タブレットに迷惑メールがどさどさ来るようになった。迷惑な話だ。秘密情報がどうして洩れたのだろう。docomoさんに行って相談をした。アドレス変更してもらった。今度は大丈夫だ。長い長いアドレスにしたからである。そこまではよかった。これでメールがゼロになった。親しい友人知人親族にアドレス変更を通知しなければならないが、それがうまくできなかった。風邪がなおったらまたdocomoに行って教えてもらわねばならない。どうしたらいいかを。そんなこともできないのである。
たまさかに来ませる君に小夜嵐いたくな吹きそ来ませる君に 良寛禅師
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たまにしかお出でにならないあなただ。しかし風の音が激しい。今夜五合庵を訪ねて来てくださるあなたに小夜嵐が激しく吹かないで欲しい。せっかくお出でになって下さるというあなたに。
この「君」は誰だろう。良様を慕っておられた方は、男女を問わず、多いはずだ。もしかしたら貞心尼だったかもしれない。お酒とご馳走を携えて来てくれる近在の方かも知れない。良様はお酒もたしなまれたそうだ。
わずか31文字の中に「来ませる君に」が重複して使われている。よほど大事に思って折られた方であることは間違いあるまい。「な」~「そ」は禁止の係り結び。良寛禅師が五合庵で首を長くして待っておられる姿が彷彿とする。さぶろうにそんな人は居るか。待つ人待たれる人の間柄というのはさぞさぞあたたかい間柄であろう。
今度の風邪菌はしつこい。まだ居直っている。だるい、きつい。咳がついてしまった。胸が苦しい。気管支あたりが異常反応して落ち着かない。もう4日も寝ている。感染力が強くて家族の者が次々発症していく。困った困った。お風呂もはいりたくない。寝ているのも飽いたけれど。
雨はどうやら止んでいるようだ。頭上には、いつまた降り出してくるか分からないような曇り空が広がっている。午前中は相変わらず布団に横になって過ごした。でもそれにも飽いて来た。ごはんごほん咳が出てげぼげぼ痰が出る。こうするのも力が要る。ほあんほあんしているが、きつい。苦しい。でも、これも生きている証拠じゃないか。
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僕はフランス名詩選を取り出して読んでいる。僕にはおよそ似合わない恋の詩を。
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「ミラボー橋」 ギョーム・アポリネール
ミラボー橋の下/セーヌが流れ/二人の恋が/なぜこうも思い出されるのか/喜びはいつも苦労の後に来たものだ
夜よ来い/時鐘よ打て/日々は去りゆきわたしは残る
手に手を取ったままで向き合っていようよ/そのまにも/二人の腕の橋の下/永遠のまなざしに疲れた波が過ぎ行き
夜よ来い/時鐘よ打て/日々は去り行きわたしは残る
恋は去り行く/ここに流れる水のように/恋は去り行く/人生の歩みののろさ/そして「希望」の狂おしさ
夜よ来い/時鐘よ打て/日々は去り行きわたしは残る
日々が過ぎ/週また週が過ぎて行き/過ぎた時も/恋もまた戻って来ない/ミラボー橋の下/セーヌが流れ
夜よ来い/時鐘よ打て/日々は去り行きわたしは残る
(岩波文庫 「フランス名詩選」より)
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「日々は去り行きわたしは残る」のリフレインが僕を締め付けるが、そのわたしだってついには去って行くのだ、セーヌ川の水のように。恋人達が愛を囁く場所、ミラボー橋の橋の袂が残っているけれど。
さぶろうは気まぐれ屋である。根がわがままなのだ。人に会いたがらない。かと思うと一転してはげしく会いたがる。会わずして会う方法は一つしかない。瞑想の中で会うのだ。そのこよなく、たぐいなく美しい人と。天使のようにやさしい人と。現実にはそんな人はいない。いないからいいのである。面倒がなくていいのである。愛想良くする努力も無用だし、愛想尽かしもされないですむ。けっこうなことばかりなのである。欠点もある。掻き抱くことができない。抱こうとすると霧になる。そうしなくとも、瞑想の中ではときどきふいに姿が見えなくなってしまう。それだからこそまた価値が高くなるということもあるのかもしれないけれど。現実のさぶろうは人に会いたがらない。名の通り隠者だ。意固地なまでだ。自由がそれで束縛されてしまうのが嫌なのだ。
ズッキーニがぞくぞく実っている全部で8株ある。それぞれ植える時期を違えてある。成長ぶりが楽しめる。黄色ズッキーニと緑ヅッキーニのどちらも勢いがいい。茎の勢いと葉っぱの勢いとふたつながら。今朝は雨の降る中、緑一個と黄色一個を家族の者が収穫して来た。風邪で寝ているわたしにも握らせてくれた。肌触りがいい。つるりつるりしている。
さあ、長い連休が明けた。僕は5日からこのかた風邪で寝込んでいるばかりだった。まだ元に戻っていない。からだのあちこちがヘンだ。これで調整をしているのだろう。こつこつこつこつと。調整は遅遅として進まないようだが、彼らの努力に耳を傾けていよう。昨日は家族の者が園芸店にサツマイモの蔓を見つけて買って来た。さっそくすでに耕されていた畑に畝を作って蔓を挿したようだ。雨になったからちょうどよかった。僕は今日も縁側に布団を移動してそこに寝転がって雨の庭を見て過ごすことになりそうだ。庭にはグラジオラスふうの赤い花が群れを成して咲いている。それから少しだけあの人のことを思っていよう。美しいエンジェルのようなあの人のことを。そうすると僕の瞑想中の人形の彼女は、そこから僕の童話の主人公になって明るく楽しそうに動き出すかも知れない。
発芽した隠元豆が雨に濡れている。つややかに光っている。嬉しそうだ。隠元豆の長い列のそれぞれの嬉しさの一番外側の端っこに、僕が繋がって嬉しがっている。なあんだ、こんな嬉しがり方だってあったのだ。
障子戸を開けるとそこに明るい朝が来ている。わたしは愚かにもそれはわたしが障子戸を開けたからだと思い込んでいたが、朝はわたしが障子戸を開けなくとも来ていたのだ。それを知るためにはしかしわたしは障子戸を開けねばならなかったのだ。
安立している。わたしは安立しているとするだけで、わたしが安立している。まるで川の流れを変えたようにして。もともとここにその流れがあったといわんばかりにして。滔々と勢いよく新しい水が流れていく。わたしはしかし初めからこの世界の大きな安立に繋がっていたのだった。それをわたしが自覚したというだけだったのだ。