goo blog サービス終了のお知らせ 

<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

猊鼻渓を見て見たい この眼で

2016年05月12日 22時19分04秒 | Weblog

岩手県の平泉一関あたりに「猊鼻渓」という舟下りの名勝地があるらしい。峡谷を大河が流れていた。湖のような深さだった。たまたまそれをネットで見てしまった。探していたわけではないのである。ほんとに偶然行き会わせたのである、その風景の写真に。魅力的だった、とても。写真というものはあてにはならないところもある。一部だけを全体に見せてしまっているところもある。行ってみると、だから、なあんだということも起こる。要注意だ。でも、行ってみたくなった。この眼で確かめてみたくなった。中国の三峡下りは遠くて実現不可能だが、ここは日本国だ。なんとかなるかもしれない。さぶろうは飛行機が苦手だから、長時間の汽車の旅と言うことになる。新幹線を乗り継いで何時間かかるのだろう。旅費は幾らになるだろう。安く泊まれるところはあるだろうか。昼間、少し調べてみた。まだ病み上がりというところがあるから今すぐというわけにはいかないが、実現してみたいものだと思う。気紛れだからすぐに諦めるかもしれないな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうも不満足

2016年05月12日 22時10分13秒 | Weblog

僕は昼間、園芸店に行きました。「西瓜に虫が寄ってこないようにするための品物を探しています。何処にありますか」と問うと店員さんはすぐに「ああ、あれですね」「それは○○番の札の所にありますよ」と応じて下さった。固有名詞があるはずだが、僕も店員さんもそれが口を突いて出ることはなかった。なんという名前なんだろう。ともかく買って来られたからそれで用向きは叶えられたことになるが、どうも気になってならない。「あれ」のままでは、これからその役目を引き受けて、終日働いてくれるくれるその「あれ」に申し訳がないような気もする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼は経典を曲解している

2016年05月12日 22時02分02秒 | Weblog

さぶろうは経典を曲解している。自分に合わせている。自分の都合に合わせている。困った者だ。だから、彼の経典解釈を読む人はごくごく注意が必要だ。それぞれが、「いやそうじゃない」と思って読むべきである。自分には自分の見解を聞かせてやるべきである。さぶろうはひねくれ者である。ねじ曲がり者である。だからねじ曲がっていないと彼の安心とするところまでは経典の意思が流れてこれないのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏さまの国を見たいか

2016年05月12日 21時34分38秒 | Weblog

諸々の仏土を見んと欲すれば明王忽ちに出現して行者を頂戴して能く之を見ることを得せしむ。如何に況んや、余に求むることをや。持するに随って成就を得ん。    「不動尊秘密陀羅尼経」より

明王は不動明王である。行者は仏道の修行者である。仏に成ろうとしてこの世に於いて修行を開始した者である。仏土というのはすでに仏に成ったものが建設している理想国家である。清浄だから浄土とも呼ばれる。それぞれが工夫を凝らして建設をしている仏国土であるから、一見に値するのである。それを見たい、見せてくれと頼むと不動明王はそれを聞いて抱き上げてくれるのである、「よっしゃ」と言って。見えるところまで高い高いをしてしてくれるのである。何でも聞いてくれるのである。真言陀羅尼を唱えている者はこうしてすべてが成就して行くのだ。ただし、それは人間界の欲望成就ではない。そこが難点なのだが。

人間界の欲望成就では飽き足りない者は、だから、陀羅尼を唱えた方がいいことになる。陀羅尼は呪文である。マントラである。真言である。仏さまの言語である。仏さまのことを知るための言語である。仏さまに成りたい者が使う言語である。人間で居る間は、したがって、ちんぷんかんぷんであることはいうまでもない。人間で居る間にこのマントラが唱えられることになっている。前借りである。借り物である。唱えると仏さまになってみることができるようになっている。これを有り難いと思うか有り難迷惑だと思うか、それは各人の自由な裁量にまかせられている。

