「生滅滅已」 しょうめつめっち 「雪山偈」より
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生滅は滅し已(おわ)る。
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誕生の結果の死だが、その生死の循環もやがて一回りして完了をする。完了とはいいものだ。
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完了によって1ランクがアップするからだ。
するとそこに死滅の結果の新しい誕生が始まることになる。新しい循環に入るのだ。
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「寂滅為楽」 じゃくめついらく
寂滅を楽と為す。
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寂滅とはいいものだ。完了とはいいものだ。すべてが洗い流されてすっきりするのだ。
寂滅は寂静とも、涅槃、ニルバーナとも言われる。動きがここでは止まっている。元の1、始原に戻って来ている。
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このコースを仕切っているのは宇宙の法(ダンマ)である。宇宙の意思である。宇宙の持つパワー、エネルギーである。
この故に生滅する本体はこの法(ハタラキ)に依拠していれば一切がスムーズに運ばれていくことになる。
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南無しているだけでいいのだ。帰依していればいいのだ。
たとい「自分の力でそれを成し遂げよ」と命令されてもとてもそれは出来ることではなかった。完遂できることではなかった。命じられることはないのである。安心である。
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それをわたしに代わって成し遂げてくれている力がある。その力を握っている主体をわれわれは阿弥陀仏とお呼びしている。敬意を込めて。感謝を込めて。
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生滅も滅已も、寂滅も為楽もわたしの自力に拠ってはいなかった。他力だった。一から十までがすべて他力であった。<しかあらしめられている=そのように仕向けられている>ばかりであった。他力の一人働きでよかったのだ。その他にどんな方法もなかったのだ。
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この解釈はさぶろうの解釈であって、正しい解釈ではありません。読者は異を唱えて読者流の解釈を施して下さい。
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