<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

これは初めての体験だった うふふだ

2018年05月14日 10時15分14秒 | Weblog

これは初めての経験だった。

昨日畑の蕗を摘んだ。指先で筋を剥いた。それからポキンポキンと短く折った。笊いっぱいになった。指が蕗の灰汁で黒く染まった。熱湯で茹でてもらった。

今朝の朝食の、味噌汁の具になっていた。これがおしかった。歯触りもよかった。若布といっしょで、なおさらおいしかった。味噌汁にして蕗を食べてのは初体験だった。案外、味噌とは相性がいいということを知った。

こういう食べ方があったんだ。これは先日通りかかった集落の若い人に蕗を一抱え差し上げたときに、教えてもらった。その若い方のお母さんがそういう料理法をしておられたらしい。いまはおられないので、ひどく懐かしい気持ちが起こってきたと話された。

その若い方の真似をしてみた。その方もきっとそうされただろう。お母さんを懐かしまれただろう。蕗は我が家の土を好んでいるらしくてよく育つ。他所さまに地下の地下系ごと掘って差し上げたこともあったが、そこでは寝付かなかったらしい。

蕗は葉っぱの傘を差している。大きな一枚の傘だ。この傘の下にはアイヌの神さまが立っていて、通りかかる人を見上げていてくださっているらしい。見上げられている自分を想像すると温かな気分になる。

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とげとげしくではなく もう少しやわらかくしてはいられないか

2018年05月14日 10時09分18秒 | Weblog

とげとげしくではなく、もう少しやわらかにしてはいられないか。とんがって人を刺すことに明け暮れていてはいけない。やわらかくして,人を和ませていなければならない。長年生きて来たのだ。長年生きて来られたのだ。それくらいの恩返しはしなくてはならないはず。しかし、<はず>だけで、行動に移していない。それを恥じる。依然としてカラタチの青いトゲのようにしている。日々の暮らしでは刺々しい感情を相手にぶつけている。

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彼は次の場にお日様として現れて行ったに違いない

2018年05月14日 09時55分25秒 | Weblog

お日様が射してきた。さすがだ。晴れ晴れとしてきた。彼は偉大なる能力者だ。一目も二目も置くしかない。と思って尊敬の念を膨らませていたら,翳って来た。翳ると忽ちさびしくなる。

わたしはどうだろう。誰かの前でお日様となるということがあるだろうか。たとえば家族の前で。友人の前で。周囲を晴れ晴れとさせることが出来るだろうか。逆にその場から消えていなくなれば、そこに悲しみの沼地ができるだろうか。

昨日の葬式でそれを見た。遺族の人が悲しみにくれておられた。わたしもそうなった。彼は偉大な人だった。改めてそう思った。悲しみがなかなか過ぎて行かなかった。棺の中に眠る顔もおだやかだった。

彼は次の場にお日様として現れて行ったに違いない。次の場にいる人たちが彼を待っていたのかもしれない。それでこの世にいる時間を少し端折ったのかもしれない。温厚で篤実で、人前に来て威張らず,人をくささずにいられる人だった。周囲を和ませた。

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桑の木の下に行って桑の実を拾う

2018年05月14日 07時51分18秒 | Weblog

雨は降っていない。でもいつ降り出してもおかしくないような空の色。日射しが届いていない。まもなく8時になる。シジュウガラが鳴いている。僕には「ピーチピーチピーチ、桃が食べたいよ」に聞こえて来る。雀の大きさの春の鳥である。今朝も、桑の木に下に行って、零れている桑の実を拾った。小指の爪ほどの大きさ。熟したら青紫が濃くなって黒く見える。もう3日間に及ぶ。随分集まった。これで家族の者がジャムを作るのだそうな。

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7回 大谷投手の勝ちが消えた

2018年05月14日 07時40分47秒 | Weblog

5月14日、大リーグエンジェルスの大谷投手がマウンドに上がった。次々に奪三振を続けた。7回、1対0の場面でマウンドを降りた。継投のピッチャーが打たれてしまったところで、大谷投手の勝ちが消えた。冴え渡ったピッチングがフイになった。残念でならない。母の日に因んでエンジェルスの帽子はカーネーションの色だった。

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ビー

2018年05月14日 07時37分59秒 | Weblog

「ビー」

 こどもの日。ふっとこどもに帰ってみる。
 蛭(ひる)のことを小学生のわれわれは「ビー」と呼んでいた。ビーは人に吸い付いて血を吸う。下校中に小川に入って杵泥鰌やザリガニを捕っていると、いつの間にか足の脹ら脛辺りが痒くなる。見るとビーが血を吸って膨れ上がっていた。急いで指先で引きはがしにかかるのだが、ゴム製品のように延びて、容易には離れてくれなかった。吸われた跡は赤く腫れ上がった。馬には馬ビーというやや大型のが張り付いた。苗代を作り、早苗を束にし、田植えをするときなどには、こどもは大人を手伝った。すると決まってビーに襲われた。たまには膝の上あたりまでも這い上って来て、気持ち悪くって、こどもたちは奇声を上げた。吸盤は前後二つあった。前吸盤の奥に口があった。雌雄同体でにょろにょろして気味が悪かった。彼らは空飛ぶ円盤のように水草の間を上手に泳ぎ回った。
 その気味の悪いビーがいつのまにか居なくなった。意図されたものではなかっただろうが。水辺に遊んでももう吸血されない。農薬散布が発達した同じ時期に、こういう生態系の異変が結果している。この変遷の中で我々はこどもから大人になって来たのである。
 ビーのように気味が悪くて得体のしれないもの、害悪を及ぼすもの、こういう生きものにも、歴とした生存権があったはず。我々人間の側から見た文明重視の、その現代社会から駆逐された生物を思うとやるせない。

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静寂を極める山里に渡って来た夏鳥の鳴き声がひときわ高く響き渡る 真夜中

2018年05月14日 02時26分05秒 | Weblog

真夜中である。まもなく2時半になるところ。ホトトギスが鳴いた。静寂を極める山里に鳴き声がひときわ高く響き渡る。日の隈山にいるのだろうか、祇園山にいるのだろうか。人様の耳はテッペンカケタカと聞くらしいが、そうは聞こえないで、わたしには、「此処にいますよ、会いに来てよ」と聞こえて来る。ホトトギスは不如帰とも時鳥とも杜鵑とも子規とも書く。渡り鳥で夏の鳥である。ああもうこんな季節にまで足を踏み入れているのかと思う。

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