<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしのわたし流の俳句鑑賞、「妻に会うために」。

2023年11月21日 20時17分51秒 | Weblog

わたしの俳句理解は間違った俳句理解のようです。どうもそんな気がします。

それでも俳句をひもといています。わたしなりの解釈を施して、それで俳句理解をした気分になっています。これは気分理解という間違った理解法です。

いんですよね、それでわたしが俳句をよしとしてうけいれているのならば。案外、人それぞれに自由裁量が広くゆるされているのも俳句の魅力なのかもしれません。

妻に会うためのまなぶた日向ぼこ

伊藤伊那男

「まなぶた」は「目蓋」「目の蓋をする部分」「瞼」だろう。目が開いているときには目蓋は隠れて見えていない。ということは? 作者はいま目を閉じているところだ。ものを思っているところだ。行動に出る前の段階だ。作者はこれから妻に会う。妻だからすぐにも会えそうだが、心構えをしておかないと会えない妻になっているらしい。妻は重い病に伏しているのだ、きっと。病室に入っていく前に、彼は日射しの足る日溜まりに来て、閉じている目蓋を温める必要があったのだ。日溜まりの綿の匂いを薫らせつつ、彼は妻の前に進み出た。妻の目蓋も閉じていた。

伊藤伊那男は東京神保町に「銀漢亭」という飲み屋を営んでいた。妻に先立たれた句がある。

かの日より香水減らず妻の部屋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしたちはまわりのエネルギーと共存して暮らしています。

2023年11月21日 19時47分35秒 | Weblog

音楽はご馳走である。(YouTubeでいま美しい音楽が流れています)

口で食べるものもご馳走だが、耳が食べるものも、ご馳走である。

これでエネルギー摂取が出来る仕組みになっています。

眼で食べるものもご馳走です。栄養豊富です。

鼻で食べるものもおいしいご馳走です。おいしいと思えばおいしいものになります。そういう仕組みになっています。

皮膚で触っても栄養摂取が出来ます。それが活動の源泉になります。エネルギーはこの世界に満ち満ちています。

思い、thinkingもまた、エネルギー生成器官、パワー消化器官になっています。ご馳走が脳の中、心の中で調理されています。

そのどれもが、「生きろ生きろ」「楽しく生きろ」「輝いて生きろ」の大合唱、大声援をしています。

一人でなんかじゃないのですね。たくさんのパワーと、わたしたちは共存して暮らしています。それを思うと、今日を暗い顔なんかしていられないなと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕食は小鰯の煮魚でした。

2023年11月21日 19時39分38秒 | Weblog

熱が続いたからでしょうか、口の中が爛(ただ)れています。固いものがまったく噛めません。噛まずに飲み込もうとするけど、やはり無理があります。

今日の夕食は小イワシを煮てもらいました。ふんわりしていました。これなら食べられました。ご飯はお茶碗の4分の1くらいを食べました。

明朝はまたお粥を作って貰えるようになりました。梅干しを入れて啜ります。これならお茶碗一杯は大丈夫でしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしは、以前のわたしよりも、豊かにされています。

2023年11月21日 19時08分39秒 | Weblog

わたしはまもなく此処を後にします。地球を後にします。

わたしを此処に導いてくれたエネルギーがあったので、わたしは此処地球に生まれました。その同じ種類のエネルギーが、次へ、次の地点にわたしを導こうとしています。

今度は何処へわたしは導かれて行くのでしょう? 

乗っていくのは輸送船? それともジェット?

急ぎの旅ではないので、時間が掛かっても差し支えはありません。途中の旅も楽しいはずですから。

でも、わたしの推測では、死後のわたしは物体物質を離れていますから、物質輸送にはならないと思っています。

それは瞬間移動だろうと思っています。

わたしは地球に導かれてきて、美しい空を見ました。美しい山を見ました。美しい海を見ました。美しいもものを見たことで、わたしのこころは以前よりも豊かになっています。なっているはずです。78年間も見て来たのですから。

それから美しい人を見ました。カタチを超えているこころの、美しい人も見ました。それからその人たちといっしょに楽しく過ごしている美しい神々をも見ました。

此処を去って行くわたしは、だから、不足はないのです。わたしに不足があってはならないのです。わたしはたくさんのエネルギーたちの好意によって豊かにされているのです。豊かにされているわたしが恨みを抱いたり恐れを抱いたりするのは、妥当ではないのです。

わたしたちの豊かさは終わりません。豊かさは次へ導かれて行きます。わたしたちは地球に住んでいた頃よりも、その頃よりも、もっと豊かになっていくでしょう。今日はそれを考えて、わたしはひとりでにこにこしています。

でもこれは、此処に書いてきたことは、わたしの都合の良い推測に過ぎません。わたしはわたしの都合の良いようにしか物事を考えていません。

地球にいたこと、あなたといっしょに此処で過ごせたこと、わたしを此処へ導いて来た大いなるエネルギーの善意を、無駄だったと結論したくないからです。一歩でも二歩でも三歩でも進んで、肯定したいのです。肯定の評価をしたいからです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お昼を抜いても良いのですが、

2023年11月21日 12時47分37秒 | Weblog

榮太郎の東京紅茶飴を嘗めています。これは近くの玉屋支店で買ってきました。紅茶の香りがほのかにします。喉がすっきりします。一粒をほぼ30分間嘗めて、楽しめます。安上がりですよね。

もうすぐ1時です。蜂蜜を塗ったトーストを焼いてもらっています。お腹は空いていません。お昼を抜いても良いのですが、抜くと、インフルエンザ治療薬が飲めません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

即時に、そのままで、無条件で、おのずからにして。

2023年11月21日 12時08分52秒 | Weblog

憶念弥陀仏本願 おくねんみだぶつほんがん

自然即時入必定 じねんそくじにゅうひつじょう

浄土真宗経典 正信偈より

阿弥陀仏の本願を憶念すれば、おのずからしかあらしめられて(阿弥陀仏の利益他力を受け取って)、即時に必定(の安定した位に)入ることになるのだ。

必定:必ず定まっている人。仏国土往生してそこで必ず仏の悟りを得て仏の悟りを開くと決定していること。あるいは決定している人。

自然;「じねん」と読む。こちらの力を用いることなしに。おのずからに仏のおはかい、お慈悲をかたじけなくして。

浄土真宗は他力を受け取れる宗教である。受け取ったからそれをご恩に感じて恩を返せという義務もない。始めから終わりまで無償である。礼金なし。謝金なし。此は清々しい。

お日様の日射しといっしょである。

浄土真宗は無力者の宗教である。ああ、よかったと思う。力ある者、智慧有る者でなくとも、ただただ一方的に阿弥陀仏のお慈悲を頂ける宗教である。

「即時」:「そのままで」「時を経ずに」「条件なしで」「すすっと扉が開いて」

安心していていいのである。必ず、阿弥陀仏の仏国土に生まれてそこで仏の智慧を授かって涅槃を得て、成仏が果たされて行くのである。悪事悪行のわたしもここに洩れずにいられるのである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おにぎりは、病人にも食べやすい。

2023年11月21日 11時52分13秒 | Weblog

朝ご飯は、おにぎりを握ってもらってた。2個。

1個は梅干し入り。1個は塩昆布入り。

食欲が落ちているから食指が動かないでいる病人には、これがグーだった。

幼い大根を使った味噌汁を飲み飲み、おにぎり2個を食べ終わった。

これでようやく、風邪薬が飲めるようになった。ご飯を食べないと薬が飲めないので、義務のようにして朝ご飯を口に入れた。

病人おにぎりは、やさしい奥様のかしこい工夫。これで次へ進める。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

場面Aの次に、場面Bが現れて来る。

2023年11月21日 11時39分18秒 | Weblog

場面Aの次に場面Bが来ている。

場面Bを引き出すための役目をしているのが場面Aである。

場面Aは、場面Bを開くためのドアの役目をしている。

いきなり場面Bにはならない。

場面Aは好まない、そんな中継ぎはいらないから、まっすぐ場面Bにしてくれとねだるが、そうはならない。

やはり場面Bは、場面Aの後に現れる仕組みになっている。

場面Aと場面Bはセットになっている。お互いがお互いを必要としている。協力し合いいているようにも見える。

だから、どちらか一方で終わるということにはなっていない。

そして、次の風景、またその次の風景を見せてくれる。

AとBが協力し合って、次なる新しい展開を広げて行ってくれている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふっと会いたくなる。

2023年11月21日 11時29分50秒 | Weblog

おっとうとおっかあに会いたい。

おれをこの世に生んでくれたおっとうとおっかあに会いたい。

会いたくなるときがひょいと来る。

ふっと会いたくなる。

と、おっとうの顔が浮かんで来る。おっとうは笑っている。

おっかあの顔を浮かんで来る。おっかあは笑っている。

二人とも死んでずいぶん経っているが、生き生きと生きているようにも見える。

会ってどうするんだ?

ただ、おっとうと言いたい。おっかあのところに来て、おっかあと言いたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プラスになることばかりでなくてはならない、ということでもない。

2023年11月21日 11時18分04秒 | Weblog

プラスになることばかりでなくてはならない、ということでもない。

マイナスになることも引き受けていい。いいはずだ。引き受けられる力があるならば。あるいはその力をつけようとして。

プラスと見せてマイナスということもある。その反対に、マイナスと見せておいて実はプラスということもある。

長い目で見ると、プラスとマイナスが、互いを軸にして反転反転を繰り返して、先へその先へ進んでいるようにも見える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする