<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

生滅もやがて滅し已(おわ)る

2016年05月11日 19時57分23秒 | Weblog

「生滅滅已」 しょうめつめっち         「雪山偈」より

生滅は滅し已(おわ)る。

誕生の結果の死だが、その生死の循環もやがて一回りして完了をする。完了とはいいものだ。

**

完了によって1ランクがアップするからだ。

するとそこに死滅の結果の新しい誕生が始まることになる。新しい循環に入るのだ。

「寂滅為楽」 じゃくめついらく

寂滅を楽と為す。

寂滅とはいいものだ。完了とはいいものだ。すべてが洗い流されてすっきりするのだ。

寂滅は寂静とも、涅槃、ニルバーナとも言われる。動きがここでは止まっている。元の1、始原に戻って来ている。

**

このコースを仕切っているのは宇宙の法(ダンマ)である。宇宙の意思である。宇宙の持つパワー、エネルギーである。

この故に生滅する本体はこの法(ハタラキ)に依拠していれば一切がスムーズに運ばれていくことになる。

南無しているだけでいいのだ。帰依していればいいのだ。

たとい「自分の力でそれを成し遂げよ」と命令されてもとてもそれは出来ることではなかった。完遂できることではなかった。命じられることはないのである。安心である。

それをわたしに代わって成し遂げてくれている力がある。その力を握っている主体をわれわれは阿弥陀仏とお呼びしている。敬意を込めて。感謝を込めて。

生滅も滅已も、寂滅も為楽もわたしの自力に拠ってはいなかった。他力だった。一から十までがすべて他力であった。<しかあらしめられている=そのように仕向けられている>ばかりであった。他力の一人働きでよかったのだ。その他にどんな方法もなかったのだ。

***

この解釈はさぶろうの解釈であって、正しい解釈ではありません。読者は異を唱えて読者流の解釈を施して下さい。

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我が身に降るがいとしかりけり

2016年05月11日 16時10分19秒 | Weblog

光降る空の不思議を見上げたり いまの我が身に降るがいとしき     さぶろう

さぶろうには次なるどちらも不可思議体、不可思議現象である。

1)ここには空があるということ。

2)そこから光が降って来るということ。

3)それが我が身にも降っているということ。

4)それで我が身が明るくあたたかくなっていること。

5)その風景の中に偶然にも我が身がおさまっていること。

その不可思議をおのずからにして成立させている己、それに値してここに存在を果たしている己。これが今日ただいま無性にいとしいのである。

いつもこうではない。たまたまにすぎないけれども。

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おだやかにして過ごしている

2016年05月11日 15時51分32秒 | Weblog

買ってきてもらった咳止めの薬(アンプル剤)が効いたのだ。今日は咳が出ない。あれほど苦しんでいたのに。楽にしていられる。まったく出ないわけではないが、我慢が出来るくらいだ。まるで奇跡がおこったようだ。おだやかにして過ごしている。医者にも行かずに済んだ。よかったよかった。午前中はずっと、でも、寝て過ごした。咳疲れをしていたのであろう、眠れた。

午後4時。曇り空も明るくなって日が射している。庭の一隅には赤い透かし百合が咲いた。近くに寄って「やあ、きれいに咲いたね」と声を掛けてあげたくなった。きれいに咲いたもの、その傍にそれを見る者もいてあげねばならないだろうなどと勝手に邪推して。

 

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受け取る分だけで生きていけるはずであるが

2016年05月11日 15時14分11秒 | Weblog

すぐに良様にところへ駆け込んでくる。好きなんだなあと思う。どうしてなのかなあ。そりゃ、さぶろうの手が届かないほどに禅師の人格が高潔だからだろうね。ひそかにひそかにお慕い申し上げるよりない。

雲いでし空は晴れけり托鉢のこころのままに天の与へを     良寛禅師

雲が出ていたけれどもいつのまにかもう晴れ渡っている空。空というものが托鉢をするわたしのこころでもある。わたしのこころの雲の行くままに托鉢をおまかせする。すべてはこうして天が与え天が恵んでいてくれるのである。

省略が隠されているから読み取りにくいが、さぶろうは以上のように読んでみた。

托鉢は乞食(こつじき)、行乞(ぎょうこつ)に同じ。禅僧はいただくことが修行である。鉄鉢(てっぱつ)を差し出してお米や銭やお菓子、果物などをいただく。これが天地の恵み、仏の恵み、人の恵みである。恵みを受けて生きていることをこの身に実証して歩く。