仏さまの国を見たいか。見たいと思う者は、しかし、この世ではすこぶる変わり者である。この世のこの国を見て、そこでも十分にあれこれの人間欲望は叶えられることになっているからである。それには目もくれぬという行者というのはやはり変質者だろう。不動尊陀羅尼経にはこの変質者=行者が登場して来る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この手の人間はとかく困り者です

2016年05月12日 21時10分07秒 | Weblog

さぶろうの関心事はごくごく限られています。彼は偏屈だからです。偏っているのです。くぐもっているからです。人様が関心を抱くことにこの男は、従って、さほどに関心を抱いていないのです。いわばしらんふりをしていることが出来ます。だから人様はこの男にピントが合いません。いっしょの行動が出来かねるのです。この男と一緒だと人は疲れます、たいていの人は。ずれているから話も合いません。この男もその辺の事情は察知していますから、めったに一緒の行動を取りません。迷惑になるばかりだからです。人が面白いと騒いでいるところにいてもこの男は騒ぎません。冷めています。この手の人間は困りものです。人がにこりともしないところで、この男はにこりとしています。気持ちが悪いですよね、こんな男といっしょだと。訳が分からないのです。歯車がずれているのです、ともかく最初から最後まで。この種の男は、結局、だから、一人でいるのが一番です。それで安定が得られるのです。ほっておけばいいのです。ほっておくのはいかにも冷たいからと連れて行ってもこの男が興味を引くことはないのです。

この男は、その一つ、青空が大好きです。これがこの男の玩具です。一人でいるときにはこの玩具で、誰に気兼ねをすることもなく、遊んでいられます。見ているだけでいいのです。それでもう嬉しいのです。痴れ者のように嬉しいのです。青空はみんなと一緒でなければ見られないということもありません。だから一人でいいのです。どうしてそんなにそれが嬉しいのかと尋ねられてもその訳を答えることは出来ません。この男にも分かっていないからです。5月12日は青空が広がっていました。この男はそれをずっと見て嬉しがりました。そうするともうこの男の心の広場には他のどんなこともそこに座を占めることなどは出来ないのです。さぶろうという男は我が儘者です。理屈がつきません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外は暑かった

2016年05月12日 14時15分23秒 | Weblog

外は暑かったあ。汗を掻いてしまった。で、お湯のシャワーを浴びた。汗で濡れた下着をみんな着替えたら、さっぱりした。蚊が飛び回って、禿げ頭を狙い撃ちされてしまった。逃げ切れないので蚊取り線香を焚いてもらった。草藪を耕すとそこには蛙や蜥蜴や蚯蚓たちも活動をしていた。西瓜苗はとうとう移植を終わった。たった2株だったのに、蔓が這い回るので広範囲を耕して置かねばならなかった。重たい有機肥料を運んで来て施肥をし土作りをした。でも、やっぱり病み上がり。性根がなくてふらついた。無理は出来ない。お昼1時、冷や麦を茹でて食べ、それから一休みに入っている。眠い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嬉しがらないと損だ ゼッタイ損だ

2016年05月12日 09時49分41秒 | Weblog

見事な空である。青空だ。5月12日の朝が来ている。窓の向こうに大好きな青空が広がっている。からりとしている。爽快だ。まことに爽快だ。風もない。明るい光が大地の隅々にまで届いている。眩しいくらいに明るい。芍薬の花の辺りを白い蝶々がツインで飛んでいる。いかにも嬉しそうに。こんな日を恵んでもらったのである。嬉しがらないと損だ。ぜったい損だ。蝶々ほどに嬉しがるために、これから外に出る。咳が治まっているが痰が出て苦しいけど。これくらいは我慢が出来る。我慢が出来る範囲は我慢をしていい。まず西瓜苗2株を畑に植え付けよう。もう7日も延び延びになってしまった。草取りをして施肥をして土作りから始める。青空が広がっている。見事だ。この青空をわがこころの朝昼の食膳とすることができる贅沢。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする