのですから、11月13日、14日、両日と皆様皆様ごゆっくりなさって下さい。両日とも、わたしは何もすることがありません。(申し訳ありません。あいにく家内は、はずせない用事があって両日とも外出しています。他には誰も居ません。)
今日、玉屋に行って、両日のお茶請けにする長崎名物福佐屋カステラと佐賀名産の銅鑼焼きを買って来ました。ふるさと九州をご賞味下さいませ。嬉野茶をお入れします。佐賀みかんを用意します。(他には用意がありません)
恩師のご長男様やご令嬢様、お従姉妹お二人様との楽しい思い出を、たっぷりたっぷり作っておきたいと願っています。老い先は短いのです。親しく出来る好機が、やっと今になって到来しているのです。
禅宗のお寺の住職をされていたころのエピソードや、奈良に移られた後の、先生の晩年のお暮らしのことなどもお聞きしたいと思います。スマホで先生のお写真ももう何枚か見せて下さい。
若し叶うなら、14日に、佐賀市のJA佐賀牛焼く肉店季楽(きら)へ行って、ごいしょに夕食をしてお酒を飲めたらいいなあと、考えました。此処はゆっくりできます。一人4000円くらいでたっぷり食べられます。(早めに予約をしていないとダメらしいですが)
みなさんにゆっくりしていただきたいので、このブログを書いています。わたしの願がみなさんに届きますように!
11月10日、金曜日。午前11時。渡り鳥が来て鳴いています。ヒッヒッヒと聞こえます。鳥の名前は知りません。洗濯物干しの干し竿に、雨の雫が、やんちゃ坊やをして列んでいます。祇園山の上空は霧が出てけぶっています。
今日、KY子さんよりクリスマス・ローズの花苗を頂きました。降る雨の中で庭に出て用意して下さったのでしょう。有り難うございました。ブログに書いたのを、読んで下さったからに違いありません。雨が上がったら、まずは鉢植えにしてみます。
枯れ葉。枯れて、母木を離れて、土に落ちて、朽ちる。朽ちてやがて土に帰る。そうなる前に、舞う。舞姿を見せる。赤く紅葉してきらびやかになって、風を得て、美しい舞を舞う。
人も土に帰る。帰るときが来る。物質のわたしは土に帰ってやすらぐことになる。非物質の、もう片方の、わたしは、しかし、天空を昇って、ひたすらに昇って、天空で舞を舞う。
舞を舞って天空に帰る。両者にはやすらぎがある。土と天空の間の間隙に、しばらく両者結合の姿を獲って、わたしがある。
秋が来て、日射しの明るい庭に、枯れ木が舞っている。
疼くの「疼」は、「病ダレに冬」。冬が病んでいる。雪の下の冬が、雪の重みに苦しんで、呻いている。
傷口が疼くとズキズキする。チクチクする。恋心が雪の下で発芽を待っているときにも疼いてゾクゾクする。
人には性の欲が潜んでいる。これも雪に下に埋もれている。見えてはならないようにしてあるが、野ネズミのように暗い穴から顔を出したがって、やっぱり疼く。ヒリヒリ疼く。あの人を思う。思うとそれが癒されておだやかになる。
人間の呻き。人間の疼き。冬の病。これからがその冬になる。老いた者の冬は過酷だ。
大降りではない。小降りである。
シトトシトトシトトの雨の雫が打ち鳴らす小さな太鼓が、100も1000もある。幼い白菜の葉っぱ太鼓だ。
祭をしてる。
今日は雨ですねえ、待望の。
植えたばかりの玉葱苗が、待ち望んでいたであろう、どんなにか。
声が聞こえて来そう、畑から。
声にもならずに、ウヒヒウヒヒ、リヒリヒ、ヘレヘラ、と。
*
お爺さんも水遣り作業が休める。
この開放感をどう処理すればいいか。しばらく思案して快感する。
映画でも見に行こうか、映画館に。あの人に逢いに行こうか。うん、それがベストだ。条件さえ整うなら。
NHK朝の連続テレビで「ぶぎうぎ」が放送されている。リズムで体の奥の奥の神殿が揺れ出してくる。踊りたくなる。でも、わたしは踊れない。踊れないのに、踊りたい。踊れないから、なおさら踊ってみたくなる。踊りは忘憂忘悲。独楽回り。
でも、わたしにはリズムがない。リズム感がない。フォークダンスのオクラホマだって、逃げ回った。足と手がバラバラになってしまうのだ。おんなの子にそれを見られてしまうと思うと、踊れなかった。とうとう踊らなかった。
いまは片足麻痺だからなおさら踊れないが、踊る人を見ていると踊りたくなる。踊っている人の狂気に感染する。銀杏の落ち葉のように、狂ってしまいたくなる。
ブギウギを、今朝は大声で、銅鑼声で、変拍子で、何度も歌った。腰がわずかだが、ブランコをした。