「ビー」
こどもの日。ふっとこどもに帰ってみる。
蛭(ひる)のことを小学生のわれわれは「ビー」と呼んでいた。ビーは人に吸い付いて血を吸う。下校中に小川に入って杵泥鰌やザリガニを捕っていると、いつの間にか足の脹ら脛辺りが痒くなる。見るとビーが血を吸って膨れ上がっていた。急いで指先で引きはがしにかかるのだが、ゴム製品のように延びて、容易には離れてくれなかった。吸われた跡は赤く腫れ上がった。馬には馬ビーというやや大型のが張り付いた。苗代を作り、早苗を束にし、田植えをするときなどには、こどもは大人を手伝った。すると決まってビーに襲われた。たまには膝の上あたりまでも這い上って来て、気持ち悪くって、こどもたちは奇声を上げた。吸盤は前後二つあった。前吸盤の奥に口があった。雌雄同体でにょろにょろして気味が悪かった。彼らは空飛ぶ円盤のように水草の間を上手に泳ぎ回った。
その気味の悪いビーがいつのまにか居なくなった。意図されたものではなかっただろうが。水辺に遊んでももう吸血されない。農薬散布が発達した同じ時期に、こういう生態系の異変が結果している。この変遷の中で我々はこどもから大人になって来たのである。
ビーのように気味が悪くて得体のしれないもの、害悪を及ぼすもの、こういう生きものにも、歴とした生存権があったはず。我々人間の側から見た文明重視の、その現代社会から駆逐された生物を思うとやるせない。
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