カリフラワーの種を1袋分、やや大きめのプランターに種蒔きしました。うわわわわと発芽しました。大量です。いま3~4cmほどに育っています。
我が家の分はすでに移植しました。残りを捨ててしまいたくありません。みんな生まれて来たお命さまです。「わたしも生きたい育ちたいお役に立ちたい」とアピールしてきます。目が合わせられません。
育てて下さる方があればよろこんで差し上げます。もちろん無料です。種屋さんにお願い。袋に入っている種の量をもっと少なくして下さい。もちろん値段も下げて下さい。
カリフラワーの種を1袋分、やや大きめのプランターに種蒔きしました。うわわわわと発芽しました。大量です。いま3~4cmほどに育っています。
我が家の分はすでに移植しました。残りを捨ててしまいたくありません。みんな生まれて来たお命さまです。「わたしも生きたい育ちたいお役に立ちたい」とアピールしてきます。目が合わせられません。
育てて下さる方があればよろこんで差し上げます。もちろん無料です。種屋さんにお願い。袋に入っている種の量をもっと少なくして下さい。もちろん値段も下げて下さい。
鯛の頭だけを買ってきました。350円でした。でっかい頭です。右半分と左半分の一尾分です。アラの煮付けをしてもらいました。これで今晩はお酒が飲めます。安上がりです。
腐っても鯛、です。腐っていないので、おいしいです。ときおり、煮らずに、鯛汁にしてもらいます。おいしいスープが出来上がります。これでまたお酒が飲めます。お爺さんは簡単に上機嫌になります。
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わたしは血糖値が高いので、糖分の多い日本酒よりは、糖分が少ない焼酎の方が、健康長寿にいいのですが、秋冬は、ぬるめの燗を付けた日本酒が断然おいしいです。長生きする方がいいに決まっていますが、日本酒断酒は抵抗があります。ありすぎます。
秋が深まりました。
我が家の柚子の木が今年は実をたくさんつけました。
黄色く色づきました。自然は豊かです。眺めているだけでも、幸せになります。
早速、収穫して、柚子酢にしました。香りがおいしいです。
感心します。草がよく生えます。草には勢いがあります。畑も庭も、あっというまに、草に占領されてしまいます。ほっておくとたちまち藪になります。
で、ちょこちょこちょこと草取りをします。朝30分、昼30分、夕方30分のどちらかの30分間、草取りをします。
これは仕事ではありません。命令されてするのではありません。したいときにします。したい気持ちになれば、します。疲れたらすぐに止めます。
これをしていると、気分がよくなります。気分がよくなると元気になれます。フシギです。わたしの娯楽です、娯楽と言っても差し支えないほどです。お金を払わずに楽しめます。草を抜いた庭、草を抜いた後の畑は、清潔感溢れて、爽快です。
午後から草取りをしました。客人が来られるまでしました。
昨日の夕食はしゃぶしゃぶ鍋料理だった。
我が家のサニーレタスを摘んで来て、これもしゃぶしゃぶした。
初物だった。よく馴染んだ。
サニーレタスはたちまち鍋料理のスターになった。
今日はお昼から神埼市中央公民館に行きます。13時半から、「佐賀にわか」が演じられるからです。昨年も聞きに行きました。脚本を弟のお嫁さんが担当しています。
ピリピリするものは、「気」と呼ばれています。
天気も電気も磁気も「気」です。空気も元気も陽気も、「気」です。
気持ちも「気」です。気力も「気」です。みな気体をしています。
ピリピリビリビリします。空間を伝わって来ます。
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気は宇宙中を飛び交っている+のエネルギーです。正のエネルギーです。万物を活動させようというエネルギー体です。パワフルです。無尽蔵にあります。無料です。無償です。誰でもこれを自由自在に受け取ることが出来ます。
わたしに入ってくれば、わたしは元気になります。入って来る場所はチャクラと呼ばれています。
わたしが出すこともできます。宇宙の気をわたしに貯めておくことができます。それを細胞分裂のようにたくさんに増殖することも出来ます。わたしが元気を満たすと、わたしからわたし以外へ伝えて行くことも出来ます。
人様からそれをもらって来た日は元気が体中にあふれています。
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宇宙はわたしたちを生かすために存在しています。あらゆる手段を講じてわたしたちを元気にしようとしています。わたしたちが元気になれば、それだけ宇宙が元気になれます。わたしたちが活発になれば、それだけまた宇宙が活発になります。
わたしに囁きかける{Xのササヤキ}を聞くことがあります。思い込み、思い違いの類いかもしれません。
Xは、姿を現しません。見えません。触(さわ)れません。実感が持てませんが、それらしいほんわかした雰囲気を感じます。
わたしはそのほんわかX氏に親しみを感じます。わたしのところへ来てわたしに囁くササヤキには、独特な愛が籠もっています。パワーが伝わって来ます。あくまでもエモーショナルなんですが。
そこで詩が生まれることがあります。詩が生まれた後に、読み返してみて、あ、これはX氏の力添えによるものだなと思ったりします。
X氏は、このわたしによい感情を持っています。わたしを溺愛しています。そんなふうに受け止めてみて、こそばゆくなって、ついにはニヤリとします。わたしによい感情を持ってもらえるなんて、めったにめったにあることではないからです。
薄紫のクコの花が咲いていました。古風な、慎みのある、キレイな花でした。今日はもう散っていました。
これは植えたのではありません、小鳥が運んで来たものですが、ひょっとしたら、もしかしたら、わたしと縁(えにし)を結びたいからかもしれません。
切断してもまたすぐに再生してきます。クコには枝に棘が生えています。油断するとトゲが刺さります。
実が鈴なりになります。漢方薬になります。摘んで口に入れたら、苦い味がします。
道路から見えるところにあります。たまに通行中の方が立ち止まって眺めておられます。
知らぬ間に、増えます。たくましいです。
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「袖触れ合うも多生の縁」という諺は意味深長です。「多生」は「多くの過去世」。幾つもの、幾つもの過去の生涯に、思いを持って、抱き続けて、それが叶って、現世でご縁が生まれます。出会いになります。
枸杞(くこ)の実も、人間も、ご縁に惹かれて近付きます。しかし、多生の間にずっと抱き続けてきたはずの思いを、失念してしまうことがあります。
寂しき日あれば読みたりいくたびも斎藤茂吉の万葉秀歌を
薬王華蔵
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今日のS新聞読者文芸欄短歌部門にやっとやっとやっとわたしのこの作品が入選していました。貞包選で。
嬉しくて外に飛び出ました。スキップをしたかったのですが、わたしの左足は麻痺の足、樫の木の棒になっています。スキップは出来ませんでしたが、こころはらんらんらんしました。弾みました。
「万葉秀歌」は、万葉集の名歌秀歌を、斎藤茂吉が選んで鑑賞した本です。上下二冊になっていますす。寂しくなったらわたしは此処へ来ています。寂しさが癒えるまで、豊かな万葉人の情湖の底に、ごろんと沈没して遊びます。