お腹が減っていてもお恵みがないと食べられない。禅僧はいつもひもじい。ひもじくなければ天地の恵みが味わえないのだ。有り余った贅沢な暮らしをしていれば、そこに天地の恵みが働いていることが認識できない。がつがつと欲を張って稼いではならない。受ける分だけで生きて行けるということを信じて暮らしていけるのが古来の禅僧修行僧であった。良様もこうであった。

さぶろうは強欲だからこれはできない。托鉢は出来ない。受け取れる分で過ごすということができない。だからお慈悲というものが受け取れていない。いつもお腹をいっぱいに満たしているからだ。そのくせ、もっともっとと言っては欲しがる。働いて働いて好きなだけ己の強欲を満たそうと努めてきたのだ。禅師はそれをなさらなかった。

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言葉遊びをしている

2016年05月11日 09時46分55秒 | Weblog

言葉遊びをしている。言葉は手毬だ。それで子猫になっている。手毬を転がして遊んでいる。手毬がころころと転がっていくので子猫が後を追っていく。野原に出る。野原には野菫が咲いている。そこにしばらく落ち着く。もうからお昼寝をしたくなる。欠伸が出る。さんさんと降って来る光のせいで手毬があたたかくなっている。それを右手でそれから左手で触って遊ぶ。言葉がくすぐったがる。逃げて回る。追う。すると睡魔が離れて行く。小川のところまでやって来た。青鴫(あおしぎ)が不思議なものを見たという感じで首を心持ち傾(かし)げている。そんなこんなをしていれば今日は過ぎてしまうのだ。生きているってことを実感したいのなら、もっと別の遊びをすべきだったかもしれない。

 

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そこに空間が広がっている

2016年05月11日 09時32分55秒 | Weblog

そこに空間が広がっている。そこを飛び回る。そうすることがわたしを愉快にしている。空間はいまは五月の青い空になっている。飛び回るだけだったら雲だって風だって蝶々だってしていることだ。わたしもそれきりしかできない。どんなに魅惑的に誘って来ても、地上の美しい花を摘むことも出来ない。ただそれを美しいと思って、美しい気分をこちらにもふくらませてふかふかになりながら、周りを飛び回るだけである。でも空間はシャットアウトされていないで、わたしにもオープンになっている。それだけでいいのだ。それを欲しがらなくとも、それを我が手に抱かないでも。それが空しいことになるのなら、飛び回らないでいればいいだけのことだ。五月の緑の光がそこここに跳ねている。わたしの背中のウイングに光の雫が垂れているところから推察すればわたしはすでにこの現実界を離れてしまっているのかもしれない。

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悔恨

2016年05月11日 08時53分44秒 | Weblog

ああ、なんと多くのいとしい女性達の間を空しく潜り抜けて来たことだろう、上手に上手に、華やかに過ごす地上の天使達が少しの疵も作らないように。そしてなんと多くの悔恨に苛まれていることだろう。わたしはそのいとしい女性達をいとしむために、ただその場にある風の匂いを嗅いだだけで我慢ができるように自己調教をして来たことになる。もうここにはしかし誰も居ない。天使達は天に帰って行ってしまった。だからたった一人のいとしい女性の華やいだ風をだにいとしむことはない。わたしはすっかり老いたのだから。というのに天衣を纏った白い腕(かいな)の綿菓子のような白さと甘さが目に染みるのである、ときおり突然に。こんな日に。今日は5月11日。わたしの風邪はまだ引かない。もう6日間も安静に寝て養生をしているのだけど。咳こみはひどくなるばかりだ。

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明日はいよいよ病院に行こう

2016年05月11日 00時10分16秒 | Weblog

咳こむ。苦しい。胸が痛い。寝られない。咳止め薬のアンプルを合計3本飲んだのだけど、いっこうに改善しない。明日はいよいよ病院に行こう。注射を打ってもらおう。咳止めの注射を。老人性の肺炎が心配される。ごぼごぼごぼと力づくで咳するので疲労困憊だ。苦しい。行き詰まりだ。医者嫌いを通せなくなって来た。

